フィーリア・レーギス⑰

******


「……う」


 自分の呻き声で目が覚めて――瞼を持ち上げる。


 一瞬どこかわからなかったけど……ベッドの横に座っていたマルティさんがひょいと覗き込んできて説明してくれた。


「起きた、キール君? ここは宿だから安心して」


 彼は人懐っこそうな黒目を細めると、手を突いて上半身を起こした俺にお茶を差し出す。


「……『ファンブール』討伐のときにキール君が気を失って運ばれたんだ。覚えているかな?」


 ――あ。


 瞬間、ぞわりとうぶ毛が逆立って……俺はばっとマルティさんを見た。


「……討伐はどうなったんですか⁉」


 するとマルティさんはお茶を差し出したまま頷いてみせる。


「無事に完了したよ。もう大丈夫」


「……完了……はあー……よかった……」


 そっか……終わったんだ……でも。


 安堵とともに不甲斐なさで身が竦む。


 ……討伐の真っ最中に気絶したんだよな、俺。


 どれだけ迷惑を掛けたんだろう……。


 冒険者たちから見てもさぞ役立たずだったに違いない。


 俺はそこでようやくお茶を受け取り、えぇと……と続けた。


「――その……俺、気絶なんて……情けなくてすみません」


 恥ずかしくて申し訳なくて肩を落とす俺に……マルティさんは笑った。


「あはは、そんなことないよキール君! ファンブールの片目が潰れていないことに僕はまったく気付けなかったから。――それで気付いたんだよね?」


「あ……はい。でも倒したのはあるじや――マルティさん、冒険者の皆だし……」


「二体目に気付いてファンブールの背中と腕に傷を穿ったのは君だよ。誇っていい」


 ……その瞳は優しく、温かくて。


 慰めてくれてるんだと思ったら……目の奥が熱くなった。


 どうしようもなく情けない俺をマルティさんは責めたりしなかったから。


「――俺、もっと強くなりたいです」


 目尻からこぼれそうな気持ちを堪えて呟くと、マルティさんは微笑む。


「誰だって最初は強くなんかない……だから大切なのはその気持ち。僕なんてカルヴァドスさんから怒られてばっかりだったよ」


「……え、と。爺ちゃん、ですか?」


「そう。カルヴァドスさんってね、龍をも屠るなんて言われるくらい強いんだ。知らなかった? 酒場で荒くれ者を相手にしてきたからだって聞いたよ」


「え、そうなんですか……?」


「そうそう。キール君はもうそれなりに筋力もあるし、やっぱりカルヴァドスさんの孫だなって僕もノッティも話してたんだ。……君のその気持ちがあれば強くなれる。勿論、カクトリエルとしてだって成長できるんじゃないかな」


「…………」


 ひとつだけ……堪えきれなかった気持ちが雫になって頬を転げ落ちたけど――。


 俺はゆっくり息を吐き出し……瞼を閉じて蓋をした。


 これ以上、情けないところを見せたくないもんな。


「――爺ちゃんらしいです。拳骨ゲンコツ、だからあんなに痛かったんだな……」


 胸がいっぱいになるってこういうことなのかも。


 俺は鼻から息を吸い込んで目を開けた。


 どれだけみっともない顔をしているかはわからない。


 だけど……いま動かないとって思ったんだ。


「カクテル、作ってきます」


「――ふふ。もうすぐ日が暮れるから丁度いいかもしれないね。いっておいで。カシス様は部屋で町長と今後の話をしているから、あとから一緒に行くよ」


 俺は頷いてお茶を飲み乾し……すぐに部屋を出た。


******


 役場兼酒場はずいぶんと賑やかで――討伐が終わったことで明るい雰囲気に満ちていた。


 ここまで来るあいだにも町の人々が笑顔を交わす姿を何回も見たけど――これが本来のテキラナなんだろうな。


 まだ氷季ひょうきへの備えとか向き合わなきゃならないことも多いはずだけど、いまくらいは――そう。建国祭みたいに皆で楽しめたらいいと思う。


 俺は冒険者のあいだを縫って進み、カウンターにいた壮年男性……シードルさんを見つけてすぐに話し掛けた。


「シードルさん」


「おっ! 来たなキール! 待ってたぞ!」


「うん? ……えっと、待ってた……?」


「そうさ! お前の戦い、俺は胸が熱くなった! 最高だったぞ!」


「え? いや、でも俺……気絶して……」


「そんなの関係ない。お前のその気持ちは俺たち冒険者や……そう、お前のあるじを奮い立たせたんだ。そんな泣きそうな顔するな」


「な、泣きそうな顔……してますか」


 俺は思わず右腕で顔を擦り、唇を引き結ぶ。


 シードルさんは楽しそうに口角を吊り上げ、目の前のグラスを手にした。


 透き通った液体がゆらりと揺らぎ……彼は言う。


「なあキール。これは水だ」


「……は、はぁ……水、ですか……」


 えーと。なに言ってるんだ……?


 思わず眉を寄せた俺に向けてシードルさんは次にグラスを掲げた。


「お前はカクトリエルだ」


「……え、あ、はい……」


「――よし! さあ作れ、最高に強烈なカクテルにしてくれよ! おい、お前ら! 主役のカクトリエルが戻ってきたぞ!」


 瞬間、酒場で思い思いに過ごしていた冒険者たちがワッと沸き立った。


「うわ……⁉」


 思わず後退る俺の肩を叩き、シードルさんはこれでもかってくらいに笑う。


 その薄紫色の瞳は心底楽しげで……どこか子供っぽかった。


 こんな格好いい人でもそんな顔するんだな――。


「よーしキール。なにが必要だ? 氷はいるか? いるよな! 誰か魔法使えるやつ、氷を頼む!」


「いいわよ。代わりにとびきり素敵なカクテルを呑ませてくれるのよね?」


 カツン、とヒールを鳴らして踏み出したのは夜空に炎の文字を描き出したメイジだった。


 彼女は濃い蒼の双眸で俺を見詰め、妖艶な笑みをこぼす。


「……いくわよ。咲きなさい」


 ひゅん、と。


 魔素銀の結晶が填め込まれた杖が踊る。


 ――すると。


 キン……というグラスを合わせたような音が響き…………俺とシードルさんの上から親指大の氷の塊が大量に降り注いだ。


「うっわ! わ、うわぁッ! つ、冷たッ! 痛ッ⁉」


「っは! 痛いなこりゃ! キール、受け止めないと全部落ちるぞ!」


「えぇっ⁉」


 ばらばらばらーッ


 シードルさんに言われ慌てて掴んだ皿に氷が積もっていく。


 透き通った硝子ガラスのような氷は美しくて儚げで……だけと馬鹿みたいに降り続けて。


 ――それがなんだかものすごくおかしくて、さ。


 高価な製氷機がないとそうそう作れないはずなんだ、氷なんて!


 それがこんな……はは、本当に雨みたいだ!


 すごい!


「必要ならまた作るから言いなさい、カクトリエルさん?」


 メイジは笑い出した俺に向かってぱちりと片目を瞑り、ひゅんと杖を振って氷を止める。


 そのままあるじよりも明るめの金髪をさらりと払うと、彼女はくるりと踵を返した。


 俺は頷いて……その背に向けて口を開く。


「ありがとうございます。笑顔になれる一杯、約束します! ……痛ッ」


 それを聞いたシードルさんが……俺の背中を思いっ切り叩いた。

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