第55話 その前に その二
「竜の巫女様について、ですか」
ヒミコの声が低くなる。
機嫌を悪くした、という訳でもなさそうだが、少なくとも、空気が重くなったのは伝わってきていた。
そして、リリルハは、瞬時に思考を巡らせる。
それは、ヒミコが、竜の巫女に、様、という敬称をつけたからだ。
リリルハの聞いていた話に出てくる竜の巫女は、少なくとも、様、というような敬称をつける存在ではなかったはず。
にも関わらず、ヒミコがあえて、様を付けたことに、リリルハは気付いていた。
「ええ、竜の巫女様についての伝承に、私たちは興味をもっているのですわ。ですが、私たちも詳しくは知らないのです」
ヒミコに倣って、竜の巫女に、様をつけるリリルハだったが、その言葉に、ヒミコは無言だった。
表情が伺えないため、何を思っての沈黙なのかはわからない。
それから、やや間があって、ヒミコの気配が変わった。
「良いでしょう。どのようなお話が知りたいのですか?」
リリルハは密かに胸を撫で下ろした。
この時点で、何か気に触る言葉がないか、気が気ではなかったのだ。
ひとまず、竜の巫女を呼び捨てにしてしまったことに対して、ヒミコが追求してくることはなかった。
とは言え、常に監視されているという警戒が解けた訳ではなく、リリルハは一言一言に注意を払いながら、話を続けた。
「それでは。まず、ヤマトミヤコ共和国の皆さんは、竜の巫女様について、どこまで詳しく知っているんですの?」
「私たちが知るのは、竜の巫女様が、この世界の神に等しい存在であるということだけです」
「神?」
思いもよらぬ単語に、リリルハはおうむ返しのように繰り返してしまう。
ふと、横にいるレミィにも目を向けるが、同じく、よくわかっていない様子だった。
「失礼ですが、神に等しい存在とはどういうことですの?」
聞いていた話とはまるで逆の話に、リリルハは困惑していた。
認識の差に齟齬があるのはわかっていたが、完全なる悪だと聞いていたリリルハにとって、神にも等しいという話は、完全に予想外。
しかし、そんなリリルハをよそに、ヒミコの口調は、竜の巫女を崇拝するように、甘い吐息を漏らしていた。
「そのままですよ。竜の巫女様は、神より勅命を受け、この世界を裁定をするために降臨された方なのです」
さっきまでとは違い、リリルハは、声だけでもヒミコの感情が読み取れた。
その感情は崇拝。
心の底から、竜の巫女に陶酔しているように思えるヒミコの声音に、リリルハは言い知れぬ不気味さを感じていた。
「ヤマトミヤコ共和国の外の世界で、竜の巫女様について、誤った情報が伝わっているということは、承知しています」
自分の困惑を察したような説明に、リリルハは少しだけ気を引き締めた。
相手に自分の動揺が伝わるというのは、交渉の場において、命取りになる。
もちろん、リリルハはそのことを気にしていたはずだったが、感づかれたという事実は変わらなかった。
しかし、ヒミコは、特に気にした様子もなく、話を進める。
「この世界を作った神は、この世界に住む存在を監視し、管理をしておられました。しかし、1000年前、人間のあまりにも身勝手な行い、自らを神とでも思っているかのような態度に、憂慮されたのです」
神、という存在がいることは、リリルハも信じていた。
しかし、ヒミコの語る神は、リリルハの知る神とは、どうやら違うようだった。
だが、信仰する神の違いなど、リリルハにとっては、どうでもいいことであり、他人に自分の価値観を押し付ける気は毛頭なかった。
しかし、それでもなお、ヒミコの語る神が、不穏な存在であるという思いを、リリルハは、どうしても頭から拭えなかった。
「そこで神は、竜の巫女様と竜様を創造し、世界の審判を行ったのです」
ヒミコの声が弾む。まるで子供が、楽しい絵本の話をするように。
しかし、その内容は、その楽しげな声とはあまりにもかけ離れた雰囲気の話だった。
「竜の巫女様と竜様は、この世界に生まれました。その際、竜の巫女様には、生活に必要な最低限の知識だけが与えられていたと言います。それは、曇りのない無垢なる心で世界を見るためだったとか。そして、そこで竜の巫女様が見た世界は、とても醜い世界だったのです」
言葉には、少しずつ陰りが現れ、少しずつヒミコの声質も変わっていく。
話の進みは目まぐるしく、展開はどんどんと進んでいった。
「人間は、神が憂慮していた通り、身勝手で、優しさを知らない存在でした。竜の巫女様も、それはもう、ひどい思いをされたようです。それら全てが語られている訳ではありませんが、そんな世界を見て、竜の巫女様は、このままでは駄目だと思い至ったのです」
そこで、ヒミコの声に力が込もる。
「人間は、自らの過ちを悔いる必要がありました。だからこそ、竜の巫女様は、心を鬼にして、人間たちを滅ぼし、生まれ変わるチャンスを与えようとしてくださったのです」
物騒な言葉に、リリルハは息を飲む。
「ですが、何を血迷ったのか、当時の人々は、そんな竜の巫女様に歯向かったのです。なんと恐れ多いことでしょうか」
ヒミコの影が動いた。
立ち上がり、こちらへと近寄ってくる。
「あなた方も、竜狩りという存在は耳にしてますよね?」
姿を見せる手前、ヒミコは静かな声で問いかける。
その質問の意図がわからず、リリルハは慎重に答えを思案した。
しかし、結局、正直に話す以外、選択肢はなく、リリルハはそのまま答えを口にした。
「ええ。知っていますわ」
そう答えると、ヒミコが、ソッと目の前の布に触れた。
そして、そのまま布をかき分けて、ヒミコはリリルハたちの前に姿を現した。
声からの想像通り、ヒミコはリリルハとほとんど変わらない年端に見えた。
真っ黒な髪は、腰よりも伸びていて、艶やかな光を反射している。
憂いを帯びた瞳は、リリルハの方に向けられていて、どこか儚げな雰囲気を醸し出していた。
ヒミコは、静かにリリルハの元へ歩み寄ってくる。
意図はわからず、レミィはいつでも動けるように構えるが、特に敵意は感じられないようだった。
そして、ヒミコはリリルハの目の前で立ち止まり、フワッと座った。
「エリザベート様から、話は聞いています。竜狩りとの諍いと、アリスという少女について」
「は?」
この場で話すつもりのなかった人物の名前に、リリルハは思わず声を出してしまった。
すぐにリリルハは、レミィを見るが、レミィも何も聞かされていなかったようで、珍しく困惑した顔をしていた。
「それは、どういう話を?」
「アリス様が、竜の巫女様の生まれ変わりではないかというお話です」
「なっ!」
リリルハは、驚きの声を抑えることができなかった。
そんな話をしているなどと、話の端にも聞いておらず、ましてや、アリスの情報をヤマトミヤコ共和国に漏らすなんて、信じられなかったからだ。
リリルハも、アリスが普通の存在ではないかもしれないということは理解していた。
その上で、竜の巫女という存在の話を聞けば、否が応でも、関係性を考えざるを得ない。
しかし、竜の巫女と関係性の深いヤマトミヤコ共和国に、アリスの情報を伝えるのは、何かとリスクが高い。
少なくとも、ヤマトミヤコ共和国が、アリスに興味を持つであろうことは、想像に易かった。
だが、それでも、エリザベートが、ヤマトミヤコ共和国に話したということは、何かしらかの意図があるに違いなかった。
リリルハは、一度は驚愕に言葉を失ったが、頭を冷やし、冷静な様子を取り繕い、話を合わせることにした。
「そうですのね。申し訳ありませんわ。こちらの方で、伝達の漏れがあったようですわ。エリザベートとは、具体的にどんな話を?」
まずは何を話したのか、それを聞かなければ、リリルハは何も言えないと判断した。
この状況は、エリザベートが仕組んだものだが、もし、変なことを話してしまえば、アリスに危険が及ぶ可能性がある。
リリルハは慎重に話を進める。
「具体的に、ですか。詳しい話はこの場でお話しすると言われています。お聞きしたのは、アリス様、という少女が、突然、竜様を連れて現れ、いくつもの超常的な行動をされたということと、そのアリス様に対して、竜狩りが現れたので、その対処法を知っていれば教えてほしいと」
ほぼ、全部ではありませんの。
と、大声で言いそうになったリリルハを、レミィがさりげなく制止する。
「その他のことは、リリルハ様から、お伝えしていただく、とのことでした」
「なるほどですわ」
現在、リリルハの頭の中では、エリザベートに向けた罵詈雑言が飛び交っていた。
しかし、それを噯にも出さずに、リリルハは努めて笑顔で口を開いた。
「そこまで話しているのなら、他に話すようなことも、あまりないのですけど」
そうして、リリルハは、アリスに危険が及ばないよう、現在の動向については触れず、話を進めるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます