フィーリア・レーギス⑫

 するとシードルさんは薄紫色の暖かみのある目を瞠って……突然俺の背中をバシッと叩いた。


「いっ……⁉」


「なるほど言うじゃないかキール君、いやキール! そうか、無粋な真似をしてすまなかった! 俺はもうなにも言うまい! ――とりあえずライマをかじっておくといい。内蔵を守ってくれるからな。ここじゃ『テキラーナ』と一緒にライマをかじるのが定番なんだ」


「…………は、はぁ」


 俺は曖昧な相槌を打ちつつ背中を丸めてカウンターに突っ伏す。


 ……革鎧の上からなのに信じられないくらい痛いんだけど……。


 ところがシードルさんは俺の様子なんかまったく気にならないらしい――皿に盛ってあったライマを掴むとナイフでくるりと斬って差し出した。


 その笑顔ときたら心底楽しげだ。


「俺はキールみたいな熱い男は応援せずにいられない気質たちでね。……守ってやりたいんだな、そうなんだろう?」


 いや……どっちかというと守られるのは俺なんだけど。


 なんとか上半身を起こし、苦い気持ちで受け取ったライマをかじった俺は……その酸味に思わず顔を顰める。


 うわ、酸っぱ――。


 するとカウンターの向こうから呆れた声がした。


「なにしているのよあなたたち……」


「ああ……あるじ


「男の話だ。な、キール!」


「う、うん……?」


「……男の話? 物語にもよくあるわね。打ち解けるのはいいことだけれど……」


 あるじはどこか微笑ましそうな顔をしたあとで俺が乾した器に目を移す。


「とりあえずこれで私たちも強制参加よね。お代はキールがいただいてしまったようだし」


「あ、うん。――ちょっとあるじには強すぎるかもなと思って」


 口に残るライマの爽やかな酸っぱさを堪能しながら頷くと彼女はつんと唇を尖らせた。


「まあ! あなた言うわね。――べつに一杯くらいなら大丈夫よ……たぶん」


 あるじの言葉にシードルさんがくすくすと笑う。


「ここにいるのは酒好きばかりだから一杯じゃすまないさ。いまは皆、討伐に備えているだけでな」


 するとあるじはぱっと頬を綻ばせた。


「そうだわ! それなら魔物をなんとかしたらここでカクテルを作って振る舞うなんてどうかしら」


「うん? ここで?」


 思わず聞き返す俺に彼女は嬉しそうな顔をする。


「ええ。せっかくだからキール。あなたの腕前を披露しましょうよ」


「なんだ、キール。まさかカクトリエルなのか?」


「まだ卵みたいなものですけど……一応」


 疑問を口にしたシードルさんに苦笑すると、あるじがぴっと右の人差し指を立てた。


「魔物さえ倒せばテキラナは立て直せるわ。氷季ひょうきへの備えも間に合う――そのための看板カクテルを用意しましょう。お願いねキール」


 なにか悪戯を思い付いたような顔をする彼女に、俺は肩を竦めてみせる。


 なんだかよくわからないけど――。


「それで役に立つなら――仰せのままに」


******


 そんなわけで町長に改めて参加表明と自己紹介を行って、俺たちはシードルさんから魔物討伐の作戦説明を受けた。


 俺たちが街道で戦った魔物の名前は『ファンブール』。 


 普段は山脈の奥にいるらしいんだけど……恐らくは魔素による気候変動で餌がなくなって移動してきたんだろうって話だ。


 室内だっていうのに肌寒く感じるし、やっぱり氷の魔素が強いんだと思う。


 ――ちなみにあるじは身分を明かさずカシスとだけ名乗っている。


 調査のときも基本は名乗らないつもりなのかもな。


「雑食の魔物だからなんでも食べる。どうやら一家・・で移住してきたらしくてな。一番大きな『ファンブール』が狩りを担当して残りは酒蔵さかぐらに籠もっているようだ――占領されちまったのはここと、ここ。それとここの三ヵ所だ」


 進んでいく話にテーブルに広げられた地図を見詰めていたマルティさんが「ふむ」と唸った。


「段になったグレプ畑に酒蔵さかぐらが点在していてちょっと戦いにくそうですね。ほかの酒蔵にも人がいるんですよね?」


「まあそうなるな。ただ今回俺たちは――」


 シードルさんは頷いたあとで地図の上で人差し指をついと滑らせ、山の中腹より少し上を指す。


「上から攻める」


 ――山脈方面に逃げられたら追うのは難しくなる。


 これから訪れる氷季ひょうきに万が一にも戻ってこられては元も子もない。


 それが冒険者たちの見解だった。


 確かに餌が少なくて移動してきたんなら一度山脈の奥に戻ってもまた出てくる可能性はあるよな……。


 なるほど、と頷く俺を横目にシードルさんが続ける。


「まずファンブールの一番大きな個体を誘き寄せて攻略。そのあとは手分けして三ヵ所の酒蔵さかぐらを一気に征圧。万が一危険を感じて逃げようとするファンブールがいればどの段階だろうと即戦闘に移る」


「町民はどうするのかしら」


「作戦終了まで自宅待機ってところだな」


「了解したわ。……作戦日はいつ?」


 あるじが金色の髪を払いながら言うと、テキラナ町長が小さなため息を吐き出した。


「明日の夕方から外出禁止令を発令します。戦闘は明後日の早朝より開始――スグリノ村や王都にも明日伝達を走らせておきます。夜までに征圧完了が望ましいですね」


 それを聞いたマルティさんは黒い瞳をシードルさんに向けて落ち着いた声で応える。


「そうすると明日は夕方までに外に出て準備する人もいますね。そのあいだの町の警備も冒険者の皆さんが?」


「……ああ」


「でしたら僕も配置してください。カシス様とキール君は――」


「私はまだ調べたいことがあるわ。キールは申し訳ないけれど私と行動してもらえるかしら。集合はここで。……テキラナ町長、明日お時間をいただけますか?」


 あるじはそう言って町長を見た。


 彼女は色濃く疲れを滲ませた硬い表情で頷いた。

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