第55話 その前に その一
「もう、信じられませわ! いったい何を考えてますの、お姉さまは」
苦々しく愚痴を、タラタラと漏らしながら馬車に揺られるのは、不満げな顔を従者のレミィに向けるリリルハだった。
「エリザベート様にも、何かお考えがあるのでしょう」
「それはわかってますわ。お姉さまが何も考えずにこんなことをする訳がありませんから」
リリルハたちは、エリザベートからの命により、ヤマトミヤコ共和国へと向かっていた。
表面上は、ウィーンテット領国の使節として赴き、両国の親睦を深めようというもの。
元々、両国は目立った諍いはなかったものの、互いに不可侵を貫いていた。
故に、両国の文化や歴史については、互いに知らないことも多い。
しかし、こうして、使節を派遣することは、今までにも何度かあった。
それによって、親睦が深まったのかは誰にもわからないが、少なくとも、今まで、ウィーンテット領国が、本当の意味で親睦を深めようと、使節を派遣したことはない。
それを知っているリリルハは、本当の目的を何も言わないエリザベートに苛立ちを募らせていたのだ。
「ですが、私に与えられた使命が何かわからなければ、何をすればいいのかもわからないではありませんの」
「それは、まあ、適当にお任せします」
「そこで、投げやりになりますの?」
振り回されっぱなしのリリルハではあったが、与えられた仕事をきっちりとこなさなければという生真面目さから、結局、ここまで来てしまったのであった。
一応、ヤマトミヤコ共和国の、要人には話を通してあると言っていたエリザベートではあったが、リリルハは、その人物を知らされてもいない。
リリルハは、苛立たしさを露にしながらも、少しでも落ち着くために、馬車の外を眺める。
すると、ふと、外の光景のなんとも言えない違和感に気付いた。
「レミィ」
「問題ありません。今のところ、敵意はありませんから」
とっくに気付いていた様子のレミィは、澄ました顔で馬車の御者を見つめている。
その御者は、エリザベートが手配した人物で、ヤマトミヤコ共和国の者であるらしい。
「まあ、好意的な印象もありませんが」
とりあえず危機はないと判断し、リリルハはレミィと同様に、馬車の御者を見る。
そこで、リリルハも、その御者が人間ではない、人間の形をした何かであるということに気が付いた。
「魔法ですの?」
「ええ。かなり精巧なものですね。私も一瞬だけ、騙されましたから」
どうやら、その御者は、魔法で作られた人形のようなものらしく、かなり注意深く見なければ気付かない程、精巧な人形だった。
「まあ、表立って敵対してないとは言え、このくらいなら、予想の範囲内です」
「つまり、私たちは、常に監視されているということですの?」
「ええ」
表情を変えることはなかったが、リリルハは、静かに唾を飲み込んだ。
決して楽観視していた訳ではないが、改めて他国に侵入するという行為に対して、言い知れぬプレッシャーを感じていたのだ。
そんなリリルハの肩を、レミィがさりげなく叩いた。
「大丈夫ですよ。リリィのことは、何があっても守りますから」
レミィの笑顔に、リリルハは少しだけホッとしたようで、先程までよりも、微かに固まっていた顔を和らげたが、すぐにまた顔を引き締める。
「自分の身ぐらい、自分で守れますわ」
「ふふ。それもそうですね」
そんな軽口を叩きながら、2人はそのまま、馬車に揺られて、ヤマトミヤコ共和国への道を進んでいった。
◇◇◇◇◇◇
「ようこそおいでくださいました。リリルハ・デ・ヴィンバッハ様」
リリルハたちを乗せた馬車は、ヤマトミヤコ共和国の主要都市、ヤマトという街へと辿り着いた。
馬車はヤマトの街中をさらに進んでいって、一際大きな建物へとやって来た。
その間、街の人たちは、リリルハたちのことを見ないようにしていたことに気付きながら。
リリルハたちを出迎えたのは、この街で、姫と呼ばれている統治者の側近だった。
案内された建物は、ヤマトミヤコ共和国で城と呼ばれるもので、ウィーンテット領国での、宮殿と同じような扱いとなっている。
ウィーンテット領国の宮殿のような大きさを誇るが、木造で建てられたそれは、宮殿とは全く違う雰囲気ながらも、落ち着きを感じさせ、職人の細やかな手腕が見て伺える建物だった。
リリルハは、そこまで美術に造形が深い訳ではなかったが、その初めて見た城というものに、目を奪われていた。
「これは、すごく美しい建物ですわね」
リリルハからの称賛に、側近が誇らしげに顔を綻ばせる。
「ありがとうございます。この城は、ヤマトミヤコ共和国内でも、随一の建築士が手掛けたものになります。時間さえあれば、隅々までご説明したい自慢の城でございますが、今は簡単にご説明いたします」
側近は歩く道すがら、城の説明をする。
リリルハは、さっきまでの緊張感はどこへ行ったのか、側近の話を食い入るように聞いていた。
そんなリリルハを、レミィは若干呆れたように眺めながらも、微笑ましげに後ろをついていく。
そこかしこに感じる気配に気を配りながら。
そうして2人が案内されてきたのが、大きな、襖と呼ばれる扉の前だった。
襖はリリルハの知るような扉とは違って、木材と紙でできた柔らかい印象の扉だった。
「こちらでお待ちください」
側近が一言言うと、襖の前で一度止まり、微かに何かを囁く。
「入りなさい」
そして、中から聞こえてきたのは、女性の声。
若々しい声であったが、やけに重厚な声音に、リリルハは気を引き締めた。
「どうぞ、お入りください」
側近により襖が開けられて、2人は部屋の中へと入っていった。
2人は事前に説明を受けていたが、この部屋には椅子や机というものがない。
座布団と呼ばれるクッションのようなものに座るというのが、この国の風習らしかった。
リリルハは、若干慣れない様子ながらも、側近の目配せを頼りに、なんとか指定の場所に腰を降ろすことができた。
ちなみにレミィは流石と言うべきか、初めての場所であるということを感じさせない、滑らかな動きで腰を下ろす。
しかし、部屋に入ってから感じる、なんとも言えないプレッシャーは、2人もひしひしと感じていた。
2人の目の前には、白く微かに透けるような薄い布が掛けられていて、その奥に女性の姿が、影となって、朧気に見えた。
「よくおいでくださいました。リリルハ様。私は、ヤマトミヤコ共和国、首都ヤマトの姫、アカヅキヒミコと申します。このような出迎えになり、大変失礼ではありますが、この国の習わしにつき、ご容赦賜りたく思います」
声から察するに、ヒミコはリリルハと、そう変わらない歳のように思えるが、その重々しい雰囲気は、それ以上にも感じさせる、不思議な女性だった。
「いいえ。お気になさらず、どんな国にも、そういうものはありますわ。こちらこそ、忙しい中、押し掛けて申し訳ありませんわ」
探り合いの会話。
リリルハは、滲む汗に気付かれないように、微かに一息を吐き、また口を開く。
「今日は、お土産をお持ちしましたわ。レミィ」
「はい」
レミィは用意していたお土産を取り出した。
そこへヒミコの側近が近寄ってきて、そのお土産を受け取る。
「私の国で最近人気のお菓子になりますわ。ビスケットというものですが、この国にもあるのかしら?」
リリルハが何気なく聞くと、僅かに時間を置いてから、ヒミコが答えた。
「その存在は聞いたことがあります。ですが、目にしたことはありません」
「では是非食べていただきたいですわ。あまりの美味しさに悶えてしまいますわよ」
リリルハは満面の笑みで言う。
「そのビスケットを作ってる子たちも可愛らしくて、もう、たまらないですのよ、ふへ、ふへへ、いたっ!」
変な笑い声を出しそうになったリリルハを、レミィが叩く。
リリルハは憎らしげにレミィを見るが、顔が緩んでいた事実には気付いていたので、何も言い返せず、前に向き直る。
しかし、そんなリリルハに、ヒミコの側近は、難しい表情をしていた。
「大変失礼ですが、まずは毒味をさせていただきたい。疑う訳ではありませんが、姫様に万が一のことがあれば、この国の危機に関わりますので」
「ああ、そうですわね。いえ、当然のセキュリティですわ。常に警戒するのは、とても素晴らしいことですの」
「お心遣い感謝いたします」
とは言うものの、お土産によって、会話を弾ませようとしていたリリルハは、顔には出さなかったが、出鼻を挫かれ、若干落ち込んでいた。
「それでは、毒味の間、本題に入りましょうか」
そんなリリルハに、ヒミコが言う。
常に布1枚が2人の間に立ちふさがっている。
しかし、心の距離はそんな布よりも遥かに厚く、親睦を深めようとする意思は、少なくともリリルハには感じることができなかった。
「そう、ですわね。わかりましたわ。今日ここまで来たのは、あることを話し合いたいと思ったからですわ」
「あること、ですか?」
「ええ。この国に伝わる、竜の巫女のお話ですわ」
そうリリルハが言った瞬間、部屋の空気が変わった。レミィは、その空気に、警戒を強めたのだった。
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