フィーリア・レーギス⑦

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 そんなこんなで日は暮れ、道中で馬を休ませつつスグリノ村で貰った弁当を食べた。


 たくさん気持ちを込めてくれたんだろうな、すごく美味しくて幸せな気分になる。


 美味い食べ物に美味い酒……成人してからゆっくりと楽しむのは格別だと思う。


 まあ、まだそこまでたしなんだこともないんだけどさ。


 ――そうして弁当を堪能した俺は外に出て荷車に寄り掛かり、あるじは扉を開け放ったその中でひとときの休息を得た。


 ずっと馬車に乗りっぱなしっていうのもちょっと疲れるんだよな。


 そこでふと気が付いたんだけど……馬の足に不思議な光沢を纏った馬具が装着されていたんだ。


 マルティさんに聞いたらなんと魔素銀まそぎんで作られたもので、魔素を使うことで馬の負担を減らしてくれるらしい。


 だからこの馬車はかなり長く走れるそうだ。


 ……たぶん人工的な魔法って感じなんだと思う。やっぱりすごいな魔素銀って……。


 そんなことをとりとめもなく考えつつ伸びをしながら見回すと、あたりは俺の膝丈の草が茂る草原でゴロゴロとした大きな岩が点在していた。


 もう日は暮れて頭上には星が瞬いているんだけど、山並みはだいぶ近くに見えている。目指す町は近いんだろうな。


 草原を渡る風とそれに揺れる草はどこか乾いていて……吸い込むと枯草のような香ばしく甘い香りが鼻を抜けていった。


 肌に触れる空気はかなり冷たい。俺は腕を擦り……なんとはなしにひとりごちる。


「――ちょっと移動しただけなのに乾いているし寒いんだな……」


 豊富な魔素によってリキウル王国には多彩な環境が入り混じっているから、魔素境まそざかいと呼ばれる境界を隔てがらりと気候が変わることもある……らしい。


 俺は王都を出たことがないから全然知らないんたけど、馬車で魔素境まそざかいを通過したんだろうな。


 すると馬を労っていたマルティさんが振り返った。


「氷の魔素の力が強まっていく時期が迫っているのもあるかもね。気温も湿度も下がるから」


「たしかにそんな時期だけれど……それにしては少し寒すぎるわ。この先はかなり暖かい地域のはずなのに。……とりあえずキール、これを羽織って」

 

 そこであるじが馬車の中から一枚の紅いマントを差し出してくれる。


 俺はそれを受け取りありがたく羽織ろうとして……ふと手を止めた。


 ――こんなマント、どこにあったんだ?


「ちょっと。そんな顔しないでちょうだい。さすがにドレスの内側には入らないわよ! ……この中にいろいろ入っているの」


 うん。顔に出ていたみたいだな。


 あるじは俺に向けて心外だとでも言いたげな目を向け、椅子をカパリと持ち上げてみせた。


 丁度座るところが蓋になっているらしい。


「本当だ。へえ、なんだかいろいろ入っているんだな」


 中にあったのは応急処置用品や木製らしい食器類――それに膝掛けや……携帯食糧らしきものまで様々。


 だけど……。


「酒はないんだ……?」


 思わずこぼすとあるじは「はあ」とため息をつく。


「……もう。それを私に選ぶのはあなたでしょ、キール?」


「うん? ……そっか、確かに」


 俺が笑うとあるじは苦笑してぱたんと椅子の蓋を閉じた。


「――さあ、それじゃ出発よ。ゆっくりできないのは残念だけれど早く町に行って宿も取らなくちゃ。部屋は三つ・・・・・取れる場所を選ぶから安心していいわ」


 ……安心って……。


 たぶんスグリノ村で俺と同じ部屋を取ってしまったことを言っているんだろうけど、正直俺とマルティさんは一緒の部屋でいいんじゃないかな。


 そうは思ったけど――胸を張って言うあるじが嬉しそうだったから伝えるのはあとにしてあげよう。


 ――そうして再び馬車が走り出す。


 星明かりの下、草原の真ん中を突き抜ける街道は踏み固められていて大きな揺れは感じない。


 この街道がそれだけ使われているってことだろう。


 大きな馬車が擦れ違える広さからも、クルド商会みたいなところがこの街道に馬車を連ねて酒や売り物を運んでいるのが想像できる。


 あるじいわくこの先の町は山の斜面を切り拓き段になったグレプ畑を作っていて、酒蔵を持つ家は町から少し離れた山の中腹に点在しているそうだ。


「ライマの生産も盛んな町ですよ」


 そう言ったのはマルティさん。


 ライマは青い果皮に黄緑がかった実をした柑橘類のことで、レモーネよりも苦みを感じる尖った酸味を持っている。


 そのどこか大人びた爽やかさがカクテルにもよく使われていたりするんだよな。


「……たしかライマはすごく酸っぱい飲み物になるんだったわね。凶作の原因を調べたら飲んで帰りましょうか」


 あるじがそう言って笑った――その瞬間。


「ッ、掴まってくださいッ!」


 引き攣るようなマルティさんの声が空気を裂き、馬の嘶きとともに車体が右へと大きく振られる。


「きゃあ――ッ」

「うわあッ⁉」


 俺は足を踏ん張り、遠心力で飛ばされそうになったあるじを咄嗟に支えた。


 ガリガリと車輪が地面を削りながら跳ね軋むのが全身に伝わって、俺は歯を食い縛る。


 ――もっと強く振られたら鎧の重さを受け止められる気がしない……せめて一緒に弾き飛ばされないようあるじだけでもなんとかしないと――。


 冷静にそう考えたところで車体がガクンと揺れて止まり、馬が悲鳴のような鋭い声で鳴き交わす。


「マルティ! どうしたの!」


 あるじが素早く体勢を立て直し問い掛けると、マルティさんの切羽詰まった声がした。


「魔物です――ッ、まさか街道に出るなんて……! おふたりは中に!」


「……ッ」


「ちょっ、あるじ!」


 聞くが早いが飛び出していくあるじを慌てて追い掛ける。


 外に出た俺は――『そいつ』の咆哮に身を竦ませた。


『グルルゥオオオオオオォッ!』


 腹の奥にどしんと響くその音が体の芯を震わせる。


 な、なんだよあれ……!


 その見た目はさながら巨大な熊――。


 ギラつく赤い瞳は血に染まったような狂気に満ちて……俺たちへの敵意を顕わにしていた。


 夜闇に溶けそうな真っ黒な体……威嚇するように持ち上げられた大木のような両腕の先は手の甲まで鱗に覆われ、鋭い鉤爪が四本ずつ突き出している。


 俺よりもはるかに巨大なその体躯は――馬車の上にまで頭が飛び出すほどだ。


「――こんな魔物が……どうして」


 あるじは双眸を見開き呟くと、細身の両手剣を抜き放って星明かりに煌めく切っ先を魔物へと向ける。


 ――ああ、と。


 こぼれたため息のような、止めたい嘆きのような思いが苦い。


 戦うつもりなんだ――カシスは。

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