第55話 その前に

「早く医者を連れてこい!」

「息をしてないぞ。心臓マッサージだ!」


 アリスたちが去ったあと、アスニカの町は慌ただしく人々が動いていた。


 その中心にはアジム。


 アジムは死んだようにぐったりとしていて、誰の声にも反応を見せなかった。


「アジム! アジム! 何やってんの! 目を覚ましなさいよ!」


 ミスラも泣きそうな声でアジムを呼び掛ける。

 しかし、それでもアジムは反応しない。


 必死の心臓マッサージも、アジムには効果が薄いようだった。


「離れてくれ! 医者が来た!」


 バタバタと町の医者がアジムの元に来る。


「脈を計って」

「はい」


 隣の看護師に指示を出し、自分もアジムの様子を診察する。

 しかし、その表情はかなり神妙なものだった。


「すぐに病院に連れていく。この台車に乗せて」


 医者は何も言わずアジムを病院に連れていこうとする。

 それをミスラが呼び止めた。


「先生! アジムは大丈夫なんですか?」

「親族の方ですね。今はなんとも言えません。ですが、すぐに処置をしなければ手遅れになります。あなたも病院に来てください」


 二、三言話して、2人はすぐに病院へと向かっていく。


 その背中を、ウンジンは黙って眺めていた。


 表情を変えることはなく、しかし、心なしか、その表情は固くなっているようだった。


「仕事は失敗か」


 ウンジンが悔しげに溢す。

 拳を握り、歯を噛み締め、すでに見えなくなったアジムたちの方を、強く睨んでいた。


「よぉ。仕事は順調かぁ?」


 そんなウンジンに、気の抜けた声がかけられる。


「ライコウ。来ていたのか?」


 その声は、ウンジンの相方、ライコウのものだった。

 ライコウは、いつもの余裕綽々とした笑みを浮かべ、ウンジンを見ている。


 その目を見れば、言わずとも状況を把握してることはわかる。

 ライコウの相方である、ウンジンであればなおさら。


「ああ、失敗だ」


 だが、生真面目なウンジンは、事細かに今回の一連の出来事をライコウに説明した。


 ◇◇◇◇◇◇


「なるほどなぁ」


 ライコウは、さして興味なさそうに呟く。


 しかし、これはいつも通りなのだろう。

 ウンジンは、その事に対して特に何かを言うことはなかった。


「仕事を失敗するのは、これからの仕事の信頼に関わる。すまなかった」


 ウンジンは、深々とライコウに頭を下げた。

 だが、ライコウは。


「あ? 別にいいさぁ。今回の仕事はなぁ」

「……どういうことだ?」


 よほど信じられない返事だったのだろう。

 いつもはほとんど表情を変えないウンジンが、見るからに驚いた表情をしていた。


「まあ、今回は特殊なのさぁ。エリザベート様から、直々な話が来てる」

「何? お前にもか?」

「ああ、これさぁ」


 ライコウが見せた紙を見て、ウンジンは待たしても驚愕の表情を浮かべる。


「あの女。何を考えている?」

「さあなぁ。俺にもわからねぇよ。だが、金はたんまりだ。断る理由はねぇだろ」


 不気味な笑みを浮かべ、ライコウが紙をしまう。

 それにウンジンは、微かに思考するように黙っていたが、程なくして首を縦に振った。


「そうだな。仕事なら、断る理由もない。おい、お前、あのミスラという女と、生きていればアジムという男に伝えておけ。俺は他に仕事ができたからそちらに向かうとな」

「え? は?」


 近くにいた男に伝言を伝えて、ウンジンは先に歩いていたライコウの方へ向かう。


 そして、そのまま何処かへと姿を消してしまった。

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