第64話

 甘い香りを鞄から感じながら、姫さんの物欲しそうな視線を感じながら、私たちは、目的地へと向かっていた。


 いつの間にか、周りは薄暗くなっていて、道も心なしか狭くなってきている。

 道は少し下り坂で、もしかしたら地下に向かっているのかも。


 だけど、歩けば歩くほど。

 目的地が近づく度に、何故か心が落ち着くような気がしていた。


 それは、安心感。

 まるで家に帰ってきたような感覚。リリルハさんの家に帰った時と、同じような感覚。


 どうしてそんな気持ちになるのかわからなかったけど、でも、多分これは、私の気持ちじゃなくて、りゅうのみこさんの気持ち。


 りゅうのみこさんが、落ち着いたような、安心したような気持ちになってるんだ。


「もうすぐっす」


 キョウヘイさんが言う。

 その言葉の通り、少し遠くに出口のようなものが見えて、少し明るくなっていた。


 それが見えた瞬間、りゅうのみこさんは、微かに歩みを早めた。それに合わせて、姫さんとキョウヘイさんも足を早める。


 それからの距離はほとんどなくて、すぐにその場所にたどり着いた。



「やっと、着いた」


 そうして、たどり着いた場所は、思っていたよりも明るくて、一瞬、眩しさに目を細める。


 それから徐々に目が慣れてきて、全体が見えるようになってくると、視界に、大きくて綺麗な結晶が飛び込んできた。


 その結晶は、キラキラと輝いていて、ゆっくりと回っている。

 中には何かがあるような気もするけど、光のせいでよくわからない。


 これ、なんだろう。


「巫女様の勅命により、守り続けてきました。傷1つ付いていません」


 守り続けてきたって、しかも、りゅうのみこさんの言う通りって、どういうことだろう。


 何もわからなかったけど、後ろでは姫さんが、部屋の入り口の方でキョウヘイさんと一緒に立ち止まって、顔を下げていた。


 まるで、決して結晶を見ないように。


「当然ね」


 りゅうのみこさんは、ゆっくりと近付き、結晶に触れる。


 結晶は、ひんやりと冷たくて、姫さんが言うみたいに、傷なんてない綺麗な手触りだった。


 りゅうのみこさんは、あんなことを言ってきたけど、傷が付いてないことにホッとしてるみたいだった。


 それから、りゅうのみこさんは、姫さんたちの方を向いて、冷たく言い放つ。


「あなたたちは戻ってなさい」

「はい」


 そう言われると予想していたのか、姫さんたちは、りゅうのみこさんの言葉にすぐに部屋を出ていった。



 コッコッと足音が遠くなっていく。

 気配も遠くなっていく。


 それを確認して、りゅうのみこさんが、また結晶の方に視線を戻した。


「これ、何かわからないわよね」


 うん。わからない。

 りゅうのみこさんの大切なものだということはわかるけど。


「大切なもの。まあ、そうね。だけど、そう言う次元の話じゃないわ」


 どういうこと?


「これは、私自身なのよ」


 これが、りゅうのみこさん?


 見ても、ただの結晶にしか見えないけど。

 もしかして、この中に入っているのが、りゅうのみこさんなのかな。


「まあ、そういうことよ。竜狩りに負けた私は、こうして結晶になった。これは、あなたも同じよ。死に瀕した時、こんな風に結晶になるの。そして、この結晶が砕けると、本当の意味で死ぬの」


 え?

 それって、もしかして。


「ええ、私はまだ復活することができる」


 そうなんだ。よかった。


「よかった、ね。まあ、あなたならそう思うわよね」


 りゅうのみこさんは、呆れたに言う。

 どうしたんだろう。


「あなたの体をいつまでも借りるのは、申し訳ないから、私は自分の体を取り戻したい。あなたも協力してくれる?」


 もちろんだよ。

 りゅうのみこさんが、元に戻れるのなら、私も嬉しいもん。


「そうよね。そう言うと思ったわ。じゃあ、早速、始めるわ。特にあなたはなにもしなくて良い。このまましばらく体を貸してくれれば」


 うん。わかった。


 私の返事に、りゅうのみこさんが軽く頷くと、結晶に手を添えて、グッと力を込めた。

 すると、スルッとスライムのように、手が結晶に入り込んでいった。


 ちょっとだけ、気持ち悪い感覚。


「私も初めてだけど、大丈夫そうね」


 一人言のように呟くと、さらに結晶へと手を突っ込む。

 右手は完全に埋まって、それよりさらに体を突っ込んでいく。


 結晶に入り込めば入り込むほど、結晶は強く光っていく。


 それと同時に、体の感覚が鈍くなっていく。

 というより、りゅうのみこさんの意識が遠退いていく、と言った方がいいのかな。


 今まで一緒にいたりゅうのみこさんが、遠くに行ってしまうような、そんな感じ。


 そして、体が完全に結晶に入り込むと、目の前に青い光が広がって、目も開けていられなかった。


「大丈夫?」

「う、うん。あれ?」


 声が出た。自分の意思で声が出せた。


 ということは、体が元に戻ったんだ。

 だけど、りゅうのみこさんの声も聞こえてきた気がする。

 それに、私の声ではなかったような気がする。だけど、何処かで聞いたことがあるような。


「もう目を開けても大丈夫よ」


 りゅうのみこさんらしき人の声が聞こえてくる。


 目を開くと、そこには、綺麗な女の人がいた。

 見たことのない、人ではない。


 この人、あの人だ。

 私が記憶の欠片を手に入れた時に、いつも見ていた記憶の中にいた人。


 そうだ。この声も、あの記憶の中にいた人の声なんだ。


「あ、じゃあ、復活できたんだ!」

「ええ、そうよ。成功したわ」


 よかった。

 私は自分のことのように嬉しかった。


 だって、あんな結晶に閉じ込められたままなんて、悲しすぎるもん。


 私は思わずりゅうのみこさんに抱きついた。


 いきなりのことなのに、りゅうのみこさんは、私のことをしっかりと受け止めてくれた。


 さっきの結晶とは違う、暖かい心地。


 本当にそこにいるんだ。

 よかった。これで一件落着だね。



「ええ、そうね。これでやっと、やり直しができる」

「うん。そうだね。……やり直し?」


 何のことを言ってるのかわからなくて、私はりゅうのみこさんに抱きついたまま、顔を上げた。


 りゅうのみこさんは、私の方なんて見ていなくて、何処か遠くを見ているようだった。


「やり直しって何するの?」

「ずっと話していたわよね。私が昔、何をしようとしていたのか」


 それを聞いて、私はハッした。


 忘れていた訳じゃない。

 でも、私の答えを否定しないって言ってくれた。だから、諦めてくれたんだと思ってたのに。


「あなたの答えは否定しないわ。だけど、私の答えは変わらない。それは、あなたと同じよ」


 私の肩を掴んで、りゅうのみこさんが、私を引き離した。


 そして、真剣な顔で私の方を見つめてくる。


「もう一度聞くわ。私は、人間は一度滅ぶべきだと思ってる。この答えは決して変わらない。あなたはどうなの?」


 りゅうのみこさんの目は、黒く染まっていて、だけど、炎のように燃えるような確固たる意思も込もっていて、私の言葉で揺らぐとは思えなかった。


 だけど、私の答えだって同じ。

 リリルハさんたちとお別れなんてしたくないし、悪い人だけじゃなくて、良い人だっていっぱいいると思ってる。


 だから。


「変わらないよ」

「……そう」


 りゅうのみこさんの表情は変わらない。

 それがどういう感情なのか、もうわからない。


 さっきまでは、自分の感情も、りゅうのみこさんの感情も、共有されていたのに、今は何もわからない。


 それでも、私は。



「わかったわ。何度言っても変わらないのね」


 しばらく黙っていたりゅうのみこさんは、やがて顔を背けて、吐き捨てるように言った。


「私の意思は変わらない。あなたの意思も変わらない。それがどういうことか、あなたにわかる?」

「どういうこと?」


 りゅうのみこさんは、背中を向けている。

 だから、どんな顔をしてるのかわからない。


 だけど、なんとなく嫌な予感がした。

 何と言えば良いのかわからない、ただの直感。


 だけど。聞きたくない言葉を聞かされるような、そんな直感がした。


 振り向いたりゅうのみこさんは、ひどく冷たい目をしていて、私はゾッとした。


「あなたとあたしは敵同士ということよ」



 その瞬間、目の前が真っ黒になって、意識を失った。

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