フィーリア・レーギス⑨

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「無理しないでいいわ」とあるじに慰められ、マルティさんには「褒める気持ちと心配する気持ちが半分半分」と肩を竦められ……俺は馬車の中でぐったりと背もたれに体を預けた。


 わかってるよ、無謀だったことくらい……。


 馬たちはマルティさんのお陰ですぐに落ち着きを取り戻し、馬車は町に向けて走り出したところだ。


 ――気を抜ける状況ではないんだけど、いまさら体を凍てついたような震えが奔る。


 ……こんな調子でもっと戦えるようになるのかな。


 ふたりにはいろいろ言われたけどやっぱり強くならないと駄目だって思う。


 あるじは前線で戦うのに従者がこんなじゃ集中もできないだろうし。


 本来、背に庇われて然るべき『王族』――宝酒大国ほうしゅたいこくリキウルの王女様に庇われ――見ているだけだなんて。


 口にはせずに横目で窺うと、彼女は柔らかそうな唇に右の指先を当てて瞳を伏せていた。


「やっぱり魔物が出ていたんだわ……町は大丈夫かしら……マルティ、急ぎましょう」


「わかっていますカシス様。グレプの凶作はやはり魔素まそが影響しているかもしれませんね」


「……えっと……魔物と魔素に関係があるってこと?」


 俺がふと聞くとあるじは深々と頷く。


「ええ。魔素で気候が乱れれば必然的に植物に影響が出る……そうするとその実や根を餌とする動物が食べ物を求めて行動範囲を広げるのよ。そして動物を糧とする魔物も」


「なるほど……草食動物を餌にする肉食動物なんかも一緒に移ってくるってことか。スグリノ村に出た狼みたいな魔物もそうだったのかも」


「可能性はあるね。正直、そうでないと人が行き交う街道まで魔物が出てくるなんて普通は考えられないんだよ。馬車を恐がってもいなかったようだしね――」


 俺が応えると御者の席からマルティさんが同意する。


 ……俺たちの前方には黒い雲が覆い被さるように連なった山脈と……煌々とした灯が満ちる町の姿が見えていた。


******


 こうして町――テキラナに到着した俺たちはすぐに宿で部屋をふたつ・・・取り、少ない荷物を置いて情報収集のために夜の町へと繰り出した。


 俺は冷たい空気のなかでゆっくりと息を吐き出し静かな町の姿を見回す。


 細長い幹で天辺に大きな五枚の葉を広げた木がぽつぽつと生え俺の腰ほどまである固そうな葉の下草が群生したなかに、木をふんだんに使って造られた温もりのある建物の数々が身を寄せ合っている。


 建物の窓の雨除けや入口と思われる扉の横にはランプがいくつもともされ町は明るく見えるけど――そう。見えるだけ・・・・・


 人の姿がなく……どの家も……勿論店も……固く扉を閉ざしていたからだ。


 宿だって扉を叩いて開けてもらったくらいだからその異様さは町に入ってすぐにわかったし、ちょっと気味が悪い。


 宿の主人は情報収集にきたと告げた俺たちに役場に行くよう言って「魔物が出るらしいが詳細の通達がないんだ」と不安そうに続け、今夜のうちに行くなら気を付けてと何度も念を押した。


 あるじは魔物に遭遇したことは伝えず、役場に向かうことをすぐに決めて俺とマルティさんに神妙な顔で頷く。


 ちなみに馬車は車庫に預け、馬たちも宿に併設された厩舎で面倒を見てもらっている。


 馬車を見て『王族だ』とはわからないようになっているそうだから預けても心配はないらしい。


 まあ、お忍びで使うって言ってたしな……。


「こんな夜中でも役場って開いてるのかな」


 歩きながら俺が言うと先導するマルティさんが肩越しにうーんと唸った。


「テキラナもスグリノ村と同じで役場と酒場が併設されているんだ。だから普通ならまだ開いているんだけど――この状況だからね」


「扉を叩いて開けてもらうわ。……誰もいなかったら町長の家に行きましょう。……魔物の件、どんな状況なのかわかればいいのだけど」


 あるじは太陽のような金色の髪を惜しげもなく晒し、夜闇を渡る風に流している。


 本人いわく「私の顔を見て王女様だなんてわかる人は王都近辺にしかいないわ」とのことだ。


 金の髪と紅色の目はたしかに王族に限ったことじゃないけど……大丈夫かなぁ。


 心配にはなるけど言っても仕方がない。あるじが聞くとも思えない。


 俺は胸のなかでだけ心配を呟いて前を向いた。


「――あれが役場です」


 マルティさんが指した先、固そうな葉を放射状に何枚も広げた下草に囲まれた一際大きな建物が見えてきた。


 煌々と灯された明かりが窓からあふれ、入口の少し前では篝火が焚かれている。


 そこにいるのは――どうやら冒険者のようだ。


「魔物討伐をギルドに依頼したのかもしれないわね」


 あるじはそう言うとくれない色の大きな瞳を一度だけ、瞬いた。

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