第90話
スススッと、静かに襖を開ける。
部屋の外に見張りの人は誰もいない。
隠れている気配もない。
うん。大丈夫そう。
「リリルハさん、テンちゃん。大丈夫そうだよ」
「やりましたわ。これで、脱出できそうですわね」
リリルハさんと、小さくハイタッチする。
「こんなに、うまく行くなんてね」
テンちゃんは、驚きを隠せないようだ。
確かに作戦としては、綱渡りのように危ない部分が何個かあったと思うけど、なんとか成功したみたいでよかった。
部屋の中には、眠っている見張りの人が2人。
少なくとも、1時間は起きないはず。
◇◇◇◇◇◇
「このビスケットに、睡眠薬を仕込みます」
「すいみんやく?」
リリルハさんを助け出して、牢屋の前で、私はリリルハさんから作戦を聞いた。
リリルハさんの作戦はこうだ。
まず、私がテンちゃんのフリをして、さっきみたいにビスケットを作る。
そして、そのビスケットに睡眠薬を仕込み、見張りの人にそれを食べさせて眠ってもらう。
その間に逃げてしまう。
という作戦。
「睡眠薬の作り方は、レミィから聞いたことがありますから、何処にでもある材料で作れますわ。この城の規模なら、当然あるでしょう」
「へー、すごいね」
睡眠薬なんて、そんな簡単に作れるんだ。
「でも、それって、すぐにきづかれないかな?」
私の元に何かを持ってくる時は、必ず誰かがそれに、不審なものが混ざっていないかを確認している。
魔法を使って調べたり、時には毒味をしているみたい。
そんな中に、睡眠薬なんて不審なものが混ざっていたら、すぐに気付かれてしまうと思うんだけど。
「確かに、普通にビスケットに混ぜても、気付かれて終わりでしょう。でも、その点も問題ありませんわ」
リリルハさんは、ブイサインを作り、自信ありげだ。
「この睡眠薬は体に全くの無害、しかも遅効性がありますの」
「ちこう、せい?」
よくわからない単語に首を傾げる。
すると、リリルハさんが、血を吐くような勢いで後ろに倒れ込んだ。
「ぐはっ! 小首をかしげる姿。良き、ですわ」
「え? え?」
突然の出来事に、私は何が起きたのかわからなかった。
リリルハさんは、はぁはぁと、胸が痛そうに呼吸を荒くしている。
だけど、全然辛そうには見えなくて、むしろ嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
「……あれ?」
そんな光景を見ていたら、ふと、頭の中に今の光景がフラッシュバックした。
その光景は今のこの場所のものではなくて、何処か知らない場所の光景だった。
それは、見たこともない場所。
だけど、知らない場所のような気もしなくて、懐かしく、心落ち着くような場所。
「アリス?」
いきなり動きが止まった私を、リリルハさんは、心配そうな顔で覗き込んできた。
「あ、ううん。なんでもないよ」
そう言いながら、私はリリルハさんの顔を見てみる。
リリルハさんは私に見つめられて、よくわからなそうな顔をしていたけど、徐々に顔を赤らめて、鼻息を荒くしていた。
その光景も、なんだか懐かしく感じる。
もしかしたら、これは、私の忘れた記憶の一部なのかもしれない。
そんな風に思いながら、私はリリルハさんの作戦のために、牢屋をあとにしたのだった。
◇◇◇◇◇◇
「それにしても、こんなにもタイミング良く眠ってくれるなんてね」
リリルハさんの作ったビスケットに入ってる材料は、体に悪いものでもないので、不審なものとして弾かれることはない。
しかも、ちこうせい、のある睡眠薬が入っていて、食べてもすぐには眠くならない。
しばらくしてから、耐え難い眠気に襲われる、というもの。
だから、魔法で調べられたり、毒味をされても、特に問題視はされない。
唯一気になっていたのは、その眠気が、ちょうど良いタイミングで来てくれるかどうか。
一応、大丈夫だという計算ではあったけど、眠気に襲われるのは、人によって差があるから、絶対大丈夫とは言えなかった。
だけど、結果的には、すべてが上手くいって、こうして部屋から脱出することができた。
「運も良かったですが、まあ、計算通りですわ」
作戦が成功したことにご満悦な様子のリリルハさんは、こんな場面でも綺麗な笑顔を浮かべていた。
まだ全然逃げきれた訳でもなくて、安全とはほど遠いんだけど、リリルハさんの笑顔を見たら、この先もなんとかなりそうだと、安心できる。
そんな不思議な笑顔だった。
「さて、ここまで来れば、あとはこの城から脱出するだけですが。アリス、出口はわかります?」
「うん。だけど。正面から出るのは難しいかも」
この部屋の監視は結構厳重なものだったけど、このお城の警備自体は、そこまで厳しいものではない。
ただ、内に比べて外の警備は中々に厳しい。
そもそも、お城の中に侵入させないような警備だから、その影響で出入り口の見張りはかなりの大人数になっている。
しかも、私たち3人は、誰もが外にいてはいけない存在なので、さっきみたいに睡眠薬が入ったビスケットを食べさせることは物理的に難しい。
となると、素直に正面から出ていくのは、どう考えても危険だと思う。
「確かに、その通りですわね。じゃあ、普段は使わない裏口とかは?」
「ないと思う。私も、このお城のぜんぶを知ってるわけじゃないけど」
「ううーん。そうですわよねぇ」
リリルハさんは、困ったように唸ってしまう。
「あまりここで時間をかけるのも得策ではありませんが、ただ隠れながら歩き回るのも危険ですわよね」
確かに。
さっきまでは上手く隠れながらここまで来れたけど、それがずっと上手くいくとは限らない。
それに、リリルハさんが牢屋からいなくなっていたり、テンちゃんが調理場からいなくなっていたりと、いつ気付かれても、おかしくない状況だ。
さらに言えば、ここにいる見張りの人も、1時間もすれば目が覚めてしまう。その前にここを離れないと。
3人で打開策を考える。
だけど、中々、良い案が浮かばなくて、みんな同じような難しい顔をしていた。
そんな時、ふと、リリルハさんが、不思議そうに首を傾げた。
「そういえば、アリス。ドラゴンさんはどうしましたの?」
「あ、えっと」
そういえば、2人にはまだ、ドラゴンさんのことを話してなかったっけ。
話す暇もなかったし。
「えっと、ね。ドラゴンさんは、お姉ちゃんのところにいるの」
「竜の巫女の所に?」
「うん。多分、私がドラゴンさんにお願いして、リリルハさんの所に助けに行かないようにしたんだと思う」
お姉ちゃんは、私にリリルハさんの処刑を命令してきた。
だけど、お姉ちゃんは私がそんなことをしたくないと思ってるってわかってるんだ。
だから、リリルハさんを助けに行けないようにしたんだ。
現に、私だけでは、あの部屋から出ることなんて、絶対にできなかったから。
「そうだったんですわね。なら、ドラゴンさんも救出しなくては」
リリルハさんは、さも当たり前のように言う。
それに私は、慌ててリリルハさんを制止した。
「だ、だめだよ。そんなことしたら、またつかまっちゃう」
「何を言ってるんですの? ドラゴンさんだけ、残していくなんて、できるはずありませんわ」
「あ、う。そ、そうだけど」
リリルハさんは、私の反応に怪訝な顔をする。
そして、同じような表情でテンちゃんが口を開いた。
「もしかして、アリス。1人でここに戻ってくるつもりだったんじゃないの?」
「うっ」
図星を突かれた。
リリルハさんたちを安全な場所まで連れていけたら、1人でドラゴンさんの所に行こうと思ってたのに。
「あきれた、本当にそうなのね」
「まあ、そんな危ないことを考えてましたの?」
リリルハさんが起こった顔で詰め寄ってくる。
「あ、うぅ、だって……」
「うっ、か、可愛い顔しても無駄ですわ。正直に言いなさい、アリス」
言い訳を許さないというリリルハさんの圧力が強い。
言い逃れなんてできそうにないし、正直に言うしかないか。
「うん。リリルハさんたちが、安全なところに行けたら、私だけで戻ろうとしてたの。私なら、お姉ちゃんも、そんなにひどいことはしないと思ったから、うぶっ!」
私が言い終える前に、リリルハさんが私の頬を両手でつまんできた。
そのせいで変な声が出ちゃったよ。
「リ、リリルハさん?」
「アリス1人に、そんな危険なことさせられる訳ないじゃありませんの。ドラゴンさんも、きちんと助けていきますわ」
「で、でも、どうやって? お姉ちゃんには、絶対勝てないよ? リリルハさんでも無理だと思う」
この前お姉ちゃんは、リリルハさんの魔法を完全に封じてしまった。
そんなお姉ちゃんに、例え虚を突いたとしても、私たちで勝てるとは思えなかった。
「確かに、あの竜の巫女に勝つのは、不可能でしょう」
「ほら……」
「ですが、だからと言って、アリスを危険な目に遭わせる訳にはいきませんわ」
リリルハさんは、一歩も引かない雰囲気。
「アリス。あたしも同じ気持ちだから」
「テンちゃん」
2人に真剣な顔で見つめられて、私はどうすることもできなかった。
「それに、1人だとしても、ここから脱出する作戦は考えていたんでしょう? 私たちを逃がせば、いくらなんでも、ここに止まることはできないできませんもの」
「それは……」
リリルハさんには見透かされちゃったみたい。
リリルハさんたちを逃がせば、流石に私もそのままお咎めなし、とはならないだろう。
その時のために、逃げる方法は考えてはいた。
それは、作戦なんてすごいものじゃない。もし、捕まっちゃったら、それで仕方がない。その程度の作戦。
だから、2人を巻き込みたくなかったんだけど。
だけど、2人を見たら、そんな話をしても引き下がってくれそうもない。
「アリス。教えてくださいまし。そして、みんなでここから脱出するんですわ」
引き下がってくれないのなら、仕方がない。
すっごく、不安だけど、私は仕方なく、2人に私の考えていた作戦を伝えることにした。
「作戦ってほどじゃないよ。ただ、ドラゴンさんをみつけたら、乗って、すぐに飛んで逃げようと思っていたの」
「そ、それは、かなり無鉄砲ね」
テンちゃんは、私の作戦に苦笑い。
実際、私もテンちゃんと同じでそう思ってた。
だけど、そのくらいしか、お姉ちゃんから逃げられる方法は思い付かない。
隠れていても、いつかはバレるし、近づけば近づく程、その危険は強くなる。
逃げられるとしたら、多分、隙を突いて、その間にできるだけ遠くまで逃げるしかない。
だから、これしか、方法は。
と言っても、こんなの作戦とは言えないし、逃げられる訳がないと言われたら、その通りなんだけど。
私は二の句が継げなくて下を向いてしまった。
そんな私に。
「いいですわ、それでいきましょう」
「え?」
「え?」
リリルハさんの自信ありげな声に、私とテンちゃんは、顔を見合わせて首を傾げた。
「ぐはっ! 美幼女2人の小首を傾げた姿。至高」
リリルハさんは、昇天しているかのように、何故か白く燃え尽きているように見えた。
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