フィーリア・レーギス⑥

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 二頭立ての馬車を御するのはマルティさんだ。


 さすが衛兵。そんなことまでできちゃうんだな。


 白と黒の馬が並んで引く荷車は黒い箱形で、前面に御者の席が備え付けられ、上面は膨らむように弧を描いている。


 荷車の縁を彩るのは金色の塗装で、螺旋状の線が枝分かれして側面に伸びていた。


 内装は白を基調として、同じく金の模様が頭上をぐるりと一周して繋がっている。


 ――線はリェルを模しているのかも。


 思い当たって感心していると、隣に座っているあるじが窓の外を見て言った。


「夜にはなるけれど今日中には山の近くの町まで移動できるわ。そこで情報を集めましょう」


 ちなみにあるじは帽子を取っている。


 さすがにここで被っていたら邪魔だしな。


「うん。……あるじ、この馬車ってスグリノ村の馬車なのか?」


 全然違うことを胸のなかで思いながら応えると、彼女は口角を少しだけ持ち上げた。


「王宮のものよ。転移門を守る門番のために置いていて、スグリノ村に管理をお願いしているの。なにかあればすぐ伝令に走るためと……ときどきお忍びで来る王族のためね。……それと、お弁当は村の方々の気遣いよ! ……山寄りに移動するのに徒歩だと体力を消耗してしまうと思ったけれど、歩きたかったかしら?」


「……お忍びなんてこともあるんだな……いや、あるじを見ていたら納得か。ちなみに夜まで休みなく歩ける自信はないから助かるよ」


「あなた言うわね……」


 すると御者の席とこちらを隔てる小さな窓がカパリと内側に開き、黒い瞳が覗いた。


「稽古は続けるし体力もついてくるはずだから安心していいよ! キール君!」


「――容赦ないですよねマルティさん……」


 苦笑した俺にあるじはふふと笑みをこぼし、ゆっくりと話し出した。


「ねぇキール。聞いておきたいのだけど――あなた、スグリノ村を見てどう感じたかしら?」


「――ああ、うん」


 俺は姿勢を正して座り直し、目を閉じて慎重に言葉を紡ぐ。


「これが〈宮廷カクトリエル〉の力なんだって……思った。皆を笑顔にする――そういう力だって。……けどカシス、君は違うことを考えていたんじゃないかな」


 真剣な気持ちがあったしカクトリエルとして話そうと思った俺は……咄嗟にあるじを愛称で呼んでしまった。


 思わず片目を開けてちらと窺うと、彼女は気にもならなかったようで静かに頷いている。


「……やっぱりあなたいい人ね。キールの言うとおりよ。私は……少しだけ心配になったの」


「心配?」


「そう。小さな村が――一夜の出来事であれだけのお酒を売るのよ? それはやっぱり〈宮廷カクトリエル〉の声を皆が無視できないからだわ。悪用されることが怖いと改めて思った。悪用されればお酒の価値が不当にねじ曲がる……理解はしていたのだけど――」


「……」


 俺は無言で……膝の上に置いた手に目を落とす。


 そうだな……それは確かに。


 ――カシスの言うとおり酒の価値に〈宮廷カクトリエル〉は大きく関わってくるだろう。


 例えばセルドラが〈宮廷カクトリエル〉になっていたとして、味に関係なく自分の酒蔵の酒を勧めたら? って、そういうことだ。


 ――だけど。


「これは希望的観測で、宝酒大国ほうしゅたいこくへの愛国心が必要になるんだと思うけど――俺、本物の〈宮廷カクトリエル〉はそんなことしないって思うんだ」


「本物の……?」


「うん。だってきっと酒が――カクテルが好きでやってるはずだから。個人の味覚の好みはあるかもしれないけど本当に旨い酒が吞みたい……もしくは吞ませたいって思う人がなるものだよ、本物の〈宮廷カクトリエル〉は。――だから忖度そんたくで酒を勧めたりしない……本当に美味しいときに勧めるんだ。俺はそうあるべきだと思う」


「キール……」


「考えてみたらさ、『建国祭』でセルドラ以外の四人のカクトリエルが作るカクテルを見損ねたんだよな、俺。でもきっと……その四人が本当に酒好きなら、そのカクテルはセルドラのものより美味しかったと思うんだ。まあ、爺ちゃんのカクテルが一番だけどな! だからカシス、君は君の『美味しい』を信じたらいいんじゃないか?」


「……。あなた本当にいい人ね」


あるじのそれは褒め言葉なんだよな?」


「ふふ、当然よ。――そうね、それを最終的に見極めるのが王の役目だわ。だとしたらもっと勉強しないとならないわね!」


 言うが早いがばさりとドレスの裾を捲ったあるじに……俺は絶叫した。


「だから! 裾を捲らないで! なんでそんなところに物を仕舞うんだよあるじッ! そういえばさっきも村長のところで……!」


「すぐに手帳を確認したかったのよ。気になるなら目を瞑ったらいいわ、キール」


「遅いうえにそういう問題じゃないから!」

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