第16話 呪い
人形のように操れる人間を作り出すことはできない。
魔法と毒物で意思のない存在を生み出すことはできるが、それでは命令が理解できない。長い時をかけて理想の人形を作ろうとしていたが、赤子を誘拐し一から育てた方が安く済むとそちらに力が入れられるようになった。
ツゥーリもそうして育てられた。
暗殺者軍団『安らぎの死』の首領となれたのは、賢かったからだ。
教育のまま心のない残虐性を育てれば、ただの使い捨てにされる。
かといって反抗すれば、不要と殺される。
心のない人形を演じながら、支配者の言葉に耳を傾けなかった。こうして器用に生き残り続けた結果、最後に残ったのがツゥーリとなっただけなのだ。
賢くなければ生き残れなかった。
地獄のような人生。
救いのない闇の中で生きてきたツゥーリは、何故か貴族の娘に対して深いシンパシーを感じていた。
だからこそ、エレステレカの暗殺を躊躇ってしまった。その躊躇いが、暗殺を不可能にしてしまった。
ツゥーリと、主人であるロウは暴徒たちと同じように拘束され並べられていた。
周囲には無数のドラゴン、ウェルコンという男とリリアという女、中心に白いドレス姿のエレステレカが立っていた。3人の騎士は、ツゥーリが教えた通り姿を消している。
拘束されたロウはロープを引きちぎらんばかりに筋肉が膨れ上がっていた。
「クソっ! なんでこんなことになった! 女っ! 貴様裏切ったんじゃないだろうな!!」
「決してそんなことはございません。奴らは戦力を隠していたのです。狡猾な連中なのです」
「わかっている! クソっ! だから反対だったのだ!! トロスの奴めっ、必ず処刑してやる!」
ツゥーリはロウの姿に、失望していた。
多くいる王子たちの中でも、ロウは輝いて見えた。彼ならば、この乱れた国を正してくれる、そう希望持っていた。だからこそ、ツゥーリは彼に従ったのだ。
だが今の主は、輝きを失ってしまった。
「あの優男がいないようね」
「トロス様はこの暴動で命を落としました」
エレステレカの質問に、主であるロウが口を開く前にツゥーリが答えた。本来なら首を切り落とされても仕方がないほどの暴挙、しかしロウに怒りはない。
こちらに意図に気が付き、冷静さを取り戻したのだ。癇癪持ちの多いニニヨ人らしからぬ度量の持ち主だ。惜しむべくは・・・今、まさに前にしているエレステレカに比べればなんと小さく見える事か。
「・・・ふぅん」
ロウが察したように、彼女も何か察したようだ。
彼女は腰に手を当て、小さくため息をついた。そして、聞こえない声で「どうしていつも、へとへとなタイミングで」と呟いたのをツゥーリは逃さなかった。
「ロウ様、なぜこのようなことをしたのですか?」
入った。
血を拭ったのだろう顔に血のカスが残り、ドレスこそ美しいがボロボロの姿。しかしその姿はまさしく舞台女優。急に地上に降り立つ女神のように輝いて見えた。
「民の願いだ」
ロウ様もまた、入った。
縛られていることなど忘れてしまいそうなほど威風堂々した姿。見下ろされながらもその姿は我らが王であった。
「ここに集まったもんは、いい暮らしをしていた連中だ。現状が耐えられなかったんだろうよ。情けねぇ話だが、止められなかったのさ」
まるで暴徒に巻き込まれたかのような言い分だが、煽ったのは我々だ。
エレステレカを殺すための暴動なのだ。
確かに“甘い毒”の情報を流したが、それを正しく理解できる者は限られている。
事実、クロス領の当主はニニヨ国の手腕をよく理解しており、領地を継ぐにあたり厳しく教育をしていた。だが、サール公爵は容易く金と女に篭絡した。
エレステレカに伝えた“甘い毒”など、初歩。こちらの手法の危険性を理解できる者をあぶりだし、殺害する。それが本当の目的だ。
支柱となる者が死ねばサール公爵のように危険性が分かっていても、抗えぬのが”甘い毒”というものだ。
しかし、エレステレカを殺す事ができなかった。
仕損じる、そんなことなど考えもしなかった。エレステレカは我々の欠点は詰めが甘いと言っているが、確かに失敗した後のことは、ツゥーリも知らない。
「確かにここでの暮らしは苦しかったことでしょう。しかし、それを望みこの地へと逃げてきたのではございませんか?」
棘のある言葉。
ここで言葉を間違えれば、ロウは殺される。もしそのようなことになれば、己の命を引き換えにしてでも守らねばならない。
「この地は過酷だ。状況を理解できず、好き勝手できると勘違いしたのだろう。ああ、言い訳するつもりはねぇよ」
縛られたまま、深々と頭を下げた。
「責任は取る。ひと思いにやってくれ。その代わり、ここに居る民たちの命を助けてくれ。それだけが俺の望みだ」
すると他に縛られた者たちが騒ぎ始めた。「殿は何も知らなかったのだ!」「殺すなら我々を殺してくれ!」というような内容だ。無論ツゥーリも「ロウ様はこの地の柱、それを折ればまた同じことが起きる」とエレステレカに訴えた。
感極まったのか、突如襲われた周囲の民たちもロウ様を救ってくれと懇願し始めた。百人近い人々の願いを、まだ十代の娘が一身に向けられた。
無論、罠だ。
これで許せば、堀に生まれた亀裂、そこから一気に決壊する。ならばと処刑すれば、善意で救った聖女から悪辣な支配者へと変わる。
どちらを選ぼうと、エレステレカにとって、この国にとってマイナスだ。
「本当にもうこんなことは起きないのですか?」
エレステレカは、何かスイッチが入ったかのように人々に聞こえる様に声を上げた。
人々は希望持ったかのように、こんなことは二度とない! 信じてくれ! ロウ様を殺さないでくれ! と声が上がっている。
「本当に? 奪わないのですか?」
彼女は、不思議そうに声を上げた。
「略奪をしない? 火をつけて回らない? 震える女の服を破り捨て、凌辱をしないのですか? もう二度と悲鳴が聞けなくなるのですか!?」
ニニヨ人たちは、思わず押し黙った。
もちろんよ! と女性の声が少し聞こえるが、男たちは声が出なかった。
「あなたたちのプライドを踏みにじり! 醜く肥え太った男の家に火をつけ、どうか妻と娘を助けてくれと懇願する男の前で強姦する喜びは二度と味わえないのですか!? そして豚のように蒸し焼きにして悲鳴を聞きながら自分の手にあるべき金を奪い返す事を止めてしまうのですか!?」
ツゥーリは女だ。彼女がアホみたいなことを言っていることに気が付くことができる。だが、男たちは違う。
男たちの目が変わっていくのが分かる。
「二度と!? まるで貴族のように練り歩くあの娘を路地に引っ張り込み凌辱することが二度とできなくなるのですよ! 怒りを伝えるのに火をつける以外の方法なんてあるのですか!? うまいことやってたっぷり溜め込んだ金は奪うべきじゃないですか! どうなんですか!!」
まるで舞台女優。女たちは違うが、男たちはすっかりエレステレカに目を奪われていた。
エレステレカはナイフを取り出し、ロウを縛るロープを切り自由にさせた。
「私は嬉しかったのです。この地へ来たあなたたちはまるで死人! 希望を失い、ただ死を待つだけの哀れな存在でしかありませんでした! ああ、偉大なるロウ様! あなたはまさにニニヨの地を統べる偉大なる王!! しかしこの地へと訪れたあなたは豚!」
切なげに胸を押さえる。
白いドレスが美しくひるがえり、目を奪う。
「怒りの炎は舞い上がった! 私はこの時が来ると信じていたのです!」
誰でもない、周囲の民に向けてエレステレカは声を上げていた。
「今こそ正義を示す時です!」
力強く拳を握り締め、高く上げた。
「ニニヨの地は今まさに真なる王を必要としている!」
そうだ! 民衆の中から男の声が上がった。
「さぁ剣を持つのです! 槍を持つのです! ロウ様、あなたたちの兄は、弟たちは間抜けが逃げ出したと笑っております! 教えてやりましょう、ただチャンスをうかがっていただけであることを!」
ツゥーリは主人の顔を見た。
すっかり乗せられ、覇気が宿っていた。
裏切るのは、あなたたちよ。
エレステレカの言葉が脳裏に浮かんだ。そう、彼女は初めから裏切ることを知っていた。彼女の目的は、調子に乗らせてニニヨ国に追い返すつもりだったのだ。
初めからそのつもりだったのだ。
ニニヨ人の気性を知っていた。そのうえでニニヨ人の技を学び、そしてまんまと我々はこの地から追い出されようとしている。
「ああ、そうだ。そうだ! 俺は帰らにゃいけねぇ!」
ロウは立ち上がった。
「奪うのです! あなたを笑った者たちから!」
エレステレカの言葉に頷いた。
ロウは決して愚かではない。ツゥーリが気づく事にも気が付いている。そのうえで、話に乗るしかない。
罠にかかったのだ。
エキサイティングな山賊暮らしにワクワクしてしまった。
そもそもそういう気質なのだ。誘導され、そうしようと思った。そして、きっと、エレステレカは山賊暮らしを快適にする手伝いをするだろう。
そうすれば、ニニヨ国は混乱するのだから。
ロウの檄に歓声を上げる男たち。女たちも従うように歓声を上げた。
決まりだ。
エレステレカに、敗北した。
我々は失敗したのだ。彼女を生かしておくべきじゃなかった。あの雪の道で、彼女が死ぬのを見守るべきだったのだ。そして私は、躊躇いなく殺すべきだった。失敗したのだ、生かしておいてはいけなかったのだ。
ツゥーリは、自分を縛るロープを関節を外し緩め手を抜く。そして、衣類の中に隠していたナイフを抜く。
身構えるエレステレカを一瞥し、ロウの背中からナイフを突き刺した。
「なっ、なんの、つもりだっ!」
ロウは血を吐きながら崩れ落ちる。
周囲から悲鳴が上がる。
密かに身を隠していた部下たちの戸惑いが見えたが、すぐさまこちらに攻撃を仕掛けては来なかった。
「我々は安住の地を求めていたはず。この地は、安住の地ではないのですか?」
「なっ、かっ、てめぇ・・・」
「きっとあなたは王となるでしょう。そして我々は何を得るのでしょうか? 今この地と同じ安寧の日々よ!」
声を上げようとするが、もはや口からは血が溢れるだけだ。
「あなたは涙を流してくれた。我々のような者を出さないと言ってくれた。だからこそ、あなたを選んだ! 王になれば我々を自由にするからいいとでも思っていたのか? 我々の望みは、我々のような者を出さない事だ! つまり、この地での生活! この地での生活を捨て、山賊だとっ!」
部下が動き始めた。ツゥーリを殺す決意を決めた者、そしてツゥーリに従う部下が殺し合いを始めた。
「間違っていた。自分の夢を、他者に任せる行為そのものが間違っていた」
ツゥーリはナイフを周囲に見せた。
「この地は私が支配する」
足元で、ロウが命尽きた。
周囲から戸惑いのざわめきが広がっていく。
エレステレカが近づいてくると、そっと呟いた。ツゥーリは、少し焦りながらエレステレカに従う。
「この町を見ろ! 我らが知性はこの過酷な地をツーランの堅牢都市へと変えている! この地は我が誇りだ!」
エレステレカは再びぼそぼそっと呟いた。
「自由を失った!? 笑わせるなっ! ニニヨの地こそ支配されていたことを忘れてはならない! 何故奪う! 何故略奪する! 火をつけ何を訴える! そして、我々は何から逃れてきたのだ!」
言葉を紡ぎながら、枯れたはずの涙が落ち始めた。
「私は誓う! 奪うまでもなく手にすることができる事を! 火をつけるまでもなく耳を傾け事を! ニニヨ国は滅びるだろう! そして次の国もっ、更にその次の国も滅びるだろう! だがこの地は滅びない! この地にこそ我らの故郷とする!」
戸惑っていた民たちは、轟くほどの歓声が上がった。
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