第57話
「あなたは、人間を裁くために生まれた存在。そして、ドラゴンさんたちは、そんなあなたの補佐をするために存在する。だからこそ、ドラゴンさんたちは、何があってもあなたに付き従ってくれる。私に付き従ってくれた」
りゅうのみこさんは、ドラゴンさんを慈しむように手を伸ばす。
ドラゴンさんは、そんなりゅうのみこさんに顔を寄せて、嬉しそうに撫でられている。
「私が生まれたのもね、ここなのよ」
りゅうのみこさんは、懐かしむように周りを見回していた。
「この子は、私と一緒にいたドラゴンさんの子供ね。よく似ているわ」
グルルッと、ドラゴンさんから気持ち良さそうな声が漏れる。
信頼しきっているような表情は、私も見たことがなかったから、それが少し悲しかった。
だけど今は、それよりも聞かなきゃいけないことがある。
「私って、人間じゃないの?」
私が人間と違う存在。
私には、思い出すような過去がない。
突拍子もない話は、普通なら信じられないような話だけど、頭ごなしに否定のできるような話でもなかった。
だから、もう一度、聞くしかなかった。
私の質問に、りゅうのみこさんは、少しだけ何かを考えるように私の顔を見て、やがて、静かに頷いた。
「あなたや私は人間よりも遥かに高等な存在よ。神の使いとして、ドラゴンさんを統べる者でもある」
正直、私には信じられなかった。
私の知りたかった過去はそもそもなくて、しかも、私はドラゴンさんたちの、言わば、リーダーみたいな存在で、人間を滅ぼすか滅ぼさないかを決める存在だったなんて。
ううん。誰も信じられないよね。
私じゃなくたって。
だけど。
私の方を見るドラゴンさんは、この人のことを、心の底から信じているみたいだし、嘘を言ってるようには見えない。
それなら、本当に、私は。
「それで、どうするの?」
「……え?」
「あなたは決めなければいけないのよ。人間を滅ぼすかどうかを」
「そ、そんなことしないよ」
頭が追い付かないけど。
だけど、それだけはしない。
人間を滅ぼすなんて、絶対にそんなことしないよ。
だって、人間を滅ぼすってことは、リリルハさんや、他のみんなも滅ぼすってことだよ。
そんなの、絶対、嫌だ。
「はぁ。やっぱりあなたは、まだ幼すぎるのね」
りゅうのみこさんの私を見る目が、同情するように、可哀想なものを見るものに変わっていた。
そして。
りゅうのみこさんは語る。
「人間に生きている価値はないわ。これは、私が今まで見てきた結論よ。私は殺されてからも、ずっとこの世界を見ていた。あなたが、ここ数日、世界を見てきた、その何百倍も長い時間を」
実感の込もった言葉は、すごく重みがあった。
「人間の表面しか見ていないあなたには理解できないかもしれない。だけど、この世界にいる人間は、例外なく、悪意に満ち溢れてるわ。優しい人もいるって、あなたは思っているのかもしれないけど、それは、ほんの一部の話でしょう? それが世界に広がることはない」
りゅうのみこさんは、拳をこれでもかと力いっぱいに握る。
「悪意は伝染する。善意は伝染しない。善人が悪人になることはあっても、悪人が善人になることはない。悪意にさらされた人間は悪意に染まる。そうして、世界は悪意に溢れていく。私の時がそうだった」
りゅうのみこさんが見せてくれた、さっきの光景が頭をよぎる。
「自分とは違う存在を否定して、理解しようともせず、排除しようとする。僅かに会話ができても、悪意のある言葉に引き寄せられて、また私を排除しようとした。それは世界に広まって、私を助けてくれる人は、誰もいなくなった。そしてそれは、あなたにも言えることよ」
「そんな、こと……」
ないって、はっきり言いたかった。
だけど、りゅうのみこさんの目を見ると、そんなこと言えなかった。
私の言葉がすごく軽く思えて、何も言えなかった。
「あなたに優しい人も、あなたの事情を知れば、態度を変えるかもしれない。いえ、必ず変えるわ。そして、その人たちが離れれば、他の人にもそれは伝染する。そして、少しずつあなたの味方はいなくなって、敵が増えていく。それは、世界中に広がって、世界中があなたの敵になる」
想像しただけで恐かった。
リリルハさんたちが離れて行ってしまうのが。
「人間はそういう存在よ。他者を認めることができない。自分さえ良ければいい。根底にはそんな考えが渦巻いている。醜い生き物よ」
だから、と、大きな声でりゅうのみこさんが言う。怒鳴るように言う。
「一度、人間は滅ぶべきよ。もう一度、生まれる所からやり直すべきよ。そうすれば、神はまた、違った人間を作ってくれるはずだから」
「違う人間って」
それって、人間って言えるのかな。
みんなが滅んで、新しい人たちが生まれて、でもその人たちは、今まで来た人たちとは違う人たちで、受け継いできたことも、語り継いできたことも、何もかもがなくなっている。
そんな人たちが、同じ人間って言えるのかな。
だけど、もしかしたら、りゅうのみこさんが言うように、やり直せば、世界中の人が優しくなって、素敵な世界になったりするのかな。
私みたいな存在でも、みんなが受け入れてくれる。
恐い顔をした人のいない、素敵な世界になったりするのかな。
もしそうなったら、りゅうのみこさんみたいな、悲しい思いをする人もいなくなったりするのかな。
昔のドラゴンさんみたいの、殺されたりすることがなくなるのかな。
わからない。
そんな世界が本当にありえるのか。
そんな世界が本当に素敵な世界なのか。
わからない。
わからない。
でも。
私は。ただ。
「でも、リリルハさんたちと、お別れなんてしたくないよ」
私は、心の中にある、小さな思いを口にした。
りゅうのみこさんが言うような、説得力のあるような、実感の込もったような、自信のあるような言葉ではなかったけど。
ただ、純粋に、私はみんなとお別れすることが、絶対に嫌だった。
それは、私の、ただの我が儘なのかもしれない。
私に与えられた使命を無視する勝手なことなのかもしれない。
でも、それでも、私は、ただ単純に、リリルハさんたちとお別れなんてしたくない。
それだけは揺るがない事実だった。
私の言葉に、りゅうのみこさんは、何も反応しない。ただ、何かを探るように、静かに私を見ていた。
そして。
「そう。それがあなたの答えなのね」
りゅうのみこさんは、優しそうな笑みを見せてくれた。
「あなたは私と同じ存在。だから、あなたの出した答えを、否定なんてしないわ。先輩として、助言をしてあげることはできるけど」
りゅうのみこさんの雰囲気が、さっきよりも大分、柔らかいものに変わる。
よ、よかった。
怒られるかもしれないって思ってたから。
「ごめんなさい」
私はなんとなく謝ってしまった。
りゅうのみこさんが、色んなことを教えてくれたのに、それを否定したみたいになってしまって。
「いいのよ。私とあなたは対等よ。謝ることなんてないわ。だけど」
りゅうのみこさんは、やや困ったように笑って、トントンと自分が座る岩を叩いた。
「いつまでもここにいるのは退屈なのよね。私をここから、解放してくれない?」
「え? 解放って?」
そういえば、りゅうのみこさんは、最初から今まで、ずっと岩の上にいた。
ドラゴンさんを撫でる時も、自分から近寄ったりはしないで、ドラゴンさんが近寄っていっていたけど、それと関係あるのかも。
「えっと、解放ってどういうことかな?」
私はとりあえず、岩の近くに行った。
すると、りゅうのみこさんは、岩に手を触れたまま、下に降りてきてくれた。
「私はね、この岩に触れていられる範囲しか動けないの。まあ、魔法で、自由に世界を見て回れるから、そこまでの不都合はないんだけど、流石に、ジッとここにいるのも、気分的に退屈なのよ」
「へー、そうなんだ」
だから、ずっと岩の上にいたんだ。
「どうすればいいの?」
「あなたが岩に触れるだけでいいわ」
「それだけ?」
「ええ、それでこの岩は消えてなくなる」
「へー」
どういう仕組みなんだろう。
そもそも、どうしてりゅうのみこさんは、この岩に縛られてるんだろう。
そう思っていると、りゅうのみこさんは、可笑しそうに笑った。
「ふふ。よくわからないわよね。仕組みは難しいけど、理由は簡単よ。この岩は、私たちのような存在の、大きな記憶の欠片なの。あなたも、小さな記憶の欠片は手に入れてるでしょう?」
「あ、うん」
これ、大きな記憶の欠片なんだ。
それにまず、びっくりだよ。
もう、記憶の塊だよ。というツッコミは、とりあえず、置いておこう。
今はまず、りゅうのみこさんの話を聞こう。
「あの記憶の欠片は、あなただけのものじゃなくて、私たちのような存在、共通のものなのよ。そして、私は、今はまだ、そんな記憶の中の存在」
「あ、そうなんだ」
びっくり情報が多いよ。
こんなに普通に話してるのに、りゅうのみこさんは、記憶の中の存在なんて。
「記憶の中の存在だから、私は進化しないわ。だけど、ずっと生き続ける。だから、あなたが、この岩に眠る記憶を手に入れれば、それと一緒に、私はあなたと一緒に行動できるようになるということよ」
「うーん。なるほど?」
わかったような、わからないような。
「でも、とにかく、私がこの岩を触ればいいんだね?」
「ええ、そういうこと」
それなら簡単だね。
私は早速、岩に触れようとした。
その時。
「待て」
誰かの声が聞こえてきて、ビクッとした。
それは、突然聞こえてきたから、ということもあるけど、それよりも、聞きたくない声だったからというのが大きい。
私は出していた手を引っ込めて、後ろを振り返る。
するとそこには、やっぱり私が今、もっとも会いたくない人がいた。
「やっと見つけたぞ」
「竜狩り、さん」
そこにいたのは、この前出会った、竜狩りさんがいた。
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