第17話 名もなき民


 ぼろをまとった集団が、吹雪の中を歩いていた。

 貧困のあまり逃亡した村人ようで、その足取りはしっかりと大地を踏みしめている。

 風が吹かれれば地の底へと落ちていきそうな大地の切れ目に、自ら足を踏み入れた。そこには気づかれぬように作られた手すりと足場があり、彼らは深く深く沈んでいく。

 地へ落ちていく雪が巻きあがり始めた頃、横の亀裂が現れた。彼らは風から身を潜める様に中に入って行く。中はかなり広く、石を積み上げただけの小さな家が並んでいた。

 ここまで足を運んだ彼らは小さな失望に襲われた。大法螺を吹き、自分を大きく見せようとする者は多い。彼らをここまで呼びつけた者もまたそうであったのかもしれないと。


 しかし案内人は奥にある大きな家を案内し、物置なのだろう木の板を張り合わせただけの扉を開く。すると更に下へと続く階段が現れた。明かりを取り出し、更に降りていくと再び扉が現れた。今度は鉄で作られた丈夫な扉だ。

 その扉を開くと、光が満ちた。


 ドーム状の高い天井、白い柱に囲まれた広間。美しい娘たちが肌を出す服で踊り、20人以上の音楽家が曲を流していた。テーブルには貴族の晩餐のように豪華な料理が並んでいる。

 ぼろを着た壮年の男たちは冷気から守っていた上着を脱ぐと、1人に1人のメイドがそれを受け取り、代わりに笑顔でアルコールの入ったグラスを渡した。席に着くもよし、立食もよしというスタイルのようだ。


 そこに、一人の青年が歩いてきた。

「聡明なる賢者である皆様に置かれては、ここが侵入者を向かい入れる砦であることに気が付かれている事でしょう。恥ずかしながら完全なる街を作るには間に合わず、このような場所でお許しください」

 手を広げ、頭を突き出す様に礼をした。

 そしてトロスは自信に満ちた笑みを浮かべた。


 彼らはうわべだけではなく、本質を問うてきた。トロスは概要だけを軽く説明する。巨大鍾乳洞を利用し、地下水で飲料はもちろん魚を育て半月ほどならば自給自足ができるようになっている。物流は秘密の場所からしており、お教えすることはできない。しかし当然信用はされない。言葉などいくらでも偽装できる。故に、疑心に捕らわれる方々のために作りかけの町を案内する。教育を受けた若い娘が町を案内させる。もし体を求められても抵抗しないように言い聞かせている。

 現状100人近い人間が暮らしており、綺麗に彩ることが間に合わなかったがそれ以外なら完璧な町だ。すべて、

 隠れ里を作るノウハウがあるのだ、学者を目指していたトロスが失敗などするはずもない。


 トロスは向かい入れた彼らを見て、感動に打ち震えていた。

 おお、なんと壮観なことか!

 ニニヨ、マーネン、ドロンゴ、リーヤンの地で身を潜める偉大なる賢人たちが一堂に会している!

 賢人であるが故に命を狙われ続け、されど知性を持って生き延びていた方々。その賢人が集まっているのだ、これほど名誉なことがあるだろうか!


「トロスよ、成すべきことを成したのだな」

「ああっ、アースロン先生。ありがとうございます!」

 すべての賢人が出て行ったわけじゃない。大半が残り、旅の疲れを癒している。その中でも小柄な男がトロスに話しかけた。痩せた浮浪者のように見えるが、その眼差しは知性を漂わせた男、しかし今は穏やかに緩んでいた。

 トロスは目頭が熱くなるのを押さえられなかった。


 師アースロンは真実の歴史を残す偉大なる人物だ。中央では王が変わるごとに歴史を改ざんし、自分が正当な王であると触れ込む。失われる歴史、真実の歴史を残す賢人こそアースロンなのだ。

 トロスもまた多く学んだが、決して一番にはなれなかった。師を継ぎ歴史を語る賢人にはなれなかった。

 ならば何を成すか。

 教えは教師となり若き次なる賢人導くよう推奨されている。だがトロスは別の道を選んだ。

 賢人たちが心落ち着かせ、若き者たちが学ぶことができる町を作ることだ。


「すごいな、トロス」

「たいしたものだ」

「おおっ、みんな! 来ていたのか!」

 トロスの学友が取り囲んだ。

「隠れ里は必ず見つかるものだ」

「それは自給自足では限界があるからだ。結果として周囲の村と接触し、そこからほころびが生じる。この町も例外ではない。ならば、接触する村を選べばいい」

 友人たちとの会話は、常にこのように意味あることを話す。天気の話や流行りの劇や女の趣味などという低俗な話題などしないものだ。

「へぇ? それがロウの村ってわけ?」

「そう、よくわかりましたね。クロス領は帝国からも見放された地、あの村は帝国に逃げ込んだニニヨ人の収容場でもある。人の出入りが多くニニヨ人に限っては自由ができる」

「ふーん。ロウはロウの村に、ツゥーリは私たちに押し付けてそんなことを考えてたわけね」

「幸運の成せたことさ。彼女が見込み通りの働きをしてくれたおかげで・・・」

 友人たちの中で、未だにフードをしたままの女性がいた。

 トロスが気づき顔を向けると、彼女はフードを下した。


 エレステレカは、悪戯が見つかった子供のような笑顔を浮かべていた。


 会場の周囲から黒衣をまとった男たちが現れ、会場の中心に集められる。外に出ていた者たちも黒衣の男たちに連れ戻され、エレステレカは演奏をしている者たちに「悪党襲来、緊張の瞬間っぽい曲にして」とリクエストしていた。


 アースロンが前に出てきて、深々と頭を下げた。

「これはエレステレカ様、このような場所へ・・・」

「口を開くな、汚らわしい」

 エレステレカは、膝をつき頭を下げる老人を蹴飛ばした。トロスたちはその暴挙に息をのむしかできなかった。

「反吐が出る。貴様らを皆殺しにしてやりたいところだが、胸糞が悪いが帝国の一部となったトロス、お前だけに声を上げる権利をやろう」

 トロスは汗を流しながら前に出て、両手を広げて膝をついた。


「私の質問にだけ答えなさい」

「わかりました」

「利用し、更に私を殺そうとしたな?」

「・・・」

 ツゥーリが失敗するなど、考えていなかった。

 情が移ったわけではないはずだ。彼女は暗殺者、その頭目なのだ。殺しを躊躇うはずがない。

「人形の割に妙に鼻につく思想を持っていると思っていたけど、あなたが教育したんでしょ? 簡単な話よ、あなたの教育がよかったのか、もしくは彼女がよい学び手だったのか、彼女は立派に巣立ったってわけ」

「・・・ロウ様はどうなったのでしょうか?」

「あの町は、今はツゥーリ村と名乗っているわ」

 ロウがそんなことを許すわけがない。拘束したところで得は無く、ならば殺されていると考えるが自然だろう。

 確かに、空っぽの人形のような少女に自意識が芽生えるような教育を施した。損得で言えば、我々は損が多い。得を選ばれぬよう、「大義こそ」という知性を植え付けたのだ。


「“名もなき民”が暮らす村、これがお前の目的だったわけね」

 トロスから汗が吹きあがってきた。

 この女は、恐ろしいことをした。

 名もなき民に、名を与えたのだ!


「人は、人間は生まれながらに罪を背負い生まれてくるのです」

 トロスは冷たい汗を流しながら、声を発した。

「生まれ落ちる子は無垢であると言われるが、違う。人は生まれながらに罪を背負い生まれてくるのです。それは性。誰に教わるでもなく他者貶め、見下し、奪い、火をつける! あなた方帝国人なれば、快楽に溺れ成すべきを成さぬ愚か者として生まれるのと同じ!」

 エレステレカは怒りもせず、いやはや全くその通りでございますと言うように大仰に頷いた。

「子は獣と同じ! 知性こそ人を人たらしめるもの! されど我が民族は愚かしくも知性をないがしろにし、我が国は獣の国となり下がっております! 私はただ、人と成ろうとしているだけにあります!」

 ツゥーリに対し、大義を語った。

 そのことに嘘偽りはない。偽りの言葉には、無垢であればあるだけ敏感に聞き分けるものだ。

「私はあなたを殺そうと致しました! ならば私を殺し下さいませ! だがどうか、人として生きようとする我らが想いを、寛容なる心を持ってお許しください!」

 エレステレカは大仰に頷いた。

「つまりあなたは、侵略の野心などなく知識を育てる街づくりをしているってことね」

「その通り」

 何を当たり前のことを口にするのだろう。

「侵略とは略奪、獣の行為そのもの。唾棄すべき行動。教育を受けず育った愚か者の行為、このトロス、そのような愚か者を排除するためにこの村を作ったのです」

 我が意を得たりと、エレステレカは満足そうに頷いた。

「侵略とは武力だけではない。貴族に入り込み帝国を意のままに操ろうなんて考えていないと?」

「くどい! そのような者、この私が駆逐いたしましょう! そのようなことで誠意を疑われるなど心外であります!」

「よろしい! たいへん結構! 学びの地とし存在を許そう! そしてニニヨ人の侵略を阻止することを誠意とし、良き民とあれ!」

 思いもよらない言葉に、トロスは深々と頭を下げた。

「ははっ! 寛大なお言葉っ! 感動で震えが止まりません!」

 その言葉に嘘はなかった。

 きっと自分は殺されるだろう。だが、この隠れ里は残る。エレステレカは決して嘘はつかない。高潔だからではない。善意こそが、彼女最大の悪意だからだ。人は決して清く生きることはできない。

 エレステレカはただ断罪するのみ。

 しかし、だからこそ利用ができる。変な話、罪を犯さなければいいのだ。清らかさこそトロスの願い。まさに願ったり叶ったりである。


 彼女はおかしそうに笑った。

「後ろ振り返ってみ?」

「え?」

 少女の言葉に、トロスは言われるがまま後ろを振り返った。そこには、渋面の賢人たちが並んでいた。

「失望したぞ、トロス」

 アースロン先生は、何度もトロスに投げかけた言葉を口にした。

「町とは、可能性だ。あらゆる可能性を秘めているものだ。それを不用意に縛るなどあってはならぬことだ。前は、帝国に民族の誇りを売り飛ばしたのだ」

 言葉の意味が分からなかった。

 賢人の暮らす町を作れと命令したのは、アースロン先生なのだ。

「あなたがツゥーリを利用したように、あなたも利用されてたのよ。その純粋な心をね」

 エレステレカは笑った。

「安心したわ。いや、がっかりかしら? 彼らは約束の意味を理解している。この町は賢人の町であると宣言した以上、それ以外にはなれない」

 エレステレカは賢人の町故に存在を許すと言った。それ以外の行動をすれば、彼女は容赦なく断罪するだろう。エレステレカは嘘をつかない。

「裏切るのは私じゃない。いつだって、あなたたちよ」

 そして、彼女は悪魔のような表情に変わった。

「ねぇトロス、不思議じゃない? 彼らは名だたる賢人なのでしょ? 誰に名だたってるの? そして、彼らは今までどこにいたの?」

 それは、街であったり村であったりする。不思議なことではない。身を潜み生きていたのだ。

「身を潜み生きていたのなら、名だったら困るのよ。そうでしょ? これは予測、勘、想像なんだけど、あるのよ“名もなき民”の村がね」

 トロスはハンマーで頭を叩かれたかのような衝撃を受けた。

 世迷言と、切って捨てられない。この地は過酷な土地、人が暮らせる場所は限られている。だからこそ目の届かぬ場所はいくらでもある。実際にノウハウは確立され、トロスはそれに従い村を作ったのだ。

 当たり前の情報が、今更ながらに結ばれてくる。

「そして、あんたたちその村を追い出されたんでしょ。その隠しきれない野心で、殺されそうになって逃げたのかしら? そしてトロスを利用して、帝国を侵略しようとした。そうでしょ?」

 無言が、言葉を肯定する。

「ふふ、ツゥーリはロウを利用し、トロスはツゥーリを利用し、あなたたちはトロスを利用した。まさしく穢れた、呪われた血ね。無垢が獣なら、あなたたちはまさしく獣。唯一まともだったロウだけが殺されているのだから、報われないわ」

 ああ、まさしくその通り。

 穢れた血、呪われた運命。

「我が望みは、この地に賢人が安らかに暮らす土地を作る事。これこそ本願。この地にこそ、その呪われた運命を払う場であります。どうか誠意を受け取ってください」

 エレステレカは、面白そうにトロスを見た。

「よーし、お前は私を殺そうとした。だが許そう。やってみなさい。無駄だと思うけどね」

 まさしくその通り!

 無駄だ、生まれた時から背負わされる罪。略奪したい、強姦したい、何でもいいから火をつけたい。この欲求を押さえられる気がしない。

 ああ、だが何だろう?

 清々しい気分だ。

 不可能を前にし、無謀でありながら立ち向かう。物語に出てくる英雄はこのような気持ちなのだろうか?

 学友に勝ちたい。先生に認められたい。誰でもいい評価して欲しい。そのような雑音から生まれて初めて解き放たれた気分だった。

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