スグリノレクス⑮

******


 もしかしたら爺ちゃんの目が覚めているかもって思わずにはいられなかったけど……それは願望のままで終わった。


 王都の病院ではマルティさんとノッティさんが目覚める気配のない爺ちゃんに交代で付いてくれていて、いまのところ異常はないという。


 ――ここにいてもやれることはないからな。家に戻ろう。カクテルを作らないと。


 俺は開け放たれた窓から丘の上に聳える王宮を仰ぎ見て意気込んだ。


 だけど何故か家に向かうのに……帽子を被ったあるじと近衛兵のノッティさんも一緒にやってくる。


 あるじがいるからノッティさんは付いてきたんだろうけど。


「酒蔵には俺だけで入るから、ふたりはここにいて。……あ、あるじが帰るなら言ってよ、鍵閉めるからさ」


「帰らないわ。当然でしょう?」


 あるじは唇を尖らせ、その横に控えたノッティさんが小さく笑う。


 まぁそう言うだろうなとは思ったけどさ。


「じゃあ……なにか食べてて。あ、たしかつまみを仕入れたはず……」


「気遣う必要はないわキール。吞むわけじゃないもの」


「うん? ……あー、それもそうか。また酔っても困るしな」


「あれは不可抗力よ! もう、本当にあなた結構言うわね……」


 俺はあるじに笑ってから酒場のテーブルと椅子を用意して、水と果物だけは提供して地下に下りた。


 ランプを灯した静かな酒蔵には今日も数多くの酒が眠っている。


 ……たった一日だっていうのに懐かしい気持ちになるのはなんでだろうな。


 俺は爺ちゃんが倒れていた場所に視線を向けてから石造りのテーブルの前に立ち、預かったスグリノ酒を荷物から出して置いた。


 レーベルもなにも貼られていない酒。


 ぱっと見たらなにかわからないけど……たぶん爺ちゃんはこれと同じ瓶を……。


 俺は果実酒の並ぶ棚に歩み寄ってざっと眺め、奥のほうに隠すように置かれたレーベルのない遮光瓶に目を付ける。


 引っ張り出して栓を抜けば――うん。やっぱりだ。


 赤ベルンとは違うのにどこか似ていて……甘く華やかなのにどっしりと落ち着いた大人の香り。


 爺ちゃんが練習するのに使っていたスグリノ酒はこれだろう。


「――こんなところに隠して、爺ちゃんらしいというか……」


 俺に気付かれるのを警戒したに違いないな。


 俺は苦笑してテーブルに戻り、爺ちゃんが襲われたときのままに並んだ白グレプ酒を順番に手に取って確認する。


 酒蔵によって基準は違うものの、レーベルには口当たりや味の目安となる表が画かれている。選ぶ側は助かる表示だ。


 結果、味の統一感はなく……並んだ白グレプ酒は甘いものばかりかと思えばそうでないものもあった。


 カクテル【スグリノ】……白グレプ酒にスグリノ酒を混ぜた酒にはスグリノ村のさっぱりとした白グレプ酒が使われていたけど、頑固な爺ちゃんのことだからスグリノ村長が許可したとしてもカクテル【スグリノ】自体は村長の作ったものだって言って譲らないだろうな。


 だから爺ちゃんが『建国祭』に出すのは【スグリノ】じゃない。それになにか工夫をしたカクテルだ。


 ――つまり。


 その工夫がなにかっていうのを俺が見つけないとならないってことなんだ。


 俺はゆっくりと瞼を下ろし、訪れた暗闇のなかに覗いて怒られた爺ちゃんのカクテルを思い描く。


 細身のグラスの中には赤……というよりは紅の液体が満ちていて煌めく光が細く立ち上って見えた。


 吞ませたい人の好みを考えれば――たぶん吞みやすくなるように口当たりのいいものを組み合わせたはず……。


「……」


 俺はそこで目を開ける。


 ――すると。


「白グレプ酒を使ったカクテルなの?」


「うわあッ⁉」


 突然横から声を掛けられて俺は文字通り飛び跳ねた。


 見れば……いや見なくてもわかるんだけど……あるじが目をぱちぱちしている。


 帽子は取ったらしく、金色の髪が揺らめくランプの火によってその濃淡を塗り替えられていた。


「そ、そんなに驚かなくてもいいじゃない」


「いや、だって……なんで下りてきたんだよあるじ――」


「私も役に立てるかもしれないと思って」


「えぇ?」


 彼女はそこでおもむろにドレスの裾を捲り……。


「……って! だからあるじ! そういうの目のやり場に困るから! いやそもそもそんなところに物をしまわないで!」


「あらごめんなさい。急いだほうがいいかと思って」


 彼女はさらりと告げてごそりと小さな手帳を出すと……テーブルの上の白グレプ酒を眺めながらページを捲った。


 その返事、物をしまうのはやめないつもりだな……。


「……例えばねキール。ここに並んでいる白グレプ酒は全部スパークルで有名な産地のものよ」


「……うん?」


「スパークル……発泡性グレプ酒ね」


「いやそれはわかるけど……これ全部スパークルの産地の白グレプ酒なのか?」


「そうね。……ほら、こういう知識はあるのよ、私。なにか役に立てないかしら?」


 ちらと見えた手帳はあるじが纏めたのか細かい文字でびっしりだった。


 へえ。酒の情報が書かれているってことかな?


 辞書のようなものだと思うけど……凄まじい量だろう。


 俺は思わず感心したあとで――足の先から頭の上まで突き抜けた衝撃に震える。


 えっ、待てよ。それって――。


「……そうか……そうだ! カシスありがとう!」


「きゃっ⁉ え、ど、どうしたのキール?」


 思わず彼女の白い手を両手で握って縦に振る。


 あるじはぱっと頬を紅潮させて身動いだあと、コクコクと何度か小さく頷く。


「や、役に立てたなら嬉しいのだけど……どうなのかしら?」


「どうもこうも……あるじのお陰しかない。……ところであるじはスパークル好きだったりするかな?」


「え? そうね、吞みやすいから好きよ……?」


「だよな! 俺も好きだ!」


「…………」


 あるじは唇を引き結んで眉をひそめ、ため息交じりに首を振った。


「あなた、その言い方は誤解を生む気がしないでもないわ。……それでカルヴァドスのカクテルは完成したの?」


「いや、仕上げがこれから。ちょっと失礼」


「えぇっ⁉」


 俺はあるじの手を握ったまま顔を寄せ――見開かれたその目をじっと覗き込む。


 丸くて大きな紅色の瞳――。


「……ッ!」


 瞬間、あるじの額が思い切り突き出され――俺は文字通りの頭突きを鼻の頭に喰らった。


「だっ、痛ッ!」


 握っていた手が離れ、あるじは金の髪を揺らして頬を膨らませる。


「ば、馬鹿なことしないでちょうだい! い、い、いきなりそんな……」


「うん? ……なに言って……あ、あぁ……」


 ランプの灯りでもはっきりわかるほど赤くなった頬。


 俺は鼻の頭を擦りながら苦笑した。


「ごめん……ドレスの裾を堂々と捲るくらいだからそんなに照れるとは思わなかったよ――ちょっと目を見せてほしかっただけだから安心して」


「じ、自分でするのは恥ずかしくないわ! 人になにかされるのとは大違いなんだからッ! 反省なさいキール!」


 ……いや、その痴女みたいな発言はどうかと思うけど。


 俺はその言葉を呑み込んで恭しくお辞儀をしてから戯けてみせた。


「仰せのままに、あるじ――」


「もう、あなた反省していないでしょう!」


 当然、あるじは唇を尖らせたのだった。

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