フィーリア・レーギス③

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 そんなわけで襟付きの白シャツと黒パンツに着替えてあるじの部屋に向かうと……王族のいる区画を守る近衛兵が入口の前できびきびと頭を下げた。


 五日もあれば俺のことも覚えるだろうけど、この場合に頭を下げるのは俺だよな……なんだか申し訳ない。


「あ……すみません。あるじ――リルカシス王女様に会いにきました」


 口にして頭を下げると近衛兵は何も言わずに重たい金属製の扉を開けてくれる。


 ――なんだかなぁ。近衛兵にも性格があるんだろうけど。


 俺はその隙間を擦り抜けるようにして小走りで中に入った。


 入ってすぐは広間で、あるじの瞳より暗く重い紅色をした毛足の長い絨毯に覆われている。


 正面には幅広の大きな階段が真っ直ぐ続き、その先の踊り場で左右に分かれ、上へと弧を描いて伸びていた。


 あるじの部屋は一番上の階だ。


 階段を上りきりその先の廊下を歩いていると……三人の侍女が廊下の角を曲がってこっちにやってくる。


「こんにちは、お疲れ様です」


 俺が頭を下げると彼女たちはビクリと肩を跳ねさせ、ちらちらと互いの視線を交わしたあとで小さく会釈してそそくさと来た道を・・・・戻っていった。


 うーん。やっぱり俺、ここじゃ浮いているんだろうな。


 あるじ曰く、王族たちは基本的に身の回りのことをなにもしないらしい。


 着替えや風呂まで侍女やら従者やらが手伝うっていうんだから相当だ。


 ただ……あるじは自分のことは自分でやりたい主義だからと、いままで侍女や従者なんていうのを最低限にしている変わり者だという。


 ……うん、まあ、そんなだからドレスの裾の内側にポケットなんて縫い付けるんだよな……。


 だからっていうのもおかしな話だけど、俺やあるじを見る侍女や従者たちはどこか他人行儀で余所余所しく、まるで腫れ物を扱うような対応なんだ。


 とはいえ気にするほどのことでもないし、俺としては必要最低限の礼節は守ろうってだけ。


 ――品位品格は日々の所作にこそ反映される。


 爺ちゃんの格言は絶対だ。


 そうこうしているうちに俺はあるじの部屋にたどり着いた。


あるじ、お待たせ」


 ノックをするとすぐに扉が開く。


 俺は顔を覗かせたあるじに思わず首を傾げた。


「あれ? 着替えたのか?」


 ……俺としてはしっくりくる紅色のドレス姿だけど。


 あるじは苦笑しながら俺を招き入れる。


「ええ。こっちのほうがしっくりくるもの」


 うん。本人もそうなんだな。


 口にはせずに納得して中に入るとテーブルには昼食の準備がされていて、衛兵のマルティさんとノッティさんが席に着いていた。


「あれ……珍しいですね、こんなところで」


「キール君、こんにちは」


「体は痛まないか?」


 俺がこぼすとマルティさんが笑い、ノッティさんは筋肉痛を心配してくれる。


 俺の戦闘訓練をしてくれるのは実はこのふたりなんだ。


 爽やかな顔をして結構容赦がないっていうのは王宮に来て知ったところだけどさ。


 するとあるじが唇を尖らせた。


「こんなところで悪かったわね」


「あっ、いやごめんあるじ。言葉のあやってやつ」


 俺が笑うと彼女は扉を閉めて腰に両手を当てる。


「もう……。まあいいわ。席に着いてキール。食べながら説明するから」


「……うん? 説明って?」


「あ……そうね、まだなにも言ってなかったわね」


 あるじはそう言うと俺と一緒に席に着き、さらりと告げた。


「酒蔵の調査に出るから一緒に来てもらうわ、キール」


******


 話を聞くと……スグリノ村で聞いた『すこし山寄りに行くとグレプが凶作』という言葉が気になるそうだ。


 凶作・不作の原因は害虫の発生や特定の作物へと広がる伝染病などいくつかあって、厄介なのは魔素が乱れた場合らしい。


 魔素が乱れると気候にも影響することがある。グレプや酒だけじゃなくほかの作物なんかにも関わってくるかもしれない。


 俺の母さんが亡くなった流行病はやりやまいも魔素が乱れたことが原因だったと言われているし、あるじが気になるのも無理はないだろうな……。


 まだ子供ながらに覚えているあのときの王都は酷い有様だった。


「セルドラの調査もまだしばらくはかかりそうだからキール君の気分転換にもなるんじゃないかな。内容によっては気楽な問題ではなくなる可能性もあるけれどね」


 そう言って微笑むマルティさんはじっくりと焼かれ焦げ目がついた鶏肉を口にする。


 トマティオやほかの野菜と一緒に煮込まれたソースは甘酸っぱくてものすごく美味い。


 ――これに合わせるなら軽めの赤グレプ酒かな。


 重めの赤グレプ酒になると肉の旨みを引き出してくれる渋みが強くて濃厚なんだけど、さっぱりめの肉だと渋みが際立っちゃうからだ。


 軽めのほうが相性がいいはず。今度試してみよう。


 まったく違うことを考えていた俺は口に水を含んで飲み下してから言った。


「えっと……気分転換……ですか?」


「そうだ。この数日、気も張っていただろう」


 応えてくれたのはノッティさんだ。


 あーうん。実のところそうでもないんだけど――俺、意外と順応力が高いのかな。


 思ったけど言葉にはせず、俺は頷いた。


「……わかりました。いつ出発ですか?」


 するとあるじがにっこりと微笑む。


「これからよ」


「うん?」


「お昼を食べたら出るわ!」


「…………」


 俺は鶏肉を口に突っ込んでため息ごと呑み込んだ。


「カシス様はいつも急だからな、諦めるといい」


 そう言うノッティさんは優雅にパンを食べている。


 そこでマルティさんが言った。


「……今回は僭越ながら僕も同行するよキール君」


「え、マルティさんも?」


「うん。ちゃんと話していなかったけど……僕とノッティは女王様の命によりカシス様の専属に近い役目を頂戴していてね。王宮内ではノッティが、町では僕が付き添うことが多いんだ。聞いていると思うけどカシス様が従者を持ちたがらないから……そのお目付役みたいな感じだよ」


「へぇ……女王様もあるじのこと心配してたってことか。まぁわからなくもないかな」


 俺が添えられた芋を口に放り込むとノッティさんがくくっと笑う。


「そうなる。護衛くらいは付けてもらわないと王宮としても困るからな」


「ちょっとあなたたち。私を前にして好き勝手言うわね……」


 むぅと唇を尖らせるあるじに俺は思わず笑ってしまった。

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