スグリノレクス⑯

******


 ――翌日。


 俺は一部の王族と貴族、そして衛兵が集まる広間に立っていた。


 いや、こんなに人がいるなんて聞いてないって。


 刺さる視線は決して歓迎しているものばかりじゃない。


『建国祭』の夕食会での愚行をよく思わない人だっているだろう。


 ――だけど、だからこそ。俺はここで前を向くんだ。


 俺がカクテルを作る台はひそひそと囁きを交わす人々のなか――その広間の中央に置かれ、一番奥に座すリキウル王国の女王様に向いていた。


 緊張が手の動きを鈍らせないように……俺は深く息を吸い、ゆっくり吐き出して何度も手を握ったり開いたりしてみせる。


 ちら、と目線だけを奔らせれば――深い蒼色のドレスを纏う女王様の隣、しゃんと背を伸ばして椅子に腰掛けている着飾ったカシスと目が合った。


 今日のドレスは緑色でレースがふんだんに使われている。


 結い上げられた金の髪には白い薔薇の髪飾りが咲き誇り、変な話なんだけど……彼女が本当に王女様なんだって実感した。


『大丈夫よキール』


 その唇が小さく動く。


 俺は小さく頷いて応え、ゆっくりと息を吸い込んだ。


 ――爺ちゃん。


 まだ目覚めない〈宮廷カクトリエル〉――その姿を脳裏に思い描く。


 俺はまだカクトリエルの卵でしかない。


 だけど――精一杯やりきるよ。


「――女王様。〈宮廷カクトリエル〉カルヴァドスのカクテル、見つけて参りました」


 俺は声が震えないよう腹に力を込め、言い切った。


 女王様は小さく頷き、凜とした声で告げる。


「では、カルヴァドスの孫キールよ。わたくしにそのカクテルを振る舞いなさい」


「仰せのままに」


 俺はまずよく白グレプ酒に使われる大きめで丸みのあるグラスを取り出した。


 ――入れるのは爺ちゃんが家の酒蔵に隠していたスグリノ酒。


 グラスの底にたゆたう濃い紅の液体に、スグリノ村のさっぱりとした白グレプ酒を注ぐ。


 ――スグリノ村に活気が生まれることを爺ちゃんは願っていたんだ、きっと。


 決して綺麗な動作ではないと思うけど――それでも精一杯気持ちを込めた。


 最後に細長い銀の匙で軽くかき混ぜて……美しい紅色ができれば完成だ。


「……これはカクテル【スグリノ】です。スグリノ村で作られるスグリノ酒と白グレプ酒で作ったもの――〈宮廷カクトリエル〉カルヴァドスはこの酒を皆様に披露したかったはずです」


 俺が言うと――女王様は再び小さく頷く。


「確かに『建国祭』でお前が言った通り、くれない色のカクテルだ」


「ありがとうございます。……でも、〈宮廷カクトリエル〉カルヴァドスはこれを『建国祭』では出さなかったでしょう」


「――ほう?」


 紅色の目を細め、女王様が応える。


 俺は【スグリノ】がスグリノ村長のカクテルであること、爺ちゃんは絶対にそれを『自分のもの』として発表しないはずだということを告げ、次のグラスを出した。


「だから――彼が作るつもりだったのはそれを元にした新しいカクテルです。女王様――いまからそれを作ります」


 言いながら俺が台に載せたのは細く長いグラス。


 そこに注ぐのは半透明の瓶に入ったスグリノ酒である。


 爺ちゃんが持ってきた――おそらくは爺ちゃん自ら摘んだスグリノの実で作られた、世界に一本だけしかない特別な酒。


 そこに注ぐのはきめ細やかな泡が立つシャンパーニュという発泡性グレプ酒スパークル


 発酵させたあと瓶に詰め、その中でもう一度発酵させる特殊な製法によってできる柔らかな口当たりの黄金の酒。


 俺が見た爺ちゃんのカクテルに細く線を煌めかせていたのはこの泡だったんだ――。


 だから俺にはこれが爺ちゃんのカクテルだという確信がある。


 その泡はグラスのなかでスグリノ酒を広げ、美しいくれない色のカクテルに変えていく。


 ゆっくりと息を吸い込んで――俺はその名前を口にした。


「――【スグリノレクス】。王族の【スグリノ】って意味です」


 俺はそのグラスをそっと前に押し出し、真っ直ぐに女王様を見詰める。


 俺が爺ちゃんのためにやることは……ここからが本番だった。


「けれど女王様。このカクテルを最初に呑んでほしい人がいます」


 ざわり。


 会場に集まった人々がざわめくけど、絶対に譲るつもりはない。


「〈宮廷カクトリエル〉カルヴァドス……俺の爺ちゃんは頑固で……自分がそうだと決めたらやり通す人です。……このスグリノ酒は爺ちゃんが特別な材料でスグリノ村長に作ってもらった特別なものなんです――女王様」


 俺が口にすると女王様の指先がぴくりと動いた。


 気が付いてくれる――女王様は許してくれる。そう思ったんだ。


 だってさ、女王様は爺ちゃんを〈宮廷カクトリエル〉として十年も傍に置いてきたんだから。


 爺ちゃんがどんな人か絶対にわかってくれているはずなんだ。


 ――やがて彼女はふうとため息を付くと、しっかりと頷いてみせる。


「誰に呑ませたいカクテルか申してみよ」


「あ……ありがとうございます!」


 ――ほら、やっぱりわかってくれた。


 俺は深々と頭を下げ、ゆっくりと顔を上げて彼女・・に目を向けた。


 大きく見開かれた彼女のくれない色の目が――ぴったり俺と合わさる。


 そう。これは君のためのカクテルだ。


 ――唇を湿らせ、俺は彼女の名前を口にする。


「――リルカシス王女様。どうかこちらに」


「……え……わ、私……?」


「行きなさいリルカシス」


「お、お母様……」


 困惑に視線を泳がせた王女様――カシスは、それでもそろそろと立ち上がる。


 足首まである緑色のドレスにふんだんに使われたレースが彼女の動きに合わせてふわりと踊った。


 いつのまにか会場は静まり返り――俺の前、テーブルを挟んだ向こう側まで歩み寄った彼女は困ったように眉尻を下げ……口を開く。


「キール――」


 俺はそれを遮って……囁いた。


「――カシス。聞いてほしい。――このスグリノ酒、君に贈られて君と一緒に育ってきたスグリノの実で作ってあるはずなんだ」


「……えっ?」


「爺ちゃん、約束したんだろ? 成人した君にカクテルを作るって。――だから俺、このカクテルは【スグリノレクス】――王族の【スグリノ】って名前にしたんだ」


 シャンパーニュ地方の特別なグレプで作られる酒――シャンパーニュは祝いの席などで吞まれることが多く、その手間暇をかけた製法も相まって爺ちゃんが使うにしては高級な部類だった。


 でも……今回はそれでよかったんだ。


 ――爺ちゃんが並べていた白グレプ酒はスパークルの産地のものだとカシスが教えてくれたけど、そのなかのひとつにシャンパーニュ地方のものも用意されていたから。


 ――きっと爺ちゃんはカシスを祝うために、多少高級だとしても比較対象のひとつに加えたんだと思う。


 きめ細かな泡は口当たりがよくて、甘い酒を爽やかに飲み下せる後味感はこれが一番だった。


 勿論ほかのスパークルでもいろいろ試してみたけど――きっとあるじはこれを気に入ってくれるって俺も思ったからさ。


「これは君のためのカクテル。『この美しい紅色は君の瞳の色』だカシス。……配合を何回も試して同じ色に仕上げたつもりだけどどうかな」


「……! だからあなた私の目を……」


 俺がふふと笑うと……あるじは【スグリノレクス】を見下ろし……そっとグラスを手に取って口に運ぶ。


 そしてグラスを傾けカクテルを口に含み――こくりと呑み下す。


 ――ほう、と吐息がこぼれ……彼女は泣きそうな顔で微笑んだ。


「美味しいわ、とても――とても。カルヴァドスは約束を覚えてくれていたのね。……本当に楽しみにしていたのよ? だから――ありがとうキール。私――すごく嬉しいわ」


 ――俺のカクテルで誰かをこんなふうに笑顔にできるなら。


 俺は〈宮廷カクトリエル〉になって――多くの人にカクテルを振る舞いたい。


 爺ちゃんを思って微笑むあるじの姿は俺に改めてそう思わせてくれた。


 だから礼を言うのは俺のほうだよ、あるじ


 たとえ設定だとしても君に仕えられてよかった。


 ……女王様に視線を戻し、俺はもう一度深く頭を下げる。


「女王様――俺は〈宮廷カクトリエル〉カルヴァドスの孫です。だから爺ちゃんに似たのかもしれません。ご無理を聞いていただきありがとうございました」


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