第83話
シンと静まり返った部屋の中で、お姉ちゃんはただ静かに座って、私たちの方を見ていた。
入りなさい。
お姉ちゃんは、そう言った。
だから私たちは、お姉ちゃんの近くまで歩いていくけど、その間、お姉ちゃんは一言も発しなかった。
ある程度近付いた所で、リリルハさんは足を止める。
「お初にお目にかかりますわ、竜の巫女様。お会いできて光栄ですわ」
座ることもなく、立ったまま言葉を放つリリルハさんは、お姉ちゃんの一挙手一投足を警戒しているようだった。
すぐにでも逃げられるように警戒しておく。危険があれば、すぐにでも逃げること。
というのは、リリルハさんとの約束。
そのために私たちは、お姉ちゃんから少しだけ離れて、お姉ちゃんの真意を探ることにした。
「ええ、こちらこそ」
短く言うお姉ちゃんは、言葉とは裏腹に表情は無表情。
そして、その視線は私の方に向く。
「アリスも、おかえりなさい。怪我はなかったかしら?」
「え? あ、う、うん」
リリルハさんには向けなかった笑顔を、お姉ちゃんは私に向ける。
その表情は、リリルハさんのことなんて、もはや見えていないような風だった。
「そう、それはよかった」
口調は柔らかくて、優しい雰囲気は、やっぱりお姉ちゃんが悪いことをしているなんて思えない。
私は、リリルハさんの少し前に出て、お姉ちゃんに話を聞いてみることにした。
「あ、あの、お姉ちゃん」
「アリス、本当によくやったわ」
「え?」
お姉ちゃんがニコッと笑うと、バチンと何かが弾ける音がした。
「っ! ぐ、うぅ」
「リリルハさん!」
途端に体が微かにピリピリと痺れるような感覚に襲われる。だけど、それほど辛いものではなくて、静電気よりも弱々しいものだった。
けど、それは私だけで、リリルハさんは、その感覚に、激しく襲われたようで、体を押さえて、その場に踞ってしまった。
「リ、リリルハさん、大丈夫?」
「くっ。これは、な、なんです、の?」
苦しそうに呻くリリルハさんは、胸元を押さえて、魔法を使おうとしていた。
なのに。
「魔法が、使えない?」
リリルハさんが、どんなに魔法を使おうとしても、そこには何も起こらなかった。
試しに、私も魔法を使おうとしたけど、何故か、魔法を使うのがものすごく大変で、いつものような魔法は何も使えなかった。
辛うじて、小さな魔法を使えたけど、初歩も初歩の魔法しか使えない。
「ふふ。流石はアリスね。この中でも、一応、魔法を使えるなんて」
「どういうこと? なにをしたの?」
私が問いかけると、お姉ちゃんは、薄ら笑いを浮かべて口を開いた。
「この部屋にある魔力を、ゼロにしたのよ魔力を吸い付くす魔法を使ってね」
お姉ちゃんは立ち上がり、ゆっくりと私たちに近寄ってくる。
「この部屋の魔力をゼロにする。つまり、この空間にいるあなたたちも同様よ。もちろん、私は例外だけど」
そして、近寄ってきたお姉ちゃんは、優しくそれでいて無理やり、リリルハさんの顔を自分の方へ向けさせた。
「魔法を扱える者は、無意識のうちに、自身の生命活動に魔力を消費しているわ。それがゼロになれば、苦しくなるのは必然」
まあ、死ぬほどではないけど、と、お姉ちゃんは付け足す。
私が魔法を使おうとした時に感じた、いつもにない、重苦しい感覚は、私の魔力が吸われていたからなんだ。
「まあ、アリスの場合、吸い付くすよりも、魔力の生成の方が早いみたいだから、多少の魔法は使えるみたいだけど」
なるほど。私が魔法を使えたのはそう言う理屈なんだ。
「でも、なんでこんなことを」
「何を言ってるの。敵を抵抗させないためでしょう」
お姉ちゃんは、さも当たり前と言うように溜息混じりに答えた。
そこで私は、改めて、お姉ちゃんが未だに、リリルハさんたちを敵扱いしていることを思い出した。
「お、お姉ちゃん。その件で、少しだけ私のはなしをきいて?」
リリルハさんたちは悪い人じゃないって、話を聞いてくれれば、絶対にわかってくれる。
そのためにここまで来たんだから。
だけど、私の思いは意図も容易く壊されてしまった。
「知ってるわ。あなたがこの女に拐かされたことくらい」
「かど、わ?」
お姉ちゃんが、何を言ってるのか、よくわからなかったけど、多分、誤解は解けていない。
もちろん、まだ何も話してないんだから、当然なんだけど。
「あ、あのね、お姉ちゃん。リリルハさんはね? すごくいい人だよ?」
「ええ、わかってるわ。あなたは優しいから、そう信じたのね」
お姉ちゃんは笑いながら、リリルハさんの首を掴んだ。
「かはっ!」
「でも、聞いて、アリス。この女は、私たちの敵よ。どんなに取り繕おうと、それは変わらない」
一瞬、リリルハさんに向けた目は、冷酷無慈悲で、今すぐにでも、リリルハさんの首を握りつぶしそうな勢いだった。
「や、やめて!」
私はすぐにリリルハさんの首にかけられたお姉ちゃんの手を払いのける。
思っていたよりも簡単に離れたお姉ちゃんは、能面のような笑顔で、私を見る。
「どうして?」
優しく問いかけられる。
だけど、その問いかけは、ひどく冷徹で思わず体が恐怖に震えた。
その言葉の裏には、本気の疑問と、口出しをするなという、明確な威圧があった。
私はそれに怯えてしまい、次の言葉が出せなくなったが、苦しそうにしているお姉ちゃんを見て、なんとか踏みとどまり、口を開く。
「だ、だまされたわけじゃないよ。リリルハさんは、本当にわるい人じゃないの」
「悪い人じゃないから、私たちの邪魔をしない。そう考えているの?」
「……え?」
思わぬ言葉に、私は言葉を失った。
そんな私に、お姉ちゃんは畳み掛けるように言う。
「言ったわよね。この人たちは必ず、私たちの邪魔をするって。それは、この人間が良い人かどうかなんて、関係ない。関係するのは、お互いに何処に利があるか、よ」
難しい話で、私にはよくわからない。
だけど、多分、お姉ちゃんの言いたいことはこうだ。
この人たちは必ず私たちの前に立ちふさがる。
そう言いたいんだ。
私たちの前に立ちふさがるなら、それは私たちの敵ということ。
確かにその通りだ。
リリルハさんが悪いことをしなくても、リリルハさんたちにとって、都合の悪いことであれば立ちふさがるのは自然。
それに、リリルハさんは、一度ここに来て、姫さんたちと対峙している。
それは、そのまま、お姉ちゃんの言うことが正しいという証明になるんじゃないか。
私はリリルハさんが悪い人じゃない。
だから、敵じゃないと、簡単に考えていたけど、話はそんなに簡単じゃないのかも。
「わかってくれたかしら? なら、邪魔をしないで」
何も言えない私が納得したと思ったのか、お姉ちゃんはまた、リリルハさんに掴みかかる。
リリルハさんは、避けようと身をよじるけど、辛そうな体は、動かすのだけでも大変そうで、そんな状態でお姉ちゃんから逃げられる訳がなかった。
「ぐ、うぅ」
すぐに捕まったリリルハさんは、なんとか逃げようと暴れていた。
だけど、その動きも弱々しく、首を絞められていて、息もできないでいるようだった。
「ま、まって」
そんなリリルハさんが見れなくて、私はまたしてもお姉ちゃんを止める。
どうしてそんなことをするのか、私にもわからないけど、お姉ちゃんは無言で私を見た。
「かはっ! げほっ、ごほっ!」
その間で、リリルハさんを締め付ける力が弱まったのか、呼吸ができるようになったリリルハさんは、激しく咳き込んだ。
それでも、手はリリルハさんを掴んだままで、いつでも力を込めることができる。
「おねがい、乱暴はしないで」
もはや、なんでこんなことを言っているのかわからない。
リリルハさんを庇わなければいけない理由がわからない。
だけど、リリルハさんに傷ついてほしくない。
ただ、その思いでいっぱいだった。
「話し合えばぜったいなかよくなれるよ。敵なんかじゃないの。なかよくなれるの!」
お姉ちゃんなら、わかってくれると思った。
今はお互いに誤解しあってるだけで、少し話せばなんとかなると、信じたかった。
お姉ちゃんの瞳は、何一つ揺れ動くことなく、真っ黒なまま私に向いている。
何を考えているのか。
感じているのか。
私にはわからない。
だけどやがて、お姉ちゃんは、リリルハさんの首から手を離した。
「お姉ちゃん」
わかってくれた。
そう思った。
その時。
「きゃ!」
バチンと、頬に強い痛みが走った。
一瞬、何が起きたかわからなかったけど、すぐにお姉ちゃんが、私の頬を叩いたのだとわかった。
そんなに強い力ではない。
でも、はっきりと、間違いなく狙って、私の頬を叩いた。
「お姉、ちゃん?」
「アリス。私はこれも言ったわよね。あなたは私の言う通りにすれば良いと、それがあなたのためになると」
確かに言われた。
お姉ちゃんが、私のためを思って色んなことをしてくれていると、私も思っていた。
「なのに、何故、あなたは私よりも、この人間を信じるのかしら?」
「ちが、わたしは、お姉ちゃんも、しんじて……」
「いいえ、違うわ。あなたは私を信じていない」
きっぱりと言われて、私はなんだか泣きそうになってしまった。
お姉ちゃんのこと、信じてるのに。
誰よりも信じてるのに。
それを信じてもらえないのが、すごく悲しかった。
「頭を冷やしなさい、アリス。この人間は、しばらく生かしておいてあげる。どうせ処刑するのだし、牢屋にでもいれておけば良いわ」
お姉ちゃんに首を絞められていたリリルハさんは、魔力を吸い付くされている苦痛も合わさって、気絶しているようだった。
「一週間後、この人間を処刑する。それは、あなたがやりなさい、アリス」
「……え?」
お姉ちゃんは、光のない瞳で、私に言う。
「もう一度、考えなさい。あなたのことを一番想っているのは、誰なのかを」
それだけ言うと、お姉ちゃんは元の位置まで戻っていって、魔法で誰かに合図したようだった。
すると、何人かの人が来て、リリルハさんを何処かへ連れていってしまった。
私はそれをただ見つめていることしか、できなかった。
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