第35話

「うんしょ」


 鞄を持ち上げて、忘れ物がないか確認する。


 うん。大丈夫。忘れ物はない。

 私はドラゴンさんの背中にその鞄を乗せた。



 リリルハさんたちは今、街を復興するってすごく頑張ってる。

 壊れた建物を直したり、怪我した人もたくさんいるから病院も大変みたい。


 それと、あの大きな狼さん。


 私が持ってた鍵の魔法具で操られていたみたいだけど、シュルフさんによると、その鍵さえあれば助けてあげることができるみたい。


 よかった。



 あの事件から数日が経って、街もだいぶ落ち着いてきた。

 それでもまだ、みんなは大変そうだけど。


 けど、私は今日、宿を出る。

 他の誰にも声をかけずに。


 空はまだ少し暗くて、こんな時間だからか人は誰もいない。

 でも、その方がいいよね。


 私は、ドラゴンさんと一緒に街を出ることにした。


 本当は、みんなにお別れを言いたかったけど、でも、そんなことしたら、みんなを恐がらせちゃうから。


 だから、私はこっそり街を出る。

 誰にも見つからないように。


 それがいいの。


 それでいいの。



「何処に行くんですの?」


 なのに、それを許してくれない人がいた。


「リリルハさん」


 リリルハさんは、街の入り口に立っていた。

 まるで、私がここに来ることを知っていたかのように。


「もう一度聞きますわ。何処に行くんですの?」

「えっと」


 リリルハさんは恐い顔をしてる。

 怒ってるのかな。


 やっぱり、挨拶もしないで行こうとしたことを怒ってるのかな。


「ごめんなさい。本当はお別れを言いたかったんだけど……」

「そんなことはどうでもいいですわ」

「え?」


 言いながら、リリルハさんは、私のすぐ前まで来た。


 そして。


 パンッ。


「……え?」


 リリルハさんに、頬を叩かれた。

 そんなに強い力じゃなかったはずなのに、すごく、痛い。


 拳銃で撃たれた時より、何十倍も痛い。


「どうして?」

「アリスが勝手に何でも決めつけて、逃げようとするからですわ」

「逃げる? 私が?」


 逃げるってどういうことだろう。

 私、何かから逃げようなんて思ってないのに。


「わからないって顔ですわね。なら、はっきり言いますわ」


 リリルハさんは、両手で私の顔を挟んだ。


「うむっ」

「嫌われるかもしれないからって、逃げようとしましたわね」

「っ!」


 そう言われて、私は初めて気付いた。


 私は、みんなから逃げようとしてた。


 それに気付いたら、全部、気付いちゃった。


 みんなを恐がらせないように、なんて、嘘ばっかり。

 本当はみんなに会って、嫌われるのが嫌だっただけ。ただ、それだけ。


「自覚したようですわね」


 リリルハさんは、屈んで私と目線を合わせる。


「リリルハさん、私」

「あなたの気持ちは、わかりますわ」


 リリルハさんが真剣な顔で私を見つめる。


「嫌われるのは恐いですわ。悲しいですわ。嫌ですわ。ですが、アリス。だからと言って、逃げて良い訳ではありません」


 リリルハさんの声はすごく優しい。

 でも、そこから紡がれるのは、はっきりとした否定の言葉だった。


「あなたが、何かに悩んでいる、というのは、ミスラさんからも聞いていますわ」

「ミスラさんから?」


 やっぱり、ミスラさんには隠せてなかったんだ。

 そうだよね。


 あんなに悲しそうな顔をさせてたんだから。


「アリス。正直に話して? 私がアリスのことを嫌いだって、もう話したくないって、そんなことを言うと思ってるんですの?」

「そ、そんなことない」

「なら、話してくださいませんか?」


 リリルハさんは、ジッと私の目を見る。


 その目には、嘘なんて通じなさそうで。

 ううん。


 嘘なんてつきたくなくて、私は正直に思ってることを話すことにした。


 ◇◇◇◇◇◇


「私、魔人かもしれないの」


 それから私は全部、話した。



 デリーさんに言われた言葉。

 そんな訳ないって、ずっと思っていたけど。


 私には思い当たることが多すぎる。


 私には記憶がない。

 過去のことなんてわからない。


 でも、今は。

 今の私は、明らかに普通じゃない。


 デリーさんは言っていた。

 これだけの魔力を持つ者は、化け物としか思えないって。


 シュンバルツさんは言っていた。

 この、化け物って。


 私もそう思う。


 だって、リリルハさんだって、シュルフさんだって、テンちゃんだって、みんな驚いてた。


 私の魔力を見て、魔法を見て。

 普通じゃないって思ってた。


 わかる。


 わかるもん。


 言われなくたって、私は異質だって、みんな思ってるって、わかるもん。


 みんな、私のことが恐いんだよ。


 だって、普通の人間じゃないんだから。

 普通の人間じゃないなら、魔人に決まってる。


 だから、私はみんなと一緒にいたくない。


 嫌われるくらいなら、みんなと一緒になんていたくない。



 思ってることを全部、リリルハさんに話した。


 こんなことを考えるなんて、悪い子だってわかってるけど、言わずにはいられなかった。


 リリルハさんの顔を見ていたら、涙が零れてきて、言わずにはいられなかった。


 リリルハさんは、最後まで何も言わずには私の話を聞いていた。


 ずっと、私の目を見て真剣に。


 そして。


「辛かった、ですわね」


 リリルハさんは、私の頭を撫でて、そっと抱き寄せてくれた。


 ギュッて、いつものように優しく。


「よく、言えましたわ。言ったら、少しは心も落ち着いたでしょう?」

「うん。すごく、落ち着いた」


 涙はまだ止まっていない。

 でも、リリルハさんに話を聞いてもらえて、すごく落ち着いた。


 そして、すごく安心する。

 嫌われるかもしれないって、ずっと不安だったのに。


 リリルハさんは、私を抱き締めながら、おもむろに話してくれた。


「アリス。残念ながら、あなたが魔人なのか、違うのか、その答えを私は持っていませんわ」

「……うん」


 その言葉に、少しだけ落胆する。


 リリルハさんなら、答えを教えてくれるかもって思ってたから。


 でも、リリルハさんはさらに続けた。


「ですが、アリス。私にとっては、そんなことはどうでも良いのですわ」

「え?」


「私だけではありませんわね。シュルフも、レミィも、おそらく、ミスラさんも、アジムさんも、そんなこと、どうでも良いのです」

「どうでも、いいの?」


 どうして?


「だって、私はアリスが人間だから、大好きという訳ではありませんもの」


 リリルハさんは私を見る。

 優しい笑顔で。


「アリスはアリスですわ。正直、魔人だから何? という感じですわね」

「で、でも……」


 魔人は人に迷惑をかける存在。


 私がもしそれだったら、もしかしたら、記憶を取り戻したら、同じようにみんなに迷惑をかけてしまうかもしれない。


 そんなことになったら。


「もし、あなたが悪いことをしたら、私がちゃんと叱ってあげますわ。こらーってね」


 リリルハさんがおどけた顔でコツンと私のおでこをつつく。


 痛くなんてないのに、さっきよりももっと涙が出てきた。


「アリスも言ってくれたでしょう。私はあなたを知っている。それは、あなたの正体がわかったからって揺らぐようなものではありませんわ」


 そうだ。


 そうだった。


「私が好きなのはアリスですわ。アリスの正体が何かなんて、私には些事どころか、そもそも必要のないことですわ。今、私の目の前にいるアリスが、私とお話ししているアリスが、あなたが、私は大好きなんですの」


 リリルハさんは、こういう人だった。


 嫌われるかもなんて、そんなの勝手に私が決めつけていただけ。


 リリルハさんは、ちゃんと話せば、ちゃんと話を聞いてくれる人。

 ちゃんとわかってくれる人。


 なのに、私は。


「ごめんなさい」


 私はリリルハさんに抱き付いた。

 ごめんなさいって。


「いいのですわ。あなたが、恐がっているのをわかっていながら、すぐにお話しできなかったのは、私の責任ですわ」

「ううん。リリルハさんが忙しいのはわかってるから」


 リリルハさんは、シュンバルツさんの事件の後処理でずっと忙しそうにしてるのはわかっていた。


 寝る暇もないくらいに働いていて、シュルフさんも走り回っていて。


 だから、私は勝手に出ていこうとした。


 でも、考えてみたら、すぐに街を出なかったのは、リリルハさんにこうやって引き止めてほしかったからなのかも。


 うん。多分、そう。


 だから、こんなに嬉しいんだ。


 私を見つけてくれて。

 私を見てくれて。


 すごく嬉しい。


 ◇◇◇◇◇◇


「アリス。もう街を出るんですの?」

「うん。旅を続けないと」


 朝日が昇る。辺りが明るくなっていく。


 それと同じように、リリルハさんと話して、私の中にずっとあった黒い靄みたいな嫌な気持ちは綺麗に晴れ渡っていた。


 私は魔人かもしれない。

 それは変わらない。


 でも、それでもいいと言ってくれる人がいるってわかったから。


 だから、私は私らしくしなきゃって思う。


 だから、私は記憶を取り戻さなきゃって思う。


 だから、私は旅を続けようと思う。


「わかりましたわ。でも、少しだけ待ってくださいます?」

「いいけど、どうしたの?」


 リリルハさんは、私にここで待っているように言うと、何処かに行ってしまった。


 何処に行くんだろう。


 何か持ってくるのかな。



 そう思っていると、リリルハさんは誰かを連れて戻ってきた。


 リリルハさんの後ろに隠れる誰かは私と同じくらいの女の子。


 ということは。


「テンちゃん」


 いたのは、やっぱりテンちゃんだった。

 あの時から、ずっと話していない。


 テンちゃんは、気まずそうにずっと目を伏せている。


 やっぱり、私のことが恐いのかな。

 恐いよね。


 私も、目をそらしそうになる。

 でも、それじゃあ駄目だと思った。


 逃げちゃ駄目だと思った。


「テンちゃん、あのね、私」

「ごめん!」


「え?」


 話しかけようとした私を遮って、テンちゃんが勢いよく頭を下げた。


 ど、どうしたんだろう。


 もしかして、私とお話もしたくないのかな。


 そう思っていると、テンちゃんがゆっくり話してくれた。


「私、あんたのことが恐くて、話しかけられなかった」

「……うん」


 やっぱり、そうだよね。

 わかっていたことだけど、やっぱり、悲しかった。


「でも、わかってほしいの。私はあんたを嫌いになった訳じゃない」

「……え?」


 嫌いになった、訳じゃない。


 それって。


「わからないの。あんたが、どんなやつなのかなんて、見てればわかるのに。でも、実際にあり得ないことが目の前で起きて、普通じゃないあんたの姿を見て、わからなくなったの。どうしていいかわからなくなったの」


 テンちゃんは下を向いたまま震えていた。

 ポタポタと涙が零れてる。


「でも、こんなお別れなんてしたくない。会ってから、そんなに経ってないけど、それでも、あたしはあんたの友だちになりたい。だから、こんなお別れなんて、したくない!」


「テンちゃん」


 嬉しい。

 友だちになりたいなんて。

 そんな風に思ってくれてるなんて、思わなかったから。


「テンさんは、私に相談に来ていたんですのよ。あなたを避けてしまったことを謝りたいって。もう1回、あなたと話をしたいって」

「そうだったんだ」


 そんなことなんて考えようともしないで、私は勝手に、ここを出ていこうとしたんだ。


 それはリリルハさんも怒るよね。


 私は、何も周りを見てなかったんだ。


「ありがとう。テンちゃん。私もテンちゃんと友だちになりたいの」

「許してくれるの?」

「うん」


 テンちゃん、ワッて泣いて私に飛び込んできた。


「うんうん。貴い貴い」


 リリルハさんが、顔を赤くして鼻を押さえている。どうしたんだろう。


 でも、今はそれよりも、テンちゃんの温もりが、すごく心地よかった。

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