フィーリア・レーギス⑬

******


「あのさあるじ。こういうときに衛兵たちは動けないの?」


 聞くと……あるじは困ったように眉尻を下げる。


 ――念のため警戒しつつ宿に戻った頃にはかなり遅い時間だった。


 俺たちの部屋で短く打ち合わせをと言ったあるじは椅子に腰掛け、俺とマルティさんはベッドに座っている。


 すべての家具がぎゅっと寄せられたような広くはない部屋だったけど、よく手入れされていて居心地がいい。


「そうさせたいのは山々だけれど……実際は難しいわ。衛兵たちは王都や大きな町のの守護を主な仕事にしているの。にいる魔物の相手は冒険者たちのほうが特化しているのよ。それに地方を管理している王族や貴族がいるから、まずそっちに指示を仰ぐことになるわね」


「そっか……じゃあ王宮に助けを求めても駄目なんだな……」


「勿論なにかあれば衛兵を出すこともあるわ。けれど――準備をしているうちに時間が過ぎてしまうでしょうね。冒険者たちはその点とても身軽で経験も豊富なの。……王女じゃなかったら私、絶対に冒険者になっているわ!」


 ああ、うん。なんかわかる……。


 よくも悪くも自由奔放って感じが。


 口には出さずうんうんと頷くと、気をよくしたのかあるじは続けた。


「今回は『冒険者』の設定で参加になるわね。物語みたいに町を救うのよ! ……でも怪我人もいるくらいだから当然気は抜けない……王女としてもテキラナの支援はするつもりだけれど、まずは無事に切り抜けないとならないわ」


「設定はいいけど……本当に気を付けて。俺のほうが弱いから怪我するなら自分の確率が高いかもしれないけど……やっぱりあるじやマルティさんが怪我するのは嫌だし。心配する人も多いだろうしさ。――そういえばあるじはどうして王族の視察官だって名乗らないんだ? 情報もそっちのほうが多く聞けるんじゃないのかな」


 ふと思い出して聞くと……あるじくれない色の大きな瞳を細めて眉尻を下げ、苦い笑みを浮かべた。


「あなた本当にいいひとね、キール。大丈夫、必要だと判断したら名乗るつもりよ。ただ可能な限り『飾らない言葉で紡がれた飾らない物語』を聞きたいと思っているだけ。王女なんて言ったら変に取り繕うはずだもの。私……そういうのは好きじゃないから」


「ちなみに僕もあまり飾ることなくカシス様に接しているけど……それは単に気を遣いすぎると怒られるからだよ、キール君」


 そこでマルティさんが慈愛に満ちた笑みを浮かべ、さらっと言ってのける。


 俺は思わず吹き出してしまった。


「ははっ、うん、わかる気がします」


「もう。言うわねあなたたち……。まあいいわ。そうと決まったら今日は休みましょう。……キール、カクテルの件は頼んだわよ?」


「うん。せっかくだから『テキラーナ』を使おうかな」


「それは素敵ね! 私も楽しみにしているわ」


 この町で暮らす人たちが安心できるようになった――そのときのためのカクテルか。


 皆が笑顔になれるようなものにできたら。


 ……うん。がんばってみよう。


 俺はあるじが立ち上がったのに合わせて自分も立ち上がり……扉を開ける。


 そのまま隣の部屋にあるじが入るまで見守っていると――彼女は扉を閉める前にもう一度顔を出した。


「……キール」


 くれない色の瞳が廊下に灯されたランプの炎を写して光を揺らめかせ……どこか宝石みたいに見える。


「うん……どうかした?」 


「ひとつだけ伝えておくわ。私がもし傷付いたり命をなくしたとしても――王宮は困らない。だから私のせいであなたが咎められる心配もないわ。安心して」


「……うん?」


「おやすみなさい」


 聞き返した俺には応えずに……フワリと舞った金色の髪が扉の向こうに消える。


 俺は少しのあいだ閉まった扉を見詰めて――知らず唇を引き結んでいた。


 ――王宮が困らないとか、そういう問題じゃない。


 ――俺が咎められるとか、そういう問題でもない。


 あるじが侍女や従者を最小限にしていることや……どこか腫れ物を扱うような態度で接する彼らを思い出し……俺は小さく息を吐いた。


 王宮のことはよくわからないけど――かなり面倒臭いんだろうな。


 それでもいまの言い方はあんまり――好きじゃない。


 俺はゆっくりと踵を返して部屋に入り……後ろ手で扉を閉めた。


 すると待っていたらしいマルティさんがにっこり微笑む。


「キール君、さすがに剣を使った稽古はできないからここでできる鍛練をしようか!」


「……容赦ないですよね、マルティさん……」


******


 翌日、朝。


 マルティさんはシードルさんや冒険者たちとともに町の警備のため出ていった。


 本来なら王女であるカシスの護衛を離れるわけにはいかないのに……「我があるじはこんなときに隣にいるだけの衛兵は許さないからね」なんて親しみの籠もった笑顔で言い切って。


 うん。格好いいにもほどがある。


 あるじは民のために動くことを惜しまないんだろうし……早く俺もなにかできるようにならないとなぁ。


 あるじ――カシスはあんな言い方をしていたけど、怪我をしてほしくないっていうのは俺の意志であって王宮やあるじの身分は関係ないというか。


「……どうしたのキール。ぼーっとして」


 宿の入口で突っ立っていた俺はその声で我に返った。


 振り返れば……あるじがいつもの紅色の鎧ドレスに身を包み、金色の髪を肩から払いながら不思議そうな顔で俺を見ている。


 俺はどう応えたものかと思いながら口を開いた。


「ああ、うん。少し考えごとを……」


「あら――できることがあるなら手伝うわ」


 言うが早いがあるじはドレスの裾を捲り――。


「って、うわぁッ⁉ なにしてるんだよあるじッ」


「誰もいないから平気よ。全部捲るわけでもないし……お酒のことを書いた手帳を出そうと思って」


「いや俺がいるから! それになんでいま手帳なんて!」


「え? 作るカクテルで悩んでいたんじゃないの……?」


「うん? ……ああ、そういうこと……」


 まったく違う。むしろカシスの話なんだけどな――。


 言いかけた言葉はややこしくなりそうなので胸のなかだけに留め、俺は強張ってしまった肩の力を抜いてため息をつきながら宿の扉を押し開けた。


「カクテルの話は落ち着いたらでいいよ。あとドレスの裾から物を出さないで! ……まずは町長のところでいい? 行こうか」


「ふふ。行きましょう」


 噛み殺したような笑い声に横目で見ると、あるじはなにが面白いのか口元に笑みを浮かべている。


「ふふじゃないから……俺が困るんだよあるじ……」


 俺は思わずそうこぼし……ドレスの裾を揺らして宿を出るあるじに追随した。


 変に緊張するから本当にやめてほしい。全部捲るわけでもないとかタイツ履いてるとかそういう問題でもないんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る