フィーリア・レーギス⑮

******


 夕方になり町に明かりが灯り始めた。


 空は紺碧へと塗り変わる美しい姿を晒しているけど……外を歩く人は冒険者くらいでテキラナにはどこか緊張した空気が満ちている。


 冷えた手を擦るあるじに……俺は自分のマントを差し出した。


 と言っても……馬車に入っていたやつだから俺も借り物なんだけど。


「物語の主役が風邪なんてひいたら大変だからな」


「……ふふ。ありがとう」


 余程寒かったのかあるじは微笑んで受け取るとそのまま羽織って胸の前で掻き寄せる。


「暖かい……さすがに少し冷えてきたわね」


「うん。そろそろ一度戻ろうか」


 ――テキラナ町長を休ませるという名目で外に出た俺たちはいたるところで不安そうにしている町の人に声を掛けて回った。


 なかには冒険者に状況を説明するよう詰め寄る人もいたくらいなんだ。


 やっぱり恐いんだよ、誰だって。


 でも俺は――そこで微笑むあるじの姿に……変な話なんだけど、こう……魅入られたっていうか。


 恐れなんて感じさせない笑み、不安なんて吹き飛ばす柔らかいのに力強い声。


 民を守ると断言する姿は眩しいくらいで、そう。


 前に魔物と戦う彼女を見て思ったときと同じ――精霊みたいだって。


 カクテル【スグリノレクス】は彼女を祝うものだったけど、できればいまこうして民の前にいる彼女を模したカクテルも作ってみたい。


 あるじはそこで俺を見た。


「……キール、テキラナ町長の前では注意してくれて助かったわ。ありがとう」


「うん? なんの話?」


「私、名乗るのを忘れていたでしょう? ……考えてみたら恥ずかしい話だと思って」


「ああ……」


 ……まあ、誰ともわからないお嬢様が急に「指揮を執らせろ!」なんて無茶を言ったんだから……口にした本人は恥ずかしいだろうなぁ。


 ……俺は考えながら口を開いた。


「カシスらしいと思ったよ。俺を連れ出したときも同じだったから」


 敢えてカシスと呼んだのは親しみを込めたつもりだ。


 だけどどういうわけか彼女は目をみはり、恥ずかしそうに俯いた。


「……物語の執事もそうやって……ちゃんとあるじを窘めるのよ」


「うん? ああ、あるじって呼ぶ執事の話?」


「ええ。それに……」


 その瞬間、後ろからくすくすと笑い声がした。


「名前を呼ぶのは真剣なときですからね」


 あるじは弾かれたように振り返って酷く狼狽うろたえながら唸る。


「……ま、マルティ! なによ、いたなら声を掛けなさい……!」


「いま来たところですよ? 町の人は全員鍵を掛けて待機を開始しました。……魔物に怯えて籠城状態の酒蔵から出られない人たちにはメイジが魔法で文字を描き出して対応しています」


「え、魔法で?」


 思わず言うとマルティさんはうんうんと二度頷いた。


「僕もあまり見たことがないんですけど、冒険者にはメイジがそれなりに所属しているようですから! 夜もやるみたいですよ」


「……うわ、見てみたい……」


「キールは魔法を見たことはないの?」


「うん。自分でも使えたらいいのにってずっと思ってた」


 笑ってみせるとあるじはおかしそうに笑う。


「……こんなときだけれど……それなら見せてもらいましょう。カクテルを作るのに役立つかもしれないもの」


「魔法みたいなカクテルか……それいいな」


 俺は逆巻さかまく炎やほとばしいかづちを想像して口角を吊り上げる。


 ――こんなとき、だからこそ。


 笑って過ごすことができるなら……その助けになるのなら。


 それは俺の目指す場所に近い気がした。


******


 夜闇のなか……佇むメイジの髪はあるじよりも明るめの金色。


 太陽が冷めた月を染め上げたようなその髪がメイジの動きに合わせて軽やかに揺れ動き、透き通った声が木霊した。


「いくわよ――燃えなさい」


 ひゅん、と。


 魔素銀の結晶が填め込まれた杖が振られ、星の瞬く空に炎が奔る。


 うわ…………すごい……!


 冒険者のメイジが操る炎はするすると尾を引き、空に浮かぶ文章を描き出す。


 この方法も彼女メイジとその仲間が考え付いたらしい。


 うん。その発想力はカクトリエルにも必要だよな……。


『明日助けにいく。それまで待っていて』


 考えていた俺は描かれた文字に胸が熱くなって……空を見上げたままぎゅっと唇を引き結ぶ。


 俺も……なにか役に立てるかな……。


 いや、役に立てるように頑張らなきゃ――。


「――こんなときに変だけれど……綺麗ね。できれば終わってからもう一度見たいわ」


 隣で呟いたあるじに……俺は頷くので精一杯だった。

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