コラボラシオン⑫

******


 平原の目前まで下りてきたことで警戒はかなり緩んでいたんだろう。


 薄く雪が積もった道に点々と足跡を刻み込んで歩いてきたセルドラが目の前を行き過ぎた瞬間、俺は思い切り地面を蹴って飛び掛かる。


 それと同時、ブリューの矢が揺らした木の枝から落ちる雪に気を取られたセルドラは……俺に気付かなかったはずだ。


「動くな――ッ」


 その首に後ろから腕を回し喉元に突き付けた短剣。


 セルドラはびくりと体を跳ねさせたまま硬直し、沈黙した。


「爺ちゃん――〈宮廷カクトリエル〉カルヴァドスを襲ったのはお前だな、セルドラ」


 自分でも驚くほど低い声が紡ぎ出され、俺はぎゅっと唇を噛んだ。


 落ち着かなきゃ。こいつに罰を与えるのは俺じゃない――。


 脳裏を過ぎるのは太陽のような金色の髪を持つくれない色の目をしたこの国の王女様。


 あるじ――カシスが裁いてくれる。だから。


「――誰かと思えば。柔らかな土の上で命拾いしたか能なし」


 セルドラは喉の奥をくくっと鳴らして静かに告げた。


 俺は深い呼吸を挟んでからゆっくりと口にする。


「……お前はここで終わりだセルドラ」


「僕はこんなところで終わる人材じゃないさ。君の……間抜けな祖父と違ってねッ!」


「――ッ、ふざけるなよ……!」


 俺が怒鳴った瞬間、セルドラは右腕を振り上げた。


 風がびゅうっと逆巻いて――積もった雪が舞い上がり景色が白く煙る。


 こいつッ……自分が巻き込まれてもいいっていうのか⁉


 突き付けた刃が風でぶれるほどで――一瞬で世界がぐるりと回った。


「……ぐッ……うぅっわあッ⁉」


 俺とセルドラがものすごい風圧に弾き飛ばされたそのとき、視界の端を一筋の光が奔る。


 腹這いで地面に叩きつけられ吹き荒れる風に目を眇める俺から離れた位置――同じように転がったセルドラの右手首から銀色の腕輪がボロリと外れた。


 ブリューの矢が……宣言どおりに腕輪を射抜いたんだ。


 ――途端に風が溶け消え、耳に痛いほどの静寂がほんの一瞬だけ頬を撫でていく。


「……ッ」


 手にしていた短剣は弾かれてしまったけれど、俺は思わず身を起こしながら走り出し、立ち上がろうとするセルドラに飛び付いて再び雪の上に転がす。


「このッ……放せ痴れ者が!」


 馬乗りになって振り下ろした拳をセルドラは首を捻って躱し、反対に右腕を振り抜いて俺の左頬を打つ。


「うぐっ」


 傾いだ体が返されて今度は上になったセルドラが次の一撃を振り下ろす。


 それを両手で受け止めた俺は、膝を立てた状態から思い切り腰を浮かせてセルドラを弾き飛ばした。


 すぐに体勢を整えたけどセルドラは転がる勢いそのままに体を起こし、ちらと地面に視線を這わせる。


 その先には割れた腕輪。


 取らせるもんか――ッ!


「……うおぉッ!」


 腹の底から声を上げて右の拳を振るう。


 セルドラは腰を落としてそれを躱し、下から俺の腹目掛けて右腕を突き出した。


 ……でも。


「俺がッ! 何度――ッ」


 俺は吐き出しながらその拳を左手で受け止め、突き出していた右の腕を曲げて肘を思い切り振り下ろす。


「お前を許さないと思ったか――思い知れッ!」


「ぐ、ガッ……!」


 脳天を捉えた一撃にセルドラの膝がガクンと崩れた。


 けれどセルドラはすぐに足をドンと地面に突き立てるようにして……下から蒼いギラギラした目で俺を睨み付ける。


 そのとき――いつのまにか木から下りていたらしいブリューが弓を引き絞りながら告げた。


「そこまでだよ蒼髪――動いたら僕の矢が額に穴を開けるからね」


「……誰かと思えば……お前か。錬金術師の飼い犬め」


 吐き捨てたセルドラはブリューに目を向け……くくっと笑った。


「お前は知らないのか飼い犬? あの錬金術師――禁忌を犯して魔素を体に取り込んだ『人狼スミノルフ』は領地を追い出された根なし草だぞ」


「……人狼……?」


 思わずこぼした俺はそれでもセルドラから目を逸らさず、いつでも掴みかかれるように構えておく。


 ブリューは双眸を眇めると唸った。


「ジジイの話は関係ない。蒼髪、キールのジジイからなにか盗ったんでしょ? 出して。妙な動きをしたらそこの腕輪と同じ運命だから」


「はっ。こんなボロい手帳のことかな? 残念だよ、中身はそれほど華やかじゃない」


 セルドラは懐から古ぼけた黒い手帳を引き出し、ゆっくり立ち上がりながら掲げ持つ。


 俺は顔を上げて――ごくりと喉を鳴らした。


「レシピ手帳――やっぱり、やっぱりお前が――ッ!」


「そら、返してやろう」


「な……ッ」


 瞬間、黒い手帳が空を舞った。


 ちらちらと降り注ぐ雪のなか、黒い手帳はくっきりと浮き上がったようで。


 俺は思わずそっちに駆け出し、セルドラが俺を盾にするように跳ぶのが視界を掠める。


 手帳。爺ちゃんのレシピ手帳。


〈宮廷カクトリエル〉カルヴァドスが書き連ねた宝酒ほうしゅの――。


 取り戻したかった、取り戻したかったんだ。


 ……だけど。


 雪に落ちたそれを拾い上げ、胸元に押し込んで振り返った俺の目線の先。


「吹き荒れろ――ッ」


 勝ち誇ったような声とともにまるで雪の渦が柱になったような暴風が吹き荒れ――ブリューか跳ね飛んだのが見えて。


「――あ、あ……ブリューーッ」


 俺のせいだった。


 セルドラの手には割れた腕輪が握られていて。


 俺が爺ちゃんのレシピ手帳を取ろうと走り出したから――ブリューは魔法の直撃を受けたんだ。


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