第82話
「変、ですわね」
リリルハさんは、遠くに見える建物を物陰から覗いて、小さく呟いた。
「どうかしたの?」
私も同じ所を見てみるけど、特に変わった様子はない。
強いて言うなら、いつもよりも元気がないような雰囲気もあるけど、そうでもないと言われたらそうでもないような。
私たちは、あれから数日歩き続けて、お姉ちゃんの町までたどり着いた。
それから内緒で町に入って、お姉ちゃんのいるお城まで来たんだけど、リリルハさんは、まず、その周りの様子を見て、何かを感じたようですごく難しい顔をしていた。
「見張りがいないなんておかしいですわ。あれでは、簡単に侵入できてしまう」
「あ、ほんとうだ」
お城の入り口の方を見ると、確かに見張りの人はいない。
それに、見回りをしている人もいないし、あれでは簡単に泥棒に入られてしまう。
「罠、ですわよね」
リリルハさんは、口元に手を当てて、何やら思案している。
そして、ブツブツと呟きながら、指で丸を作って、そこを望遠鏡みたいに覗き込んだ。魔法で遠くを見るためみたい。
でも、お城の窓は全部閉じられていて、中を見ることはできない。
人の動きも、あるのかないのかわからないし、中がどうなってるのか、全くわからなかった。
「うぅーむ」
それでもリリルハさんは、キョロキョロと、色んな所を見ていたけど、やがて、悩ましげな唸り声が漏らした。
「こんなあからさまに? と言っても、これは流石に。ですが、ここまで来て、怯え腰になっても仕方ありませんわよね」
何やら一人言を呟いて、そして、やっと結論が出たようで、リリルハさんは、目から手を離した。
「当たって砕けろ、ですわね。行きましょう、アリス」
「だいじょうぶなの?」
あんなに悩んでいたってことは、何か危険なことがあるってことじゃないのかな。
リリルハさんは、ポツリと、罠かもって言ってたけど、もし、それが本当で、これが、リリルハさんを捕まえるための罠だったら、リリルハさんが危ない目に遭っちゃうかも。
お姉ちゃんは、リリルハさんを捕まえたら、絶対にひどいことをする。
そんなの、嫌。
「大丈夫かどうかは、正直わかりませんわ。でも、望みはあります」
「のぞみ?」
「ええ、恐らく、竜の巫女には、私たちの位置がバレている。なのに、追手もよこさず、待ち構えているということは、私たちと対話をしようとする意思はある。かもしれないですわ」
最後の方は自信なさそうに、付け足された。
「かもしれない?」
「ま、まあ、大丈夫ですわ。そんな、いきなり攻撃してくることはないでしょうし。いえ、あり得ますけど。でも、もしそうなら、今すぐにでも攻撃してくるはずですから」
若干、自分に言い聞かせているようにも聞こえたけど、とりあえず、私たちは、お城の中に潜入することに決まった。
もちろん、ドラゴンさんには小さくなってもらっている。私の鞄に入ってもらって、いざとなったら飛んで逃げられるように。
「さあ、行きますわよ」
リリルハさんは、そろりそろりと入り口へ近づいていく。
見張りがいないとはいえ、いつ現れるかもわからないから、できるだけ隠れるようにして。見つからないように。
と、そこで思い出した。
「あ、そういえば、私、姿をけす魔法がつかえるよ?」
「え? そんな魔法があるんですの?」
リリルハさんは、すごく驚いていた。
あ、これって、珍しい魔法だったんだ。
リリルハさんは、目を見開いて、マジマジと私を見る。
「どこでそんな魔法を覚えたんですの?」
信じられないと言った様子で、リリルハさんは尋ねてきた。
どこで覚えたかと聞かれたら。
「えーっと、……あれ? えーっと」
改めて考えてみて、私は悩んでしまった。
この魔法。私はどこで覚えたんだろう。
最初から知っていたような気もするし、お姉ちゃんに教えてもらったような気もする。
だけど、お姉ちゃんから魔法を教えてもらったことなんてないはず。
最初から、私が知ってる魔法のはず。
でも、よくよく考えたら、ドラゴンさんを小さくする魔法だって、どうして私は知ってたんだろう。
それもまた、お姉ちゃんから教わったような気もするけど、やっぱりそれも、お姉ちゃんから教えてもらったことはないはず。
どんなに思い出そうとしても思い出せない。
「えーっと、えーっと」
「ああ、いいですわ、大丈夫です、アリス。無理に思い出そうとしなくても。ただ、なんとなく気になっただけですから」
頭をグリグリとして、なんとか思い出そうとしている私を見かねたのか、リリルハさんは私の手を止めた。
「それよりも、その魔法、アリスの負担にはなりませんの?」
「うん、大丈夫だよ。長い時間はできないけど」
「なるほど。城の中には入れれば、隠れる場所はたくさんあります。それで十分ですわ」
それもそうかも。
お城の中なら、私もそれなりに知ってるし、あまり人の通らない道を使って、お姉ちゃんの部屋に行ければ。
「わかった。じゃあ、やるね」
今の私なら、この魔法を簡単に使いこなせる。
魔法を発動させると、私とリリルハさんとドラゴンさんの姿が半透明のように見えた。
これは、同じ魔法をかけた人にだけ見える光景。
他の人は完全に見えないけど、同じ魔法を使っている人たちの間では、こうやって、微かに相手の姿が見えるようになっている。
じゃないと危険だからね。
「すごい。これ程高度な魔法が使えるなんて」
リリルハさんは、自分の手や足、私の姿を見て、かなり驚いていた。
触ったり、撫でたりして、透き通らないかを確認したりしている。
「これ、どれくらい続くんですの?」
「うーん。10分くらいかな」
正確に計ったことはないけど、今の私の魔力なら、それくらいは持つはず。もしかしたら、もっと長く持つかもしれないけど。
でも、確実なのは、それくらいだった。
「なるほど、わかりましたわ。ありがとう、アリス」
「ううん。どういたしまして」
リリルハさんは、さりげなく私を抱き締める。
微かに匂いを嗅がれているような気もしたけど、気のせいだよね。
「ふへ、へへへ。はっ! さ、さて、それじゃあ、行けるうちに、行ける所まで行きましょう」
一瞬、不気味な笑い声が聞こえてきたけど、リリルハさん、どうしたんだろう。
けど、すぐに気を取り直したように、顔を引き締めたけど。
それはともかく、私たちはそのまま、お城の中へと潜入していった。
だけど、そこで見たものは、お城の外の光景よりも、遥かに違和感のあるものだった。
「誰も、いない?」
いつもなら、お城で働いてくれている人も、大勢歩き回っているはずなのに、今日に限っては誰もいない。
歩く音も、話す声も、何も聞こえない。
まるで、お城の中には、誰もいないような、そんな雰囲気だった。
「これはもう、決まりですわね。竜の巫女は、私たちを待ち構えている」
これなら、姿を消す魔法も必要なかった。
そう思わざるを得ないような光景だ。
かといって、近くに誰かが隠れて潜んでいるようにも感じない。
本当に無人。
これには流石の私も、リリルハさんと同じ意見だった。
これは、私たちをここまでおびき寄せる罠だったんだ。
いや、罠ですらないのかもしれない。
ただただ、私たちが来るのを待っているのかも。そんな気がする。
「アリス。竜の巫女が、何処にいるか、わかります?」
「うん」
姿が消える魔法も解除して、私たちはお姉ちゃんのいる部屋へと向かっていった。
案の定、その道すがら、誰かに会うということもない。
そして、とうとうお姉ちゃんのいる部屋の前に辿り着いた。
中には誰かがいる気配。
もちろん、それはお姉ちゃんなんだろうけど。
私は何も言わず、視線だけをリリルハさんに向ける。
その視線に、リリルハさんは意図を察したようで、静かに頷いてくれた。
「入りなさい」
と、そこで、部屋の中から声が聞こえてきた。
お姉ちゃんのだ。
その声は、驚いた様子もなく、淡々としていて、あたかもここに来るのを予想しているような感じだった。
やっぱり、何もかもわかっているんだね。
そうとなれば、躊躇う必要もないとばかりに、リリルハさんは、1度だけ息を吸って、部屋の襖を開けた。
シンと静まる部屋の中に、いつもの場所に座るお姉ちゃんは、私たちを見るとニヤリと不気味に笑った。
ただそれだけで、部屋の温度がガクッと下がったような気がする。
「失礼しますわ」
だけど、それに物怖じせず、リリルハさんは部屋に入っていく。
そして、私もそれについていった。
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