第55話 その前に その三
「あー、疲れましたわ」
「お疲れさまでした、リリルハ様」
ヒミコとの会談を終え、一旦、客間へと案内されたリリルハは、自分たちの他に誰もいないことを確認すると、グテッと机にもたれかかった。
濁った溜息は、その疲れ具合をありありと表していて、レミィも若干苦笑いしていた。
今、2人は、ヒミコから夕食の誘いを受け、その準備の間を待っているという状況だった。
客間は、2人だけで使うには十分すぎるほどに広くて、さっきもあったが、座布団に座る形式になっていた。
仄かに香る木の匂いは、心を落ち着かせる不思議な香りで、リリルハも香りに当てられたのか、かなりリラックスしていた。
こんな姿を他国の要人、いや、それでなくても、他人に見せられる姿ではないだろう。
だが、隣にいるリリルハが指摘してこないということは、誰かに見られているということでもないだろう、と、リリルハは判断し、その体勢のまま、愚痴を口にし始めた。
「それにしても、お姉さまはいったい、何がしたいんですの?」
思い出されるのは、ヒミコとのさっきの会話。
アリスについての情報を、洗いざらい話してしまったエリザベートの真意についてだった。
と、言っても、自分にそれを理解することなどできない。リリルハはそう思い、レミィに尋ねた。
「私にもわかりかねます」
しかし、返ってきた答えは、ある意味でリリルハの予想通りであり、ガクッとする返答だった。
「まあ、そうですわよね。あのお姉さまが、そう易々と情報を言う訳ないですわよね」
だからこそ、他国の人間に、アリスの情報を漏らした理由がわからなかった。
「信用している。なんてことはないでしょうね」
「そうですね。というより、信用しているからと言って、なんでも話すとは思えませんし」
「それは確かに」
リリルハは疲れたように、もう一度溜息を漏らした。
考えてもわからないことはある。
エリザベートに関することでは、そういうことが多々あった。
しかし、結果的にはウィーンテット領国ためになる。
今まで、その事実だけは変わらなかった。
だからこそ、何も知らされていなくても、こんな国まで、言われた通りやってきたのだ。
しかし、それがアリスに関わることとなると、話は変わってくる。
「お姉さまは、アリスのことをどうするつもりなんでしょう?」
エリザベートは、アリスのことをどう思っているのか。それは、この問題に関して、最も重要なことだった。
エリザベートは、ウィーンテット領国のために動いている。
それはあくまで国のためであり、誰か、個人のためではない。
ましてや、まだ会って間もないアリスのことを、どこまで考えているのか。
「まあ、結果主義のエリザベート様なら、アリス様のことは、あまり考えてないかもしれませんね」
「やっぱり、そうですわよね」
アリスという存在が、ウィーンテット領国のためにならないというのなら、あるいは。
そんな懸念が、リリルハとレミィの頭の中に同時に浮かんだ。
「少し、探ってみた方がいいですわね」
リリルハは、決意を込めた瞳で立ち上がる。
アリスのためのなれば、たとえ火の中、水の中、そんな気概のリリルハに、レミィは呆れ顔。
「あまり勝手な行動はしない方がいいのでは?」
「アリスを危険な目に遭わせる訳にはいきませんわ」
何を言っても変わることのない様子のリリルハに、レミィは諦めたように溜息を溢した。
「仕方ありません。短時間で終わらせましょう」
レミィは、目の前の机にスススッと指で円を描く。その軌跡には、赤い模様が残り、それがグルグルと回る。
すると、周りの空間の景色が少し歪み、まるで蜃気楼のように、リリルハとレミィの姿がそこに現れた。
「完成度は高いですが、長くは持ちません。ササッと行きましょう」
「あなたは。また、サラッとそんなことを」
魔法によって作られたリリルハとレミィの姿は、近くで見ても、本物との差がわからない。
触ってみると、触れることはできない。
という違いはあるが、そうしない限り、この魔法に気付くことはできないだろう。
当然、魔法の痕跡は完璧に消されている。
少なくともリリルハには、この魔法の痕跡を見ることはできなかった。
これならば、相当な実力者でもない限り、ばれることはないだろう。
「まあ、助かりましたわ。これで時間稼ぎはできるでしょう」
リリルハは、襖をソッと開けて、外の様子を確認する。
見張りがいないか、念入りに見るリリルハだったが、どこにもそんな気配はなく、チラッとレミィを見る。
レミィも動揺のようで、コクリと頷く。
そうして、部屋の外へと出ていった2人は、人とすれ違わないように細心の注意を払いながら廊下を進んでいった。
本当は、魔法を使って探索をした方が効率が良いのだろうが、相手に魔法の関知をされる恐れも少なからずあるため、こうして歩き回るしかなかった。
「流石に広いですわね」
「リリルハ様、何か当てはあるのですか?」
こんなに広い建物を当てもなく探すのは、誰が考えても非効率的。
しかも、隠密かつ、短時間で完了しなければならないとなると、目標を絞らなければ、失敗するのは確実だった。
レミィな問いかけに、リリルハは振り向くことなく前を見ながら、誰にも聞こえないよう、小さな声で答えた。
「まず知らなければいけないのは、ヒミコたちが、どこまでアリスのことを知っているのかということと、今のアリスの居場所を知っているのかということですわ」
ヒミコから聞いた話をそのまま信じることはできませんし、と、リリルハは続ける。
その意見に、レミィも同意だった。
「あのエリザベート様が、何を意図したかはわかりませんが、そう単純な話でもなさそうですしね」
「ええ。そのためには、やはりリスクはありますが、ヒミコの部屋を探すのが1番ですわ」
エリザベートと実際に会話をしたヒミコの秘密を探るというのは、確かに最も理に叶ったことだった。
ただし、その難易度はかなり高い。
ヒミコの部屋。
それがあるのかも、あったとして、そんなに簡単に入れるものなのかもわからない状況で、そこを目指すというのは、明らかに無謀だろう。
しかし、リリルハたちの求める情報があるとしたら、そこにしかない。
というのは、レミィも同意見だった。
と、思った、そこで、レミィは先を歩くリリルハの手を掴み、その足を止めさせた。
「どうしましたの?」
いきなり足を止められたリリルハ。
何事かと振り向くと、レミィは、静かにと言うように、指を口に当てていた。
リリルハは、それで事態を察知し、息を殺し、レミィに連れられて、少し戻った所にある部屋に身を隠した。
それからすぐに、リリルハたちの歩いていた先から数人の人が歩いてきた。
「あの2人は?」
「今はまだ、部屋にいるって報告っす」
聞こえてきたのは、最初にリリルハたちを案内してくれた、ヒミコの側近と知らない男のものだった。
知らない男の方は、かなり年が若いようで、側近の男の問いに、かしこまりながら答えていた。
「なら、お前も、向かえ。勝手な行動はさせるなよ」
「ういっす」
徐々に離れていく声に、リリルハたちは息を潜めながら、顔を見合わせていた。
どうやら今、あの部屋には見張りがいるようだった。
会話の内容から、リリルハたちが身代わりを置いて部屋を出たあとのようだが。
「すぐには見張りを置かなかったんですわね」
「恐らく、魔法による偽装をかけていたのでしょう。そのまま準備もなく見張りを張れば、感づかれてしまうと思ったのでしょう」
そう言って、レミィが、小さくブイサインを出した。
「私が少しだけ牽制しておいたので」
「牽制?」
「最初に私たちをここまで連れてきた馬車の御者がいましたよね?」
言われて、リリルハは思い出した。
あの、魔法で作られた御者の姿を。
「それがどうしたんですの?」
「あれも、偽装の魔法ですが、あれをちょちょいと解除しておいたんです」
フフンと、自慢げに言うレミィ。
「そんじょそこらの魔法使いなら、あの短時間であの偽装の魔法を解除することはできないでしょう。少しは焦っていただけていると思います」
「つまり、大急ぎで新たに高度な魔法をかけたから、すぐにはできなかった、ということですの?」
「ええ」
仕事ができる、と言えばそうなのだろうが、リリルハは何も言えず、ああ、そう、と興味なさげに返した。
「とりあえず、大丈夫なら、捜索を続けますわよ」
「ああ、そのことなのですが」
部屋を出ようと、襖の隙間から外を覗いていたリリルハに、レミィが声をかけた。
「どうしたんですの?」
「もしかしたら、捜索しなくても大丈夫かもしれません」
「え?」
リリルハが振り向くと、レミィがクイッと部屋の奥の方を指差した。
よくわからず、部屋の奥を見てみると、そこはかなり広い空間が広がっていた。
そして、厳かな空間の中に、生活感のある品がいくつかある。
それは恐らく、誰かの部屋であろう。
しかも、部屋の大きさからして、一般の使用人が使っているようなものとは思えない。
さらに極めつけは、誰が座るために置いてある座布団の所には、リリルハたちがお土産にと持ってきた、ビスケットが置かれていた。
それは、つまり。
「ここが、ヒミコの部屋、ですの?」
「その可能性が高いかと」
思わぬ収穫に、リリルハは驚きながらも、辺りの様子をくまなく探った。
ヒミコが、もしくは、その部下がいないか、それを探るために。
しかし、とりあえず、誰かがこの部屋にいる気配はなかった。
「不用心ですわね」
「それだけ、門外のセキュリティに自信があるのでしょう。もしくは、この国の人間は、そんなことをしないと、信用しているのか」
「まるで、こちらが悪者ですわね。まあ、否定はできませんけど」
人の部屋に勝手に侵入して、さらに物色する。
普通に考えれば、盗人とほとんど変わらない。
しかし、アリスのことを最優先事項に考えているリリルハにとって、そんな罪悪感は、微々たるものだった。
むしろ、これは好都合だと、問答無用で、部屋の物色を始めた。
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