第2話 恐ろしく綺麗な転校生
僕が尋常小学校四年生になって一ヶ月が過ぎた頃、東京から転校生がやってきた。
彼が教壇の横に立った時、僕はポカンとして彼を見ていた。
人は本当に驚くと口を開けてしまうものらしい。この時の僕は初めて間近で見た異人にただ驚いていた。
そいつはこの辺りでは珍しい洋装で、顔つきは女の子のように綺麗で、髪は金色で波打っているけどサラリとして、目の色は空の色と同じ青色だった。それに唇は桜色をしていて、何というか僕らとは違う澄んだような白い肌をしている。これを象牙のようなというんだろうか? 鼻が高くて小さくて、どう見ても僕らと同じ人間だとは思えない。彼に近いものを挙げるとすれば、妹が欲しがっているセルロイドの人形だ……
「今度この街に引っ越してきたエドワード・フォルトナー君だ。彼は外国の英国からお父様のご都合でこの日本に来たんだがね。三年間、帝都東京に住んでいたから日本語は話せる。みんな仲良くするように」
先生はそう言うけれど、こんな異人とどうやって仲良くすれば良いんだよ。
教室内の学友達はお互いに顔を見合わせた。だってそうだろう? 異人なんて初めて見た奴ばかりだぞ。日本語ができるって言っても、本当にあの顔で話せるのか?
「では、エドワード君、一言挨拶をしなさい」
「はい。……よろしくお願いします」
確かに彼は、流暢な、僕らと変わらない日本語で挨拶をした。へぇ……本当に日本語を話せるんだ。ちょっとホッとした。話せるなら、一応、意思疎通はできるって事だから。
級長の
啓太……流石にそれは失礼じゃないかな? お前完全に体ごと後ろを見てるよね。啓太が僕に何かを示しているけど、訳がわからないから無視をした。
そうしていると、彼が席に着く前に僕と目が合ってしまった。うわー正面から見ると本当にコイツ綺麗な顔だ。視線を外されても僕は彼から目を離せなかった。自分の顔が熱いのがわかる。男にドキッとするなんて、今、僕は絶対におかしい……。
学友の目はみんなエドワードに注がれていて、彼の一挙手一投足を見ている。
僕らの心配をよそに、エドワード・フォルトナーは澄ました顔のまま、見たこともない革のちょっとかっこいい鞄の中から真新しい教科書を出して、なんだか分からないけど革でできた細長いものを本やノートと一緒に並べた。
だけど彼にとって周りの視線は慣れたものなのか、全く気にしていない様子でまっすぐ前を見たままだ。こんなにみんなが見ていると言うのに動じないなんて、相当肝が据わっているんだろうな……。
「それでは授業を始めます。みんな国語の教科書を開きなさい」
いきなり国語だなんてあいつは大丈夫なのか? 斜め前に座る異人を見ながら僕は教科書を開いたけれど、彼は何も問題はなさそうだ。何だか安心したような、残念なような、変な感じがした。
こうしてその日は始まった。
午前中の授業が終わると午後の授業がある前にお昼ご飯を食べる。
僕は毎日、母が色んな具を入れたおにぎりを作って持たせてくれる。それを机に広げた。少し大きめに見えるおにぎりには一つは薄焼き卵が巻いてある。そしてもう一つは醤油を塗って炙った海苔が巻かれてある。これが結構いけるんだ。
数年前、世界を巻き込んだ戦争が起こった。日本ももちろんその戦争には参戦した。お父さんのお得意さんの造り酒屋ではその話で持ちきりだったのは知っているけど、本当はよくわからない。
ただ一つ言えるのは、遠いヨーロッパで起こったその戦争のおかげで、日本は景気が良くなったという事。
斜め前の異人の転校生の国は、確か初めに戦争を起こしたんじゃなかったかな? 勝ったから彼らも景気が良いのかもしれない。だから日本に来たのかな?
転校生は昼ご飯の時間になると、何かを持ってフラッと教室を出て行った。学友達は遠目に見て話しかける奴はいない。話しかけても返事をもらえるような気がしないのもあると思うけれど、何だか話しかけ辛いんだ。別に避けているわけじゃないんだけど。
「なあ、
啓太が前の席からわざわざこっちに来てまで話しかけてきた。そんなの知るわけがない。
「見てくりゃいいじゃないか」
「何だよ。俺に
「そんな事誰も言ってないだろう? 気になるなら行って見てこいって言ってるの」
そんな事を話していると女の子達も寄ってきた。
「何かね、女の子より綺麗な男の子っているんだね。絶対に近寄れない。自分が恥ずかしくなるよ」
「大丈夫だよ。別の生き物だと思えば良いから」
「それはそれでちょっと腹が立つかも……」
「どっちだよ」
みんな勝手な事を言っている。
「あのさ、ちゃんとしようよみんな。僕らの学友になるんだからさ。一人にさせるというのも気が引けるんだけど」
級長の忍が自分の弁当箱を持ってきた。言っている事はもっともらしいけど、ここに来るということは忍もどうして良いのかわからないんだろう。
「とにかくさ、戻ってきたら僕と俊太郎で話しかけて何とかしようよ」
「何で僕?」
「だってお前ん家、
「それが何の関係あるんだよ」
「ほら……米屋とも味噌屋とも造り酒屋とも仲良いだろう。この辺では顔が広いんだからさ」
「それ、今関係ないよね。お前こそ町長の息子だろう? しかも級長なんだから、僕を使うなよ」
「だから二人でって言ってるじゃないか」
僕らが言い合う中、綺麗な着物を着た
そして冷めた目で僕らを一瞥したあと教室を出て行った。そういえば、橘翠子もここでご飯を食べる姿を見た事がない。
「おい、怒らせたんじゃないか? あ、でもあいつ、いつも怒っているか……」
小さな声で啓太が言う。確かに橘翠子の笑った顔は見た事がないけど、そんなの僕に言うなよ。今のは完全に僕のせいじゃない。
僕たちの尋常小学校は変な学校だった。田舎のごく普通の学校のはずなんだけれど、近くにお金持ちの別荘があるせいで良い身分の子達が数人ここに通って来ている。
その中には橘翠子のような貴族の称号を持ってはいるけど、親の都合で都会の名門校には通わない人達もいる。彼らは気位ばかり高くて仲良くはなれないのが常だけど、橘翠子もご多分に漏れず、僕らはあまり話をした事がない。
顔は結構可愛いのに笑わないなんてもったいないと思うんだけど。それも僕の言う事じゃないよね。もし言葉にして聞かれてしまうと……きっとさっき以上の鬼の形相になりそうだ。顔が可愛いだけに受ける打撃は底知れない。底冷えを感じて僕はブルッと震えた。
きっと、今日転校してきたエドワードという異人とも話す事はないんだろうな。
僕は気を取り直して手に持った薄焼き卵のおにぎりにぱくついた。中に入っていた鰹節の佃煮の味が、口の中で広がる。うん、今日のおにぎりも美味い。お母さん、今日もありがとう。
午後の授業が始まって少しした時、あいつが革の何かから鉛筆を出しているのが見えた。成る程、あれは筆入れなんだ。僕の筆入れは父親が使っていた木でできたものだから、気をつけて持たないと鉛筆が中で動いて芯が折れてしまう。でもあいつのは中で鉛筆が動かないようだ。
あれは良いな。ああいうのがこっちでもあればいいのに。
そう思っているとあいつが消しゴムを落とした。肘でついてしまったようで、僕の方へ転がってくる。仕方がない、拾ってやるか……。僕が机から身を乗り出すと、あいつはそれをずっと見ていた。
何だかやっぱりドキマギして、何も言わずに消しゴムを差し出すと、あいつは僕の目を見て小さな声で「ありがとう」と言った。僕はちょっと頷いただけで前を見た。
ビックリした……間近で見た青い目はガラス玉のように綺麗だったんだ。
結局その日は忍も僕も啓太もあいつに話しかける事はなかった。あいつは学校が終わるとすぐに教室を出て行ってしまった。
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