フィーリア・レーギス②

******


「あふ……ぁー」


 大きな欠伸をひとつ。


 俺はまだ微睡まどろみたいと下りてくる瞼を右手の指先でぐにぐにと揉んだ。


 窓から差し込む光は既に高く、こんなによく眠れるとは我ながら気を抜いているものだと苦笑する。


 ……爺ちゃんが起きてからは六日目の朝――が、過ぎたところだった。



 爺ちゃんが目を覚ました翌日、あるじによってあっという間に王宮に移動させられた俺は、近衛兵であるノッティさんに案内されて王宮を周り……決まりごとをいくつか学んだ。


 立ち入り禁止の場所とか、お辞儀の仕方とか、そんなもんだけどさ。


 王宮で俺がするのは〈宮廷カクトリエル〉カルヴァドスの代わりに王宮の酒蔵を掃除すること……あるじの話し相手になること、そして戦闘訓練をすることくらい。


 ありがたいことに外出も自由だし――まあ特殊な雇用形態とでもいうのかな。見習い従者というよりは『保護された一般人』って感じなんだと思う。


 ちなみに戦闘訓練は自分から志願したんだ。


 やっぱり〈宮廷カクトリエル〉を目指すなら多少戦えるようになっていないとって思ったし、あるじばっかりに戦わせるのも納得がいかないっていうのもあったからな。


 いや、正直めちゃくちゃ恐いし既に筋肉痛かつ痣だらけの体は満身創痍だけど。


 ――勿論爺ちゃんも移動済みで王宮内の医療区域にいる。面会も基本的には自由だった。


 まだ眠っていることも多いけど、少しずつ話せる時間は増えている。


【スグリノレクス】の話もしたいんだけど肝心の襲われた日のことをいまだに思い出せていないようだから――様子を見ている段階なんだよな。


 ……その【スグリノレクス】は集まった王族や貴族からも高い評価を受け、女王様は暫定として爺ちゃんを〈宮廷カクトリエル〉に据え置いた。


 対外的には爺ちゃんは病に伏せったことになり、【スグリノ】と【スグリノレクス】のレシピとともに『建国祭』に招待した賓客たちに報せが送られたそうだ。


〈宮廷カクトリエル〉選出が延期になっていたから、雲隠れしてしまったセルドラ以外の四人のカクトリエルたちにも当然通達がなされ……彼らは【スグリノレクス】に舌鼓を打ったあとで納得してくれたらしい。


 爺ちゃんのことも含めて……だ。


 俺は――泣きそうな顔で笑ったあるじ――カシスの表情をよく覚えている。


 いまはセルドラを糾弾するより、こうしたほうがよかったんだよな……きっと。


 あるじの言うとおり、確たる証拠を掴むまでは不当な扱いにならないよう注意するのが絶対ってことだ。


 まあ、証拠を掴んだそのときは容赦しないけどさ。


 ……うん。それじゃまずは着替えて爺ちゃんの顔でも見にいくか。今日は起きてるといいけど。


 そう思って俺が体を起こしきたとき、扉がノックされあるじの声がした。


「キール、いる?」


「……あるじ? どうした?」


 ちなみに俺がいるのは近衛兵や王宮で働く侍女、従者、執事たちの生活している従事者区域だから――あるじはわざわざ訪ねてきたことになる。


 いつもは夕方頃に俺が顔を見せにいくんだけど――さすがにまだ早い時間のはずだ。


 俺は欠伸を噛み殺しながらふわふわのベッドから這いだして扉を開けた。


 けれど扉の向こうにいたあるじは俺を見ると思い切り眉を寄せる。


「……酷い顔ね、あなた。髪もぼさぼさよ?」


「んっ⁉ ……ね、寝起きだから……かな」


「まだ寝ていたの? ――やっぱり緊張していて夜中には眠れない……?」


「え、いや……」


 むしろ驚くほどグッスリなんだ……うん。


 俺はなんだか恥ずかしくなって口にはせず「とりあえず着替えてもいいかな」と続けた。


 あるじは少し考える素振りをみせたあとで頷く。


「ならキール、着替えたら私の部屋まで来てくれる? 少し遅めの昼食にしましょう」


「ああ、うん」


 返事をするとあるじは微笑んでくるりと踵を返す。


 ――今日のドレスは例の鎧ではなく薄紅色の飾りが少ないものだ。


 ただし胸の下から真っ直ぐ落ちるドレスの裾はやたら長く、あえて引き摺って歩くらしい。


 首元までは布があるけど肩は大きく開いていて、あるじの引き締まった白い腕がすらりと伸びている。


 瑞々しく柔らかそうな女性らしい腕だけど――これで剣も振るうんだよな。


 なんだったか……なめらか?


 物語の執事が発したらしい褒め言葉を思い出し――俺はまったく違う素直な感想を胸のなかで呟いた。


 ――歩きにくそうだな……。

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