コラボラシオン⑦

******


 翌日、日が昇ってもお爺さんが起きないあいだに事態は大きく動いた。


「すみませーん! すみません、すみません! このへんで変な格好のジジイ見かけませんでしたかーあ!」


 男とも女とも取れるけたたましい鐘のような声を張り上げ、走ってくる人影。


 急ぎたくともお爺さんをどうすることもできずヤキモキしていた俺は思わず手を振った。


「いるいる! ここにいますよー!」


「……いいのか? 爺さんが狙われてたら大変だぞ」


 隣で焚火に薪をくべたシードルさんが言いながら立ち上がる。


「え、そんなことあります……か?」


「錬金術師が恨みを買うことは多いからな」


 そう言いつつも剣は取らないシードルさん。


 けれどギラリと光る眼は迫る人影を見据えて少しも動かなかった。


 ――お爺さんが狙われているんだとしたら困る。


 俺は思わず腰の剣に左手で触れた。


「はあ、はあ。……ほ、本当に? まったくもう護衛の僕を置いてどっか行っちゃうんだから……」


 焚火のすぐそばまでやってきたその人は冒険者のようだ。


 担いできたのは俺だけど……胸のなかに仕舞っておこう。


 茶色の髪と目をした……そうだな、犬みたいな青年。横髪だけ長くしてあるのが垂れ耳のようでますます犬らしさを醸し出している。


 同い年くらい……うーん年下かな?


 俺は警戒しながら聞き返した。


「えぇと、護衛ですか? あなたが、お爺さんの?」


「そうですそうですよー。昨日変な男に襲われてジジイの身包み剥がされて……いや全部じゃなくて、まあ身包みの一部っていうか。そんで僕、ジジイに待っているよう言って男を追い掛けたんだけど……そいつ風の魔法なんて使うから――」


「――!」


 瞬間、俺は思わず犬みたいな青年に掴みかかる勢いで身を乗り出してしまった。


 途端に身構えた青年は目をくるくるさせて慌てた声を発する。


「え、えっ、な、なに⁉ もしかして山賊⁉」


「そいつ――蒼髪で蒼眼のローブか?」


「……ええ? め、眼の色まではちょっと。でも髪は蒼かったしローブも着てた……ってことはお兄さんたちも身包み剥がされたクチ? ……にしては大荷物が残ったね。うまく撃退できたんだ……僕とは大違い」


「そんなことどうでもいいんだ、その男は――」


「キール、少し落ち着いて。……ねぇ、あなた名前は? あんな薄着のお爺さんを置いていくなんてどうかしているわよ?」


 そこであるじが焚火のそばから立ち上がる。


 すると犬みたいな青年は覗き込むように上半身を傾けたあとでパッと笑顔になった。


「はー、女性もいるの! ……ふーん。見たところ貴族様か。山賊じゃなさそうでよかった。いいね花があって!」


「……あるじの話聞いてた? 応えてほしいんだけど」


あるじ⁉ すごいなお兄さん、物語の執事みたいだ!」


「えっ! あなたその物語を知っているの?」


 あるじまで嬉しそうにするけど――ちょっと待って。


「その話はあとにしてくれるかな……俺はセルドラの話が……!」


 思わず口を挟み掛けた瞬間、テントから黒い布を纏ったお爺さんがひょこっと顔を出した。


「儂の護衛だと? どの口が言うかこのうつけ者が」


「……ようやくお目覚めですか」

「さぁて、どうなるかね」


 マルティさんとシードルさんが静かに囁きを交わすと……犬みたいな青年は腕を組んで頬を膨らませた。


「仕方ないだろジジイ。風の魔法なんて聞いてないし? なんなら崖から落とされたんだからな僕は。なんとか登って戻ったらいなかったのはジジイだよ?」


 ……そのお爺さんを担いできたのは俺だけど。


 もう一度胸のなかでだけ呟いて俺はため息をついた。


 なんか調子狂うな……。


 とにかく、俺は髪をガシガシしてからお爺さんの蒸留器をぽんぽんと叩く。


「――これお爺さんのですよね? 『生命の水ヴィーテ・ウォタ』でも呑んでいたんですか?」


「え! お兄さんよく知ってるじゃん! そうそう、ジジイと僕はそれをテキラナに持っていくところだったんだ。……だけど話したとおり変な男に襲われた。迎撃して追い掛けたけど逃げられて……ジジイのマントと『生命の水ヴィーテ・ウォタ』、僕の好物が盗まれたんだよ最悪」


「テキラナにね……なんでまた?」


 そこで淡々と問い掛けたのはシードルさんだ。


「テキラーナって酒が美味いって聞いたから。僕とジジイの『生命の水ヴィーテ・ウォタ』とどっちが美味いか比べてもらって……買ってもらうつもりだった」


「……え、酒を売るつもりだったの?」


 そんなに美味い酒なら気になるけど……って、違う。流されてる場合じゃないんだ。


 言ってしまってから俺はひとり首を振って唇を引き結ぶ。


 すると青年はまるで悪戯を怒られた犬のように身を竦めた。


「……まぁね。僕とジジイの『生命の水ヴィーテ・ウォタ』は最高にスキッとして腹の底から滾るから絶対美味いのに……どこ行っても売れないんだ……」


「え、売れないの?」


 思わず口に出してから俺は深々と息を吐いた。


 ああ駄目だ。やっぱり酒なら気になる。


 俺はちらとお爺さんに目を向けた。


「……お爺さん、まだその『生命の水ヴィーテ・ウォタ』ありますか? ちょっと味見させてほしいです。……俺、カクトリエルなんで」


「ほっ。お前さん錬金術師だったか! 儂の『生命の水ヴィーテ・ウォタ』は美味いぞ」


「うん? いや俺はカクトリエル……」


「馬鹿を言うな。『生命の水ヴィーテ・ウォタ』を作るなら錬金術師。……さあ呑ませてやろう、と言いたいところだがさっきそこの虚け者が話したとおり盗まれてもうない。昨日呑んだのが最後じゃ」


「ええッ、ジジイ、なんで呑んじゃうんだよッ⁉ あれがなきゃテキラナに行ってもなにもできないじゃんか! あーもー」


 犬のような青年はそこで大袈裟に体を左右に振って……ふとあるじを見た。


「……貴族様。僕とジジイを助けてくれない?」


「……え?」


 あるじくれない色の瞳をぱちりと大きく瞬かせる。


「貴族様たちもなにか盗られたんだろーし、一緒に蒼髪を追い掛けよう。荷物を取り戻したらお兄さんには『生命の水ヴィーテ・ウォタ』を分けてあげる。どう?」


「…………」


 あるじは無言で俺を見たけど……応えるのは無理だ。


「……そうねと言いたいところだけれど難しいわ。錬金術師のお爺さんが凍えてしまうし……」


「ジジイには僕のマント羽織らすよ。僕は多少寒くてもなんとかなる――っていうかむしろ、こんなに寒いなら早くしないと雪になるでしょ。その前に蒼髪を捕まえないと手遅れになるよ」


「……」


 あるじは再び俺を見て……今度は頷いた。


「私たちも雪については同意見よ。……わかったわ。ただし雪が降り出したら遭難の危険はおかせないから帰るわ。それでいいかしら?」


「それでいいよ。僕たちもそのときは諦めて一度帰る」


 青年は腰に手を当てて言い切ると、お爺さんのところへ移動して鼻先にずいと指を突き出した。


「ジジイ、錬金術師なんだから暖かくなる薬のひとつでも作ってよ。あと勝手に移動しないでくれる? 僕めちゃくちゃ探したし!」


「移動した覚えはない、たわけが!」


「……ごめん。酔ってたから死んじゃうと思って担いできたのは俺なんだ……」


 ――俺はとうとう言わざるを得なかった。

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