フィーリア・レーギス⑤

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 村長は俺たちを役場に招き入れて奥の部屋へと誘い、柔らかなソファへ座らせた。


 ちらと見えた酒場には人がいっぱいで楽しそうな笑い声が響いていて――なんだか嬉しい気持ちになる。


 商隊が酒場に寄ってくれているのかな。賑やかでよかった。


 そこで村長はグラスと酒を持ってくると、慣れた手付きで【スグリノ】を作り上げた。


「キール君、カルヴァドスが目を醒ましたと王女様が教えてくれたよ。……本当によかった。これは私からの祝い酒だ、吞んでくれるかな」


「あ……村長はあるじが王女だって知っていたんですね」


 俺が言うと村長はくりくりした茶色の目を細めて笑い、俺たちにグラスを差し出す。


「お恥ずかしいことに全然気付けずにいてね。君たちを見送った翌日の夜、カクテル【スグリノ】と【スグリノレクス】、それからカルヴァドスについての文が早馬で届いたんだ――そこでなにがあったかを知り、慌てて王女様に謝罪の文を書いたんだよ」


 あるじはそこで帽子を取ってそっと横に置いた。


 こぼれた金の髪が彼女の肩を柔らかく滑り落ちる。


「こちらも名乗ったわけではないから余計な心配を掛けてしまったわね。ごめんなさいスグリノ村長」


「とんでもない。……このとおり優しい王女様でホッとしているところですよ」


「へぇ、そうだったんですね。……爺ちゃん、まだ本調子ではないけどもう大丈夫です。元気になったら必ず会いにきますね! ……それじゃあ【スグリノ】――いただきます」


 俺は村長に笑ってグラスを手にする。


 揺らめく薄紅色の美しいカクテル。


 しっとりとした大人の落ち着きを含んだ甘く華やかで派手すぎない香り。


 どのベルンとも違う独特の濃厚さは誰もが一度は味わうべきだ。


 口にするとほんのりとスグリノの甘みが広がって、最後に爽やかな酸味がスッと鼻を抜けていくのが辛口の白グレプ酒で作る楽しみとも言えるだろう。


「……はあ、やっぱり美味い」


「ふふ。お陰で今年は過去最高の収益になりそうだ……本当にキール君とカルヴァドスにはなんと……お礼を…………」


「……うん? いや、お礼なんてそんな――村長?」


「いやいや、申し訳ないキール君。嬉しくてね……どうも歳を取ると涙もろくなっていかんの」


 ほっと息をつく俺の前でスグリノ村長は目元を拭ってグスリと鼻を啜る。


 視界の端であるじがそっとドレスの裾に手を伸ばしたのを肘でつつき、俺はグラスを置いて小さく首を振った。


 横目で見たあるじは眉尻を下げ、ちょっと残念そうな――いや明らかに不満気な顔をして首を竦める。


 こんなところで裾からハンカチなんて出させないからな……。


 俺は小さく息を吐き一度瞼を瞬いてから村長に向き直った。


「俺はなにもしていませんよ。スグリノ村長のカクテルがすごく美味しくて皆が笑顔になった結果です。……あ、そっか。じゃあこの人集りはもしかして……?」


 するとマルティさんがカクテルを堪能しながらふふと笑みをこぼした。


「そうだよキール君。クルド商会がスグリノ村の白グレプ酒とスグリノ酒を仕入れに来たところなんだ。……この風景をキール君に見せたかったんですよね、カシス様」


「えっ?」


 思わずあるじを見ると、彼女は澄ました顔でカクテルを口にする。


「……これがあなたとカルヴァドスのもたらした影響だもの。しっかり目にしておくべきだと思ったの」


 ――そっか。これが〈宮廷カクトリエル〉の力なんだ。


 皆がこうやって笑顔になる……そういう力。


 けど……俺は少し気になった。


 あるじは嬉しそうだけど――どこか物憂げだったから。


「……ところでスグリノ村長。あれから魔物はどうかしら?」


 彼女はそっとグラスを置くとそう問い掛ける。


 村長は二度頷くと目を眇めた。


「人が集まってくれたのもあってこの村は問題ありません。しかし、山寄りでは怪我人が出たと情報が」


「怪我人? 魔物が出たんですか?」


 思わず聞き返すと村長はうぅむと唸る。


「不確かな情報でね、詳細がわからないんだ」


 するとあるじは再びグラスを手にして瞼を閉じ、中身を口の中に流し込んだ。


 そんな場合じゃないかもしれないけど――大丈夫かなあるじ……。


 一瞬心配したもののあるじはしっかりと瞼を上げ、帽子を手に取って紅色の目を光らせる。


「――味わっていたいけれど急を要するかもしれないわね。スグリノ村長、馬車の準備はできているかしら?」


「はい。この裏手にございます」


「キール、マルティ、申し訳ないけれどすぐに出発よ」


「わかった」

「仰せのままに」


 俺とマルティさんが応えると、村長は一番に席を立つ。


 ちなみに俺とマルティさんのグラスはとっくに空っぽだ。


 もっとゆっくり味わいたかったのは山々なんだけどな――仕方ない。


 俺たちはスグリノ村の人が用意してくれていたお弁当をありがたく受け取り、すぐにスグリノ村を発つことになった。


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