第56話

「私のせんじん?」


 せんじんって何だろう。

 言葉の意味がよくわからなかった。


「私はあなたと同じ存在。だけど、あなたよりも先に存在した。わかった?」

「あ、うん」


 りゅうのみこさんは、少しぶっきらぼうな顔をしていたけど、優しく教えてくれた。


 態度だけを見ると、不機嫌そうに見えるんだけど、多分、この人は優しい人なんだと思う。

 なんとなく、雰囲気で。


 それにしても。


「私とおなじ存在?」


 私はまたしても疑問だった。

 今度は言葉の意味はわかる。何を言っているのかはわかる。


 だけど、それがどういうことなのかは、さっぱりわからなかった。


 そんな私に、りゅうのみこさんは、嘆くようにこめこみの辺りを押さえた。


「まだ、思い出してないのね?」

「えっと、あ、うん」


 何を思い出してないのかはわからなかったけど、記憶がないのは確かだから、私はそのまま頷いた。


 すると、りゅうのみこさんは、岩の所で座って、私とドラゴンさんを交互に見比べた。


「どこまで思い出してるの?」


 りゅうのみこさんが問いかけたのは、私ではなかった。

 私の隣にいるドラゴンさんだった。


「あ、ドラゴンさんは話せないよ?」

「わかってる」


 りゅうのみこさんは、私には目もくれない。


「ブウウウン」


 ドラゴンさんは、何かを表現するように鼻息を鳴らした。


「ブウウウン」


 それから何度が同じように鼻息を鳴らす。

 私には、ドラゴンさんが何を言ってるのかわからなかった。


 いつもみたいに、こんなことを言ってそう、というイメージすら思い浮かばない。


 だけど、何故か、りゅうのみこさんには伝わっているみたいで、りゅうのみこさんは、時々、ふーん、なんて漏らしながら、ドラゴンさんの声を聞いていた。


「まあ、まだそんなに日も経ってないのね」


 りゅうのみこさんは、理解したわ、と言って、岩の上にまた立ち上がった。


「でも、最低限の知識はあるわよね? 私のことが一応、わかるみたいだし」

「えーっと、でも、あなたのこと、くわしくは知らないの」


 お名前はわかる。

 過去にどういうことがあったのかも、聞いた限りではわかる。


 そして、記憶の欠片で見た、断片的な記憶もわかる。


 でも、それだけ。

 そこまで詳しいことはわからない。


「それで十分よ。私の最期さえ覚えていれば」


 最期、という言葉に、私はさっき見た、記憶のことを思い出した。


 無惨に殺されたドラゴンさん。

 そして、最期の瞬間まで戦い続け、負けてしまったりゅうのみこさん。


 どの光景も、私にとって、嫌なもので、気持ち悪いもので、恐いものだった。


 私は何気なく、自分の体を擦る。

 そんな私に、ドラゴンさんが優しく体を抱き寄せてくれた。


「あなたは、あの光景を見て、どう思った?」

「え?」


 唐突な質問に、私はりゅうのみこさんを見る。

 りゅうのみこさんは、私の方を見て、真剣な目をしていた。


 私は、あのときの光景を頭に浮かべて、そして、答える。


「恐かった」


 恐かった。


「何が恐かったの?」


 答えてすぐに、りゅうのみこさんが、また質問をしてくる。

 何が恐かったのか。それは。


「人」


 人の狂気。

 何も悪いことをしてないはずのりゅうのみこさんを、寄ってたかって責め立てて、ドラゴンさんまで殺してしまった人の強行。


 あそこまでの狂気を、私は今まで見たことがないから。


 リリルハやレミィさんやシュルフさん。アジムさんやミスラさん。ウンジンさんやライコウさん。テンちゃんやみんな、モナノフさんやクリストフさん。


 私が今まで見た人たちは、みんな優しい人たちばかりだったから。


「あんな人たち、見たことなかったから」


「それは違うわ。あなたも見たことがあるはずよ。人の狂気を」

「それは……」


 りゅうのみこさんの目は、私を貫いていた。

 私の心を貫いていた。


 本当はわかっている。

 優しい人たちばかりじゃない。


 デリーさんのような人もいた。

 シュンバルツさんのような人もいた。


 リリルハさんの町で、初めて会った門番の人たちも、最初は恐い表情をしていた。


 優しい人たちばかりじゃない。

 恐い人たちだって、たくさんいた。


 それをいつも、リリルハさんやドラゴンさんが助けてくれたから、だから、私は優しい人もたくさんいるんだってわかった。


 だけど。


「ふふ。世界には、どうしようもない人間がたくさんいる。そう思わない?」


 りゅうのみこさんの目は、黒く染まっている。

 光はない。

 漆黒に染まり、その色は絶望を表しているようだった。


 そんなりゅうのみこさんに、私はかける言葉が見つからなかった。


 違うよって。

 そんな人たちばかりじゃないよって。


 そう言ってあげたかったのに、あの光景を見た私には、そんなことを言える自信がなかった。


「リリルハさんは、優しい人だったよ?」


 辛うじて言えたのは、それだけ。


 だけど、その一言も、りゅうのみこさん鼻で笑う。そして、吐き捨てるように、馬鹿にするように冷たい声が聞こえてきた。


「あなたは、その人の何を知ってるの?」

「え?」


 りゅうのみこさんは、岩の上から私を見下ろす。不敵な笑みを浮かべて。


「本当にその人は、優しい人なの?」

「や、優しい人だよ。だって、いつも私を助けてくれるもん」

「助けてくれる。だから?」

「え?」


 りゅうのみこさんは、なおも笑みをやめてくれない。


「えっと、だって……」

「人を助ける理由なんて、たくさんあるわ。親切心というのも、確かに理由の1つとして言えるかもしれない。だけど、それ以外にもあり得るんじゃない?」

「どういうこと?」


 本当にわからなかった。

 だけど、りゅうのみこさんの言葉は、私の胸にズシズシと突き刺さっていく。


「例えば、あなたを助けることで、その人は何か得をするのかもしれない。だって、あなたはドラゴンさんと一緒にいるのよ? 味方にすれば、これ以上心強い存在はいないわ」

「そ、そんなこと、リリルハさんは考えてないよ」

「何故? 何故そう言えるの?」

「それは……」


 何を根拠にそんなことが言えるのか。

 そんなの、わからないよ。


 でも、リリルハさんはそんなこと考えてない。

 ただ、私が困ってたから、助けてくれただけ。


「わ、私は、リリルハさんがどういう人なのか、知ってるもん」

「いいえ、あなたはその人のことを何も知らないわ」


 私の言葉に被せるように、りゅうのみこさんが否定する。


「あなたは、その人のことを本当にすべて知ってるの? 最初は姉がいたことすら知らなかったのに。他にも知らないことはたくさんあるわ。なのの、あなたは、その人のことを本当に知ってると言えるの?」


 りゅうのみこさんの言葉は止まらない。


「その人のことを知っている。それだけで根拠になる訳がない。人は必ず何かを隠している。自分以外の人すべてに。なのに、その人のことを知ってるなんて、片腹痛いわ」


 何も言い返せない。


 私は、リリルハさんのことをすべて知ってる訳じゃない。

 それを言われてしまうと、何も言い返せない。


 それはリリルハさんに限ったことじゃない。

 私が出会ったすべての人に言えること。


 だけど。


 だけど、それじゃあ。


 それじゃあ、誰も、何も、全部、わからなくなっちゃうよ。


「いいえ。わかることはあるわ」

「わかること?」


 それは何?


「歴史よ」


 りゅうのみこさんが両手を広げると、ブワッて四角い額縁みたいのが空中に浮かび上がって、そこにいろんな光景が映し出された。


 そこには、色んな人たちが映っている。


「私は、ずっと見てきた」


 額縁の中に映る光景は、どんどん変わっていく。そこには、さっき見たような、恐い表情をする人もたくさんいた。


 人同士で争ったり、動物さんをいじめたり、また、人同士で争ったり。

 どうしてそんなことばかりするのか。

 どうしてそんなことができるのか。


 そう思うようなことばかりが映し出されていた。


「人間は、いつまで経っても、何も変わらない。愚かな存在」


 りゅうのみこさんは、呆れたように、諦めたように、吐き捨てるように言う。


 りゅうのみこさんの表情は、見にくいものを見るように、嫌悪感の滲んだものだった。


「なら、もう、そんな存在。いない方がいいんじゃない?」

「え?」


 それって。


「あなたには、それができる。人間を滅ぼすことかできる」

「そ、そんなことしないよ!」


 人間を滅ぼすなんて、そんなひどいことしたくない。


 さっきは何も言い返せなかったけど、でも、今度はちゃんと言う。

 そんなことしたら駄目だって。


「た、確かにひどいことをする人たちはいるよ。だけど、優しい人もちゃんといるもん。理由なんて言えないけど、リリルハさんたちは、絶対に優しい人たちだもん」

「あはは! 馬鹿な子ね」


 りゅうのみこさんは、私を嘲笑う。


「生まれてから、たった数日しか経っていないようなあなたが、知ったような口を利くじゃない」



「え?」


 生まれてから、たった、数日?

 どういうこと?


「ああ、まだ知らないんだったわね」


 嫌な予感がした。

 だけど、りゅうのみこさんの言葉を止めることはできない。


 それは、多分、私が知らないといけないことだから。

 そんな私に、りゅうのみこさんは、ふふ、と笑いかけた。


「あなたはね、この山で生まれたの。たった1人で、ドラゴンさんたちを導く者として」

「導く、者」

「嘘か信か、神は人々の行いを審判するために、1つの存在を作り出した。それが私。そして、私は、1000年前、世界を滅ぼそうとした。神の名の元に」


 りゅうのみこさんが、空に手を伸ばす。


「もう少しという所で、竜狩りと呼ばれる人に阻止されてしまった。神は、人間の抵抗に一定の評価をして、この世界は存続された。だけど、1000年後の今、神はまた、人間の行いを審判するために、新たな存在を生み出した」


 すごく難しい話。だけど、なんとなく、言いたいことはわかった。


 わかりたくないけど、わかってしまった。

 りゅうのみこさんは、空に伸ばしていた手を、私の方に向ける。


 そして。


「それが、あなた」


 そう、言った。


「あなたに思い出すような過去はない。あなたは、最低限の知識をもって生み出された存在。親もいない。兄弟もいない。そもそも、あなたは、人間とは違う存在なのよ」


 それは、私の知りたかった話であるはずなのに、私は、それをこれ以上知りたくない、そう思ってしまった。

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