第55話 その前に その七

「逃げられましたか。中々の手練れのようですね」


 リリルハたちを追っていた忍者からの報告に、ヒミコは溜息混じりに言う。


「ええ、引き続きお願いします」


 忍者からの声はとても小さく、ヒミコにしか聞こえていない。

 しかし、リリルハたちの捜索を命じられた忍者は、音もなく頷き、ソッとその場から立ち去った。



「ふぅ」


 誰もいなくなったのを確認すると、ヒミコは人知れず、今度は疲れた様子で溜息を漏らした。


 座布団に座り、目の前にあるビスケットに目を向ける。


「これ、美味しかったな」


 それは、リリルハたちが持ってきてくれたビスケット。

 毒味は終わり、すでに問題はないと判断されたものだが、ヒミコはそのお菓子がすっかりお気に入りになっていた。


 このビスケットを、また手に入れる方法はないかと密かに思案しているヒミコだったが、その時、ふと、部屋の外に人の気配を感じた。


「失礼するっす」


 若い男の声が聞こえたかと思うと、襖を開けて、キョウヘイが入ってきた。


「キョウヘイ。どうかしましたか?」


 姫の謁見にも関わらず、若干無作法な態度に見えるキョウヘイだったが、ヒミコはそれを指摘することはなかった。


 キョウヘイも、特に遠慮した様子もなく、ヒミコの前まで行くと、そこでやっと膝を付き、申し訳程度に、畏まる。


「実は、竜狩りの居所がわかったっす」

「竜狩りの?」


 リリルハたちの捜索とは別に、ヒミコは竜狩りの捜索も命じていた。


 それは、リリルハたちが、ヒミコの元に来るよりも、ずっと前から命じられていたもので、竜の巫女がもう一度現れた際に、障害となり得る存在を排除するためだった。


 しかし、竜狩りの存在は確認されても、中々居場所までは特定できなかった。


 そんな竜狩りが、このタイミングで見つかるというのは、ヒミコにとっては、重畳だった。


「それではすぐにでも……」

「それが、1つ問題があるっす」

「……問題?」


 意気揚々と竜狩りの討伐を命令しようとしたヒミコだったが、それをキョウヘイが諌める。


 手鼻を挫かれたヒミコは、不満げな表情をキョウヘイに向けるが、その真剣な表情に、ヒミコも顔を引き締める。


「何があったのですか?」

「竜狩りの捜索をしていた部隊が、ほぼ壊滅したっす」

「え?」


 竜狩りの捜索をしていた部隊とは、この国における精鋭を申し分なく集めた部隊であり、ともすれば、そのまま竜狩りの討伐を行える部隊だった。


 そのはずだった。


「特に仕掛けた訳じゃないみたいっすけど、感付かれて、やられたみたいっす。幸い、死者は出てないっすけど」

「そう、ですか」


 想定外の報告に、ヒミコは頭を悩ませていた。


 竜狩りの討伐は、特別な部隊を作り、集中的に対応する予定だったのだが、思ったよりも竜狩りの実力が高く、作戦を変えざるを得なかったのだ。


「やっぱり、俺が行くしかないっすよ」

「ですが、それは、危険ですよ」


 キョウヘイの提案に、ヒミコは不安げな目を向ける。

 それは、従者に向ける視線とは、少し違うものだったが、それがどういうものなのかは、誰にもわからない。


「誰が行っても危険っすよ」


 しかし、キョウヘイは、あっけらかんとした口調で言う。


 毒気を抜かれたようなその笑顔に、ヒミコは1つ、諦めたように息を吐いた。


「わかりました。あなたに、竜狩りの討伐を命令します」

「うっす」


 命令されるや否や、キョウヘイはすぐに準備のため部屋を出ようと立ち上がった。


 勇ましく歩き出す姿も、ヒミコも頼もしいと思う反面、やはり不安な表情は拭えていなかった。


「キョウヘイ」


 部屋を出る直前、ヒミコがキョウヘイを呼び掛ける。


「なんすか?」


 振り向いたキョウヘイに、ヒミコはやや困ったような笑顔を向ける。


 そして。


「怪我はしないようにしてくださいね?」

「うっす」


 その声に、キョウヘイは満面の笑みを浮かべて、拳を上げた。


 部屋から出ていくキョウヘイを見送り、ヒミコは天井を見上げる。


「無事で、帰ってきてね」


 そう言うヒミコの目は不安に歪んでいた。

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