第91話

「本当に大丈夫なの?」


 走りながら、不安そうにテンちゃんが尋ねる。

 テンちゃんの質問に、リリルハさんは笑顔で答えた。


「大丈夫かは、わかりませんが、2人のことは、私が命に代えても守りますわ。それだけは安心してくださいな」


 3人でお城の中を走る。

 もう見つかっても関係ないと、とにかく早くドラゴンさんの所に行くようにだけを考えて。


「あ、いたぞ! 追えっ!」


 当然、見張りの人にも見つかる。

 多分、お姉ちゃんにも、この状況は伝わっているはず。

 でも、もう関係ない。


 お姉ちゃんの所に行く。


 お姉ちゃんを無視して、ドラゴンさんを連れ出す。


 そのままお城を壊して外に逃げる。


 これだけ。

 この動きだけを意識して走っている。


「こっち!」


 魔法だって、もう遠慮しない。

 遠慮する必要なんてないから。


 私は魔法を使って壁を破壊し、迂回もしないでまっすぐお姉ちゃんのいる部屋まで向かう。


 たくさんの人が私たちを追いかけてきて、後ろを見たら廊下が人で溢れていた。

 その中に、ヒミコさんやキョウヘイさんはいない。


 どうしていないのかはわからないけど、いたらこんなに簡単には動けなかったと思う。

 もしかして、偶然、外出中だったのかな。それなら、ラッキーだった。


「もうすこしだよ」


 お姉ちゃんの部屋まであと少し。

 部屋を開けたら、すぐにドラゴンさんを見つけて、すぐにドラゴンさんに乗って、すぐに飛び立つ。

 それだけを考えて走る。


 あと一歩。


 そう思った時、ゾワッと背中に悪寒が走った。


 それは、私に向けられたものではない。

 だけど、明らかに、殺気だった。


「あぶない!」

「はっ! くっ。テンッ!」

「え?」


 私が叫んだ瞬間、リリルハさんがテンちゃんを抱き抱えて、横に飛び込んだ。


 それからすぐ、リリルハさんたちの走っていた所に、剣が突き立てられた。


「ちっ。アリス様、バラさないでほしいっすよ」


 床に突き刺さった剣を抜きさり、キョウヘイさんが不満げな顔をしていた。


「アリス様。お戯れは、このくらいにしてください」


 その後ろに、ヒミコさんまで来ている。

 やっぱり、そう簡単には行かせてくれないみたい。


 だけど、ここで立ち止まったら、それこそもう動けなくなっちゃう。


 ヒミコさんたちを傷付けるのは嫌だけど、2人ならこのくらい、ちゃんと避けられる、はず。


「ごめんなさい、2人とも!」


 私は魔法で暴風を作り出し、ヒミコさんたちにぶつける。


「きゃあ!」

「うおっ!」


 いきなりの攻撃に、2人はすぐには反応できなかったみたいで、まともにぶつかり、身動きがとれなくなる。


「今ですわ」


 その隙を見て、リリルハさんがテンちゃんを抱えながら、お姉ちゃんの部屋に飛び込んだ。


 襖を壊して、部屋の中に入ると、いつもの場所にお姉ちゃんがいた。


「あら、アリス」


 こんなに騒がしく大変な状況なのに、お姉ちゃんは、いつもと変わらない雰囲気で、何事もないように、私の名前を呼んだ。


 そして、見る者を凍えさせるような、冷たい視線をリリルハさんたちに向ける。


「処刑が待ちきれなかったのかしら?」


 ピシッと、空気が止まった気がした。

 お姉ちゃんは、怒っている。顔には出さないけど、それだけはすごくわかった。


 だけど、そんなことは、今は関係ない。

 ドラゴンさんは。


「ドラゴンさんっ!」


 お姉ちゃんのすぐ横に、ドラゴンさんがいた。

 今はとにかく逃げることだけを考える。


 私が呼ぶと、ドラゴンさんは私の方へ来た。


 だけど。


「ドラゴンさん」


 お姉ちゃんの声に、ドラゴンさんが動きを止める。


 私の言うことじゃなくて、お姉ちゃんの言うことを聞いたドラゴンさん。

 ドラゴンさんは、心なしか、どちらの言うことを聞けばいいのか迷っているようで、困っているようだった。


 だけど、そんなことをしている内に、後ろにいたたくさんの追っ手の人たちが、続々と部屋に雪崩れ込んできた。


 このままじゃ、本当に逃げられなくなっちゃうよ。


「おねがい、ドラゴンさん。こっちに来て!」


 もう一度、私は叫ぶ。

 だけど、ドラゴンさんは、さらに困った様子で、お姉ちゃんと私を交互に見るばかりで、動いてくれそうな気配はなかった。


「くっ。作戦、失敗ですわ」

「作戦なんて、元からないようなものじゃない。どうするのよ?」


 リリルハさんとテンちゃんが、焦ったように後ろを囲む人たちから間合いを取るように、部屋の中央に移動した。

 私の手を引いて。


「大方、私の隙を突いて、ドラゴンさんに乗って逃げるつもりだったんでしょ?」

「うっ。そ、それは」


 すべてお見通し、だったみたい。


 ここまで簡単に来れたのは、お姉ちゃんが、気付かずに何もしてこなかったからじゃなくて、何もしなくても、ここで詰んでしまうことを知っていたから、だったんだ。


 完全にお姉ちゃんは、手のひらの上だ。

 あわよくば、逃げられるかも、なんて、なんて甘い考えだったんだろう。


 ううん、違う。その事を反省するのは、後にしよう。とにかく今は、ここから逃げる方法を考えないと。


 だけど、そんな暇もなく、キョウヘイさんがリリルハさんに斬りかかってきた。


「はぁ!」

「くっ」


 リリルハさんは、キョウヘイさんの剣を紙一重でかわし、床に飛び込んだ。


 リリルハさんは、まだ上手く魔法が使えないみたい。

 それも、多分、この前のお姉ちゃんの魔法が関係してるんだろうけど。


 でも、そうなると、まともに戦えるのは私しかいない。


 私だけが魔法を使って、みんなと戦える。


 けど。


 私はキョウヘイさんへの全力の攻撃を躊躇ってしまう。


 できれば、みんなと戦うようなことはしたくない。逃げるために全力で攻撃をしたら、誰かを怪我させてしまうかもしれないから。


 でも、そんなことを考えている間にも、リリルハさんが、キョウヘイさんに追い詰められていく。


「や、やめて、キョウヘイさん!」

「いくら、アリス様でも、それは無理なお願いっすね。竜の巫女様に歯向かうやつは、見逃せないっす」


 何を言っても、キョウヘイさんは、止まってくれない。


「いたっ!」

「え? テンちゃん!」


 そっちに気を取られていると、いつの間にか、ヒミコさんが近くまで来ていて、テンちゃんの首を掴んで捕まえていた。


「子供とは言え、例外ではありません。心苦しいですが」

「くっ、このっ、離せっ!」


 テンちゃんは、ヒミコさんに蹴りを入れる。

 でも、そんな攻撃、ヒミコさんの魔法に通じる訳もなく、簡単に防がれてしまった。


「ぐっ、うぅ」

「リリルハさん!」


 それだけじゃない。

 リリルハさんも、キョウヘイさんの攻撃を避けきれず、腕に傷を負っていた。


 もう逃げられる体力もないみたいで、床に膝を付いてしまっている。


 どうしよう。どうしよう。どうしよう。


 このままじゃ、2人が危ない。


 なんとかして、ドラゴンさんを説得しないと。


「ド、ドラゴンさん」


 もう一度見るけど、やっぱり、ドラゴンさんは困った顔をしながらも、私の方に来てくれる様子はなかった。


 駄目だ。

 ドラゴンさんを説得している間に、2人が大変なことになっちゃう。


 もう私がなんとかするしか。


「う、うぅ。こ、こうなったら」


 傷付けたくなんてないけど、だけど、2人を助けないと。

 私は両手にありったけの魔力を込めて、狙いを定める。


「アリス様! どうして、わかっていただけないのですか!」


 姫さんは、悲しそうな顔で言う。


 そんな顔をさせたい訳じゃないのに。

 でも、こうするしか。



「アリス」


 そんな私に、凛とした声が響いてきた。


 それは、お姉ちゃんの静かな声。

 この場の雰囲気に似つかわしくない、静かで落ち着き払った声。


 その声だけは、お姉ちゃんだけは、この空気の中でも、いつもと何も変わらず、ただただそこにいるようだった。


 そして、お姉ちゃんは、ヒミコさんとキョウヘイさんに目だけを向け、口を開いた。


「その2人を離しなさい」

「え? で、ですが……」


 戸惑うヒミコさんに、お姉ちゃんは顔を向けて睨み付けた。


「聞こえなかったの?」

「う、は、はい」


 お姉ちゃんの指示で、リリルハさんたちは解放された。


「お姉、ちゃん?」


 助けてくれたってことなのかな。

 私の気持ちが伝わった、とか。


 いや、そんなことはない。

 そんなの、流石に虫が良すぎるよね。


「アリス。あなたには失望したわ」

「……え?」


 はっきりと告げられた言葉に、私は、胸が痛くなった。


 ううん。そういう風に思われるのは、覚悟の上だったはず。だって私は、お姉ちゃんの言うことを守らずに、ここまで来てしまったんだから。


 だから、こんな言葉で胸を痛めるのは、お門違い。予想できたはずのことだ。

 そのはずなのにすごく胸が痛い。


 多分、私は頭のどこかで、お姉ちゃんは最後には許してくれると、そう思っていたから。


 何も言い返せずうつ向く私に、お姉ちゃんさらに口を開いた


「だけど、アリス。まだ間に合うわ」

「え?」


 お姉ちゃんは、何かを手に取って、私の方に放り投げた。


 カランカランと1度、2度跳ねて、私の元にやって来たのは、鋭く手入れされた剣、だった。


「選びなさい。ドラゴンさんを取るのか、その女を取るのか」

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