フィーリア・レーギス⑭

 ――そうして。


 外出禁止令が発令される夕方に向け、町の人たちが準備のために急ぎ足で行き過ぎるあいだを抜けて……俺たちは役場兼酒場でテキラナ町長と会った。


「……お時間をありがとうございます、テキラナ町長」


 昨日の場所ではなく、町長の執務室だという個室。


 几帳面な性格なのかコの字型の大きな黒い机には整然と並んだ必要最低限の文具と書類だけ。


 小さな明かり取りの窓がある以外は棚で埋まったその場所はどこか窮屈だ。

 

 その真ん中には四人掛けのテーブルが填め込まれたみたいに置かれていて、町長は俺たちに座るよう言って部屋を出ると――お茶を持って戻ってくる。


「お気遣い感謝します……けれどご無理はなさらずに。お疲れでしょう……?」


 落ち着いた声で言ったあるじの言葉に町長はテーブルを挟んだ正面で血の気の失せた唇を開いた。


「気にせずお飲みください。いまは休んでいられる状況でもなく、せめてもの息抜きにと用意したお茶ですから……ご一緒に楽しんでいただけると私も安心できるので」


「そう……でしたらありがたく頂戴いたしますわ」


 あるじはそう言うと差し出されたカップを柔らかな所作で受け取る。


 町長は頷くと俺にもお茶を出してから自分の分をひとくち飲んだ。


「……このとおりテキラナは厳しい状況にありますが、本来は『テキラーナ』や『ライマ』が人気の温暖な町なのです。ご助力には感謝していますが……そちらも無理はいけませんよ」


「……いいのよ。当然のことだもの。あまり時間もないから単刀直入に失礼するわね。――この町が氷季ひょうきを越すために必要なものはなに?」


「……?」


 意味を計りかねたのか眉間に皺を寄せ、眉尻を下げる町長。


 身嗜みを整える時間すら惜しんで働いていたんだろうな――今日もばさばさの赤茶色の髪は首の後ろで束ねられ、疑問符を浮かべた同じ色の目が二度瞬かれる。


「部屋を暖める道具かしら、それとも大量の薪かしら? 食料も必要? あとは……医者とか、人手……?」


 あるじは気にせず淡々と言葉を進め、最後にとびきりの笑顔を付けた。


「全部叶うかはわからないけれど――なにか手伝えたらと思って」


「……あの。見たところ冒険者である以前に貴族のお嬢様とお見受けしますが――。この地方を管理されているのは『メスカル公爵』です。そちらに文をお送りしたところですので……お気遣いは無用ですよ」


「メスカル公爵は多忙とお伺いしています。文を見る頃には氷季ひょうきに入っているかもしれないわ」


「それは――」


 あるじは言い淀む町長から視線を外してお茶を飲み、ほっと息を吐く。


「美味しいわ。――ねぇ町長。魔物の討伐が完了したらいくつかお酒を買うわ。そうね……樽ごとになるでしょうね。冒険者たちはお酒が好きみたいだもの」


「え?」


「それで、この酒場を貸切にして全員で祝いましょう。キールがカクテルを作るわ。きっと忙しいわね」


「あの……」


「――安心して氷季ひょうきを過ごせるよう手伝う、それは約束するから……あなたは少し休んで。本番は明日よ、今日の指揮は私に任せてちょうだい」


「い、いえ……それは……」


 あるじは強引だから――こうなったら聞かないんだよな。


 俺のときもそうだったけど、名乗ってもないのにこんなこと言われて町長は困るだろうに。


 だから俺はおろおろと視線を巡らせる町長に肩を竦めて笑う。


「諦めてくださいテキラナ町長。あるじ、ちょっと世間知らずですけど――実はものすごい人なんですよ」


「まあキール、世間知らずだなんて失礼ね」


「それじゃあ聞くけど。当然のように話を進めているあるじちゃんと・・・・名乗った? いきなり言われても困ると思うし。必要なら名乗るんじゃなかったか?」


「…………あっ」


 あるじは俺を見てぱっと頬を染め、いそいそと立ち上がる。


 それから――ドレスを摘まみ膝を折って腰を落とすと、優雅な礼をした。


 ――その凛とした姿は王族だからこそ……なのかな。


 知らず息を呑んで見詰めていた俺の前で、彼女は強い光を湛えたくれない色の瞳を上げる。


「……失礼いたしましたわ。テキラナ町長、改めて名乗らせていただきます。わたくしはリキウル王国第一王女、リルカシスと申します。各地の酒造状況を調査し問題解決を任とした視察官ですわ」


「…………」


 テキラナ町長は無言でお茶を口に運び――


「ぶっ……ゴホッ! お、王女様⁉ ――げほげほっ」


 ――盛大に咽せた。


 まあそうだよな。俺と違って予想できる状況でもなかったし。


 するとあるじどこからか・・・・・ハンカチを取り出して差し出す。


「――あるじ


「緊急事態よ」


 思わず目を眇める俺にさらりと言ってあるじは微笑む。

 

 目を離した隙にすぐこれだもんな……いや、目の前で出されても困るんだけど……。


「ごめんなさいテキラナ町長。本当は隠したままの予定だったの。キール、あなたの短剣を出してくれる?」


「……うん? 短剣? ……どうぞ」


 俺がベルトに装着した短剣を渡すとあるじはそれをテーブルに置き、まだ咽せている町長に差し出しながら席に着いた――けれど。


「柄に王族の紋が入っているわ。私の紋であるスグリノも。これで証明になるはずよ」


「ごほっ……な、あ、あるじ! そんな大切な短剣俺に預けてたのか⁉」


  放たれた言葉に今度は俺が咽せる。


「あら、預けてはいないわ。贈ったんだもの」


 いやいや、そうじゃない。冗談はやめてほしい。


「げほっ……ああもう……なくしたりしたらどうするんだよ……」


 頭を抱える俺に憐れむ視線を向けたテキラナ町長は深呼吸を挟み、受け取ってしまったらしいハンカチをさわさわしながら震える声を絞り出した。


「……た、大変なご無礼を……お許しください、リルカシス王女様。あの、まさか討伐に参加するなんてことは……?」


 うん。もうわかりきっている質問だ。


 それでも聞かずにはいられないんだろうけど。


「勿論、参加するわ?」


 にっこり微笑むあるじに……テキラナ町長はしおしおと項垂れた。


 心労がかさまなきゃいいけど……。


 俺は胸のなかでそっと呟いて、とりあえず……と気を取り直す。


「それじゃああるじ……テキラナ町長は少し休んでもらうとして……まずなにからする?」


 彼女はふふと笑うとお茶をゆるりと飲み乾して立ち上がった。


「不安に思う民もいるでしょう。町を回るわ、付いてきて」

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