フィーリア・レーギス⑱

******


 ここのカクトリエルは家で家族と過ごしているそうだ。


 魔物のこともあって不安だったろうなと心底思う。


 カウンターの内側……カクテルを作る道具は好きに使っていいとシードルさんが言うので借りることにして、俺はまず『テキラーナ』を持ってきた。


 テキラナで作られる『テキラーナ』は強めの酒だ。


 その昔、ここらへんは火の魔素が強くて山が炎を噴き上げることも多かった――らしい。


 その炎で町は焼かれてしまったんだけど、戻ってきた町の人はある植物から甘い匂いがするのに気付くんだ。


 龍舌ドラコリングヮって呼ばれる発音しにくいその植物こそ『テキラーナ』の原料だったんだな。


 ――ちなみに俺は龍舌ドラコリングヮを見たことがないけど……もしかしたらそのへんに生えているのかも。あとで教えてもらおう。


 ……そんなわけで。この話からもここが暑い地域だったことがわかるよな。


 本来、テキラナは氷季ひょうきに怯えるような場所じゃないんだ……。


 俺はあれこれ考えながら口の広い浅めのグラスを出し、『テキラーナ』と同じくテキラナで作られる『ライマ果汁』を隣に並べた。


 うーん……そうだな。これだけだときっと酸味が強すぎるから……もっと甘みが欲しい。


 ――いまカクテルを作るのに思い描くのはただひとり。


 精霊みたいだと思えば太陽のようで……弾き飛ばされた俺を受け止めきれず一緒に転がって。


 それでも動じることなく――魔物を狩ってしまった強烈な王女様だ。


 俺はオランジュ果皮を材料にする少し苦みを含んだ甘みの強い酒を選んで、試しに一杯作ってみることにした。


 細長い木の実のような形をした混合酒器ミクストに氷を入れ、そこに用意した『テキラーナ』と『ライマ果汁』、選んだオランジュ果皮の酒を注いで――。


『キール、混合酒器ミクストの持ち方はそうじゃない。……こうだ。帽子の部分……殻斗カクトを押さえ、冷やす場合は熱を加えないよう指先で柔らかく――けれど安全を重視するために三点でしっかりと支えろ』


 爺ちゃんの声が聞こえた気がして……俺はひと息吸ってから一気に振りにかかった。


 長すぎても駄目。


 短すぎても駄目。


 思い描く温度で、カクテルが薄まらないよう最短で。


 カ、カ、カ……と氷が振れる音。


 手の中で液体が踊って空気と混ざり合う、その流れを感じろ――。



「……よし」



 俺は吸った息を言葉に変えて、冷えた液体をグラスに注ぐ。


 乳白色のカクテルからはライマの弾けるような爽やかな香りとオランジュ果皮のほろ苦い香りがする。


 よさそうだと思って口にしてみると……ん、ちょっとライマが強すぎたか……。


 俺は少し考えて量を調整し、作り直すことにした。


 そうしていくつか試作した酒は片っ端からシードルさんが呑んでいく。


 勿体ないからありがたいけど……大丈夫かなそんなに呑んで……。


 そんなことを一瞬だけ思ったけど、俺はいつのまにか忘れて没頭してしまった。



 ――そして。



「うーん。味はこれでいいんだけど……」


 納得できる味はできたものの、なんていうかこう……足りないんだよな……。


 これはこれで美味しい。それは間違いない。


 だけど――こう、もう一歩……もう一撃、刺激がほしい。


「なにか足りないの?」


「うん。……なんだろう、もうちょっと強烈な感じにしたいんだ。驚くけど……魅入られるっていうか…………んッ⁉」


 さらっと聞かれてごにょごにょと応えた俺は弾かれたように顔を上げる。


 カウンター越し、頬杖を突く彼女はくれない色の双眸を細め……楽しそうな顔で俺を見ていた。


「あ……あるじッ……いつからいた⁉」


「グラスが三つ目になったくらいかしら」


「結構初期だよなそれ……」


 なんていうか……見られていたのは恥ずかしい。


 はあー、と息を吐くとあるじは手元の籠に盛られた薄紅色の結晶らしきものを指先で摘まんだ。


 元々置いてあったものじゃないからあるじが持ってきたんだろう。


「キールが混合酒器ミクストを振っているの……初めて見たわ。素敵ね」


「んんっ……そ、そりゃカクトリエルだからさ。振るくらいは……いや、でもあんまり見ないでほしいかな……まだ全然格好よくないし。……えぇと、その手に持っているのは?」


 急激に照れがきて視線を逸らし、俺はあるじに質問を投げる。


 こんなことならもっと練習しておくべきだった、とか……そんな俺の考えなんてつゆ知らず、あるじは薄紅色の透き通った結晶らしきものを掲げ、覗き込むような仕草をしてみせた。


「あら。格好よかったわキール。……これは岩塩よ。最近山脈で見つかったらしいの。うまくいけばこれもテキラナの名産になるかもしれないわ」


「…………」


 無邪気な笑顔で褒められると余計に恥ずかしいんだけど……。


 思わずかぶりを振って俺は口を開いた。


「へ、へえー……塩なんだ……宝石みたいで綺麗――」


 だけど。言いかけたところで雷が突き抜けたような衝撃が奔って目を剥く。


 ――岩塩……? ――岩塩か!


 俺は思わず両腕を伸ばし、カウンターから身を乗り出してあるじの手を岩塩ごと掴む。


「え、な、なに?」


「これだ!」


「……えっ?」


「これだよカシス! これ、少し分けてもらえないかな!」


「……、は、はい……ど、どうぞ?」


 俺はしどろもどろになって応えた彼女から岩塩を受け取り、ナイフで削って口に含んだ。


 塩味、苦味、雑味。


 複雑に重なった味が描き出す旨みに知らず口角が持ち上がる。


 高く高く聳える山――その深淵で眠りについていた遥か昔の遺物に相応しい深い味わい。


 いいな――思ったとおり、いけそうだ。


 ぺろりと唇を舐め、俺は岩塩を細かく削って皿に落とした。


 それからライマをナイフで切り割ってグラスの縁に滑らせ、果汁で濡らす。


 そのグラスを逆さまにして削った岩塩を盛った皿にそっと触れさせて――よし。


 俺はグラスの縁できらきらと輝く星のような岩塩に笑みをこぼしてしまった。


 我ながらいい案だ!


 さて、それじゃあここにさっきのカクテルを……。


 俺は改めて分量を計り直し混合酒器ミクストに注ぎ入れようと手を添えたところで、はた、と顔を上げた。


 ――当然、あるじと目が合うわけで。


「…………」


 そうだった、いたんだったな……そこに。


 一瞬で思考の外になってた……。


「……いいわよ、私のことは気にせず混ぜてくれたら」


「いや……ちょっとなんか、ごめん、緊張する」


「なによ、カクトリエルが恥ずかしがってどうするの?」


「そうだよキール君。カルヴァドスさんは堂々たるものだったよ」


 いつのまにかマルティさんまで増えていて、黙ってにやにやしていたシードルさんがくくっと喉を鳴らして笑う。


「キール、お前は格好いいぞ、そら、自信持て! いけ!」


 い、いけって……。


 やっぱりシードルさんに呑ませすぎたかな?


 そう思ったけど彼の頬は赤くもなく、薄紫色の瞳の上――瞼は少しも重そうな気配がない。


 根っからの酒呑みなんだろうなぁ……。


 俺はため息をこぼしてから唇を引き結び――酒を注いで殻斗カクトを閉めた混合酒器ミクストを手にする。


「……あんまり期待しないように」


 恥ずかしさから吐き捨てるようにして腕を持ち上げ、爺ちゃんの動きを思い出しながら真似る。


 精一杯、真似る。


 そりゃ、少しでも格好よく見せたいさ――俺はカクトリエルなんだから。


 そんな俺を皆ものすごく笑顔で見守ってくれたけど――うん。緊張するからそういうのはやめてほしい。


 あぁもう……もっとうまくなってから見せたかったな……。


 ――そうしてできた一杯を岩塩をつけたグラスに注ぎ……俺は少し考えてからあるじの前に差し出した。


「……うまくいってると思うから、あるじに」


「え、いいの?」


「――うん」


 まあ、あるじを思い描いて作ったカクテルだし。


「……カクテルの名前を聞いてもいいかしら?」


 すぐに聞き返されて、俺は最初から考えてあった名前を口にした。


「カクテル【フィーリア・レーギス】――吹っ飛ばされた俺を受け止めきれなくて一緒に転がったのに、動じないどころか熊みたいな魔物と戦って倒しきった強烈なあるじを模して作ったんだ。――意味は『王女様』」


 すると彼女は息を呑み――困惑した顔で言った。


「…………キール。それ、褒めているのかしら?」


「勿論」


 俺は努めて真顔で頷いてみせる。


 本当はあるじに精霊や太陽を重ねて思い描いたものだけど……それは胸のなかに仕舞っておくことにした。


 これくらいの意地悪は許されるだろう、たぶん。


「……もう、本当かしら」


 あるじはそう言いながらも――どこか期待を含んだ表情でグラスにそっと唇を寄せた。


 乳白色の優しい色味の液体が柔らかな唇に触れる。


 塩味が『テキラーナ』の甘みを引き出して……しょっぱさと甘さが程よく混ざり合う爽やかな呑み口の酒。


 ライマの香りが弾けてオランジュ果皮のほろ苦さがほんのり過ぎる後味。


 呑み終わる頃には太陽に照らされているような前向きな気持ちになっている――そんなカクテルになっているはずだ。


「…………美味しい」


 あるじはグラスから唇を放すと驚いたようにくれない色の瞳を瞬かせ……ぱっと華やいだ笑顔を浮かべる。


「こんなに美味しく作ってもらえるなら強烈なんていうのも悪くはないわね! ……ありがとうキール、嬉しいわ」


「――――」


 その心からの称賛に俺は一瞬言葉を失って…………肩を竦めてしまった。


 敵わないな、と思ったんだ。


「……本当はカシスに精霊と太陽も重ねて作ったカクテルなんだ。……正直、ものすごく格好よかったからさ」


 だから……素直に口にした。


 でも。


 どういうわけかシードルさんが額を押さえて視線を逸らし、マルティさんが噴き出すのを堪えて肩を震わせる。


「うん? ……俺、なにか変なこと言いました……?」


 思わず聞くと……あるじはつんと唇を尖らせてぷいと横を向いてしまった。



「もう。そこは可愛いとか綺麗って褒めてほしかったわ!」



******


 それからとにかく大量の【フィーリア・レーギス】を作った。


 いや、混合酒器ミクストを格好よく振りたいとかそんな余裕なんてなくてさ。


 はっきり言えば冒険者たちの呑む速度がおかしいんだ。


 しかも酷く酔った人たちは手慣れた様子でどこかに連れ去られ、ちゃんと介抱されているっていうんだから……すごいな冒険者!


 ――決まりを守って呑む酒は人を笑顔にする。


 こうなったら俺も気合を入れるしかないよな。


 さらには有言実行とばかりにあるじが樽買いした酒を振る舞い、町の人たちにも自由に参加してもらって……あっというまに時間が過ぎていく。


 テキラナの人々はこれから氷季ひょうきを切り抜けなきゃならないけど――負けてほしくない。


 俺は彼らの笑顔に胸が熱くなるのを感じた。


 ――そうして落ち着いた頃には外は真っ暗で……俺は何度か氷を作ってくれたメイジを見つけてカウンターから出る。


「あの!」


「……あら。氷が足りなくなったかしら?」


「いえ――あ、いや、氷は本当に助かりました。ありがとうございます」


 夜闇に浮かぶ月のような色の長髪を払ったメイジに頭を下げると、彼女は妖艶な笑みをこぼす。


「私も【フィーリア・レーギス】を堪能させてもらったからお礼はいらないわ。……それで? なにか用事があるのかしら?」


「はい……」


 俺はちらとあたりを窺って……そっと言葉を紡いだ。


******


「……あるじ、マルティさん!」


 俺はテキラナ町長と話していたふたりを見つけて声を掛けた。


「キール。……少し落ち着いたかしら? お酒のことを任せてしまって申し訳ないわ――疲れていない? ……冒険者ってあんなに呑むのね」


 微笑むあるじは頬を薄らと紅潮させていたけど……どうやら呑む量に気を付けているらしい。


 呂律ろれつも回っているし大丈夫そうだ。


「問題ないよ。カクトリエルとしてはむしろありがたいお客様たちだな」


 俺は答えてから右足を引いて外を指した。


「えっと。いま、ちょっといいかな……町長も一緒に」


「なにかあったのかい?」


 マルティさんがさっと身構える。


 俺は笑って首を振った。


「いえ、ただ――見てほしいものがあって」


「見てほしいもの、ですか?」


「はい。どうぞこちらへ」


 不思議そうに言うテキラナ町長に頷き、彼らを役場兼酒場の外に連れ出した俺は……待っていたシードルさんに手を振った。


 すると。


 ぽっ、と。


 空に炎が灯ったんだ。


「……わあ」


 あるじが気付いてぽかんと口を開ける。


 炎はくるりと円を描いたあとでポポポ、と分裂し……一気に文字を描き出した。



『テキラナの町に幸福あれ 宝酒大国リキウルに栄光あれ』



 見上げた人々が思い思いに感嘆の吐息をこぼすのが聞こえる。


 ――氷季ひょうきに負けてほしくない。


 それでなにかできないかなって考えて……あるじがもう一度魔法を見たいって言っていたのを思い出したんだ。


 これは氷を作ってくれたメイジだけじゃなく、ほかのメイジも協力してくれたからできたこと。


 誰からともなくぱちぱちと拍手が始まり、重なって、混ざり合って、まるで屋根を叩く雨みたいな音になる。


 ――皆が同じ気持ちで文字を見上げる時間が共有される。


「綺麗ね……本当に」


 隣でそうこぼしたあるじに……俺はゆっくり頷いた。


「テキラナは大丈夫だよな、あるじ


「ええ、当然よ。強烈なあるじがなんとかするわ?」


 ――彼女は俺を見上げ、炎を写して輝く瞳を細めて笑うのだった。



 ――ちなみに余談なんだけど。


『流れ矢に当たってもたったひとりで魔物を屠った精霊の王女様に捧ぐカクテル』


 俺はのちに【フィーリア・レーギス】がこう言われて広まっていると風の噂で聞くことになる。


 いや……流れ矢って俺のことだよな……やめてほしい……。



 それを知ったあるじが腹を抱えて大笑いしたのは言うまでもない――。

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