第55話 その前に その五
「ここに書かれた内容を信じるのならば、そういうことになりますね」
書物に書かれていた内容を簡潔にまとめると、世界中の人間を竜の巫女と竜に滅ぼしてもらいましょう。
そして、そのために、そのことをヤマトミヤコ共和国で、代々、受け継いでいきましょう。
というものだ。
しかし、所詮、こんな書物に書かれた内容は、筆者の感想でしかなく、言ってしまえば言ったもん勝ちと、言えないこともない。
そのため、本来ならば、ここに書かれている内容を、ヒミコがその通りに実践しようとしているのかということは、なんとも言えない。
しかし。
「この部屋は、恐らく、限られた人間にしか解放されていない場所です。そこに保管されていた書物が、何の意味もないもの、ということはないでしょう」
この部屋は、魔法により閉ざされていた。
レミィは、そこまで苦労せず、この部屋に入ることができていたが、本来であれば、こう易々と、この部屋に来ることはできない作りになっていた。
レミィの魔法に関する実力は、実はウィーンテット領国内でも有数のものである。
ヤマトミヤコ共和国の平均的な魔法使いの実力は、リリルハたちの知る所ではないが、常識的に考えて、そうポンポンと存在するとは思えない実力者だ。
となると、この部屋に入れるのは、限られた人間か、もしくはレミィ程に類いまれな実力を持った魔法使いしかないということになる。
そんな場所にある書物が、ただの妄言をまとめたもの、なんてことは、レミィには考えられなかった。
「そうですわよね」
そして、それは、リリルハも同様だった。
「ヒミコたちが、アリスを探してる理由は、なんとなくわかりましたわ。過激な思想を持っている一族ということですわね」
「過激なんて、とんでもない」
「っ!」
そんな会話をしている最中、突然聞こえてきた声に、リリルハたちは、驚いて振り向いた。
すると、そこにいたのは。
「ヒミコ」
部屋の入り口に立っていたのは、ヒミコだった。
ヒミコは、護衛と思われる、若い男と一緒におり、その表情は、何を考えているのかわからない無表情だった。
ヒミコを守るように男が前に出て、剣を構えて、リリルハたちを睨んでいる。
しかし、そんな視線を無視して、レミィはヒミコだけを見ていた。
「この部屋に繋がる扉には、魔法をかけていたはずですが?」
「ええ。驚くほどに高度な魔法でしたね。でも、私も、それなりに魔法を得意としておりまして」
得意気な顔のヒミコは、人差し指の先に、魔法で蝶を作り出して見せた。
その蝶は、綺麗な形をしていて、光り輝く姿はとても幻想的だった。
その蝶を見れば、魔法の実力がある程度わかる。それが、実力者であれば尚更。
レミィは、感心したように笑いながらも、さりげなくリリルハを背中に隠した。
「なるほど。最初に会った時には気付きませんでしたが、少し見くびっていたようですね」
素直に反省した様子のレミィではあったが、その口調は全く悪びれていなかった。
むしろ、今まで会った中でも、類を見ない実力者に、楽しげな様子すら見せていた。
「あなたとは、そのうち、時間を取ってお話ししたい所ですね」
「そのうちじゃなくても、すぐにお話しならできますよ」
ヒミコも、レミィに対して挑戦的な目付きを向ける。
それから、お互いに、しばらくの間、無言の時間が過ぎた。
そして、その沈黙を破ったのは、リリルハだった。
「あなたたちの目的は一体、何なんですの?」
今はまだ、ただの推測でしかない答えを、リリルハは問いかけた。
先ほどの会談でも、ヒミコたちは、アリスに興味を持っている、という話だったが、ただ会いたいから、という訳でもないだろう。
リリルハの問いに、ヒミコは少しだけ笑い、口を開いた。
「その本、読んだのでしょう? なら、言う必要はないのでは?」
それは、はっきりとした言葉ではなかったものの、リリルハたちにとっては、明確な答えだった。
「アリスは、そんなことをする子ではありませんわ」
リリルハは強い口調で言う。
しかし、そんな反応すらも、ヒミコは笑顔で流した。
「それは、あなたが、アリス様のことを知らないからです」
「そんなことありませんわ。私はあなたより、アリスのことを、何十倍も知っていますわ」
「ふふ」
馬鹿にするという訳ではなく、かといって、好意的なものではない笑み。
ただただ、面白そうに笑うヒミコに、リリルハは怪訝な顔をした。
「何がおかしいんですの?」
「ああ、いえ、すみません。やはり、アリス様は素晴らしい方だと思いまして」
ヒミコの意味不明な言葉に、リリルハは首を傾げる。
「アリスが素晴らしいのは当たり前ですが、どうして今、そういう話になりますの?」
アリスが、素晴らしく、可愛らしい子だというのは、リリルハにとって、揺るがない事実である。
例えそれは、こんな場面であろうと、揺らぐことのない事実である。
しかし、それはさておいて、ヒミコがこんな場面で、リリルハに、そんなことを言ったのは、恐らくリリルハと同じ理由ではないだろう。
リリルハもそれは理解していた。
しかしヒミコは、その問いに対して、先ほどの会談の時と同じように、陶酔したような表情を浮かべる。
「あなたのような人間に、竜の巫女様の真意など、理解できるはずがありません。それであるにも関わらず、あなたの竜の巫女様への信頼は、凄まじいものがあるようです。それだけの信頼を勝ち取れるなんて、なんて素晴らしい方なんでしょう、と思ったのです」
ヒミコの言い分はかなり極端なものであるが、リリルハのアリスに対する信頼も、かなり極端なものであることを知っているため、レミィはなんとも言えない表情をしていた。
「ですが、真にあの方のことを思うのならば、あなたも、私たちと共に来るべきです」
「……何ですって?」
思いもよらない提案に、リリルハは眉を潜めた。
「アリス様は、現世に舞い降りた神そのもの。神の意思は、あの方の意思そのもの。あの方のことを思うのならば、その意思に従うべきではありませんか?」
ヒミコは1歩、リリルハたちに近寄る。
無防備に近寄る。
護衛の男は、気が気でない表情だったが、それでもヒミコの意思に任せているのか、1歩引いた所でヒミコの挙動をみていた。
ヒミコは、リリルハに手が届く所まで近付き、ソッと手を差しのべた。
「あなたとなら、一緒に世界を1から作り直します。さあ、一緒にアリスさまを崇めましょう?」
ヒミコの口調は、まるでリリルハが断るなんて、欠片も思っていないかのようだった。
実際、レミィも、アリスのためという言葉を用いられれば、リリルハはそちらに靡いてしまうのではないか、という懸念も少なからずあった。
アリスのことになれば、盲目になってしまうリリルハのことだ。
何も考えずに、アリスのため、という言葉に、飛び付いてしまっても不思議ではない。
しかし。
「馬鹿を言うんじゃありませんわ」
リリルハの返事は、明らかな否定の言葉だった。
「この世界の人間を滅ぼすのが、アリスの意思? そんな訳ありませんわ」
リリルハは、ヒミコが差しのべた手を払い、強く睨み付ける。
「あの子は誰よりも優しい子なのです。そんな子が、人間を滅ぼそうなんて、思うはずがありませんわ」
「それは、あなたが、アリス様を知らないから……」
ヒミコの言葉を遮るようにリリルハは力強く言う。
「何度も言わせないでくださいませ。私はアリスのことならなんでも知っていますわ。スリーサイズから、足のサイズ、身長に、何処を撫でられるのが好きなのかも、お風呂の時に何処から洗うのかも、お風呂上がりにはどんな香りがするなのかも、すべてわかっていますの!」
聞く人が聞けば、いや、大抵の人は思うのだろう。
そんなことまで知ってるなんて、なんて気持ち悪いんだろう、と。
しかし、今に限っては、ヒミコを怯ませるにはちょうどいいと、レミィは呆れながらも、微かに笑ってしまった。
驚くヒミコを置き去りにして、リリルハはさらに続ける。
「アリスは、優しい子です。もし、何か間違った行動をする人がいたら、ちゃんと話し合って解決できる子ですわ。あなたたちのように、暴力で解決しようなんて思わない子ですのよ」
ヒミコは黙ってリリルハの話を聞いていた。
黙っていたのか、唖然として声がでないのかはわからないが。
「人間を滅ぼすのは、アリスの意思? 片腹痛いですわ。そんなことに、私は協力しません。いいえ、断固として反対しますわ」
ギリギリと、歯を噛み締めて言うリリルハは、相当怒っているようだった。
しばらく何の反応もしないヒミコだったが、やがて、クスッと嗤った。
「そうですか。なら、仕方ありませんね。キョウヘイ」
「了解っす」
キョウヘイと呼ばれた男は、ヒミコの声に反応し、一瞬にして、リリルハの目の前まで飛び込んできた。
「え?」
「リリィ」
間一髪でその剣先からリリルハを守り、レミィが後ろに飛び退ける。
「協力しないと言うのなら、排除するしかありませんね」
キョウヘイに加勢して、ヒミコも魔法をリリルハたちに向けて放った。
それらすべてを防いだレミィは、リリルハの手を掴む。
「逃げますよ、リリィ」
「え? あ、はい」
一言だけ言うと、レミィは魔法で壁に風穴を開けて、ものすごい勢いで逃げていった。
しかし、ヒミコもそう簡単に、2人を見逃すということはなかった。
「逃がしませんよ、キョウヘイ。すぐに応援を」
「わかったっす」
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