スグリノレクス⑨

******


「そんなに近くに魔物が出たとは……」


「一度調査が必要かもしれないわね。幸い収穫は終わっているようだけれどグレプの状況はよかったのかしら」


 助けを求めた大柄な男性は俺たちを村の役場だという建物へと連れていってくれた。


 運んできた女性は道中で意識を取り戻し、俺たちにお礼を告げて手当てのために役場の奥へと連れていかれたところだ。


 聞いた話だと彼女は『転移門』にいた門番の妻で、お弁当を届けた帰りに近道だからと畑を通っていたらしい。


 で、俺たちは大柄な男性と一緒に役場のテーブルを囲んでいるわけだけど……。


 この役場っていうのが驚いたことにあるじが言っていたスグリノ村の『酒場』のことだったんだ。


 役場のカウンターと酒場のカウンターはさすがに分けられているけど職員は兼務に見えるな……。


 木製の建物は落ち着いた雰囲気で温もりが感じられ、居心地がいい。


 勿論、壁際に並んだ樽の香りには興味をそそられるわけで……。


 あれはこの村のグレプ酒かな?


 産地だってあるじが言っていたし、もしかして爺ちゃんはここの白グレプ酒を吟味していたのかも。


 ……爺ちゃん、目が覚めたりしてないかな。


 気を緩めると不安が鎌首をもたげ、胸のなかに黒い靄がかかる。


 俺は樽の匂いを思い切り吸い込んで気持ちを紛らわせた。

 

「今年はこの近辺のグレプは豊作だったが、どうも少し山寄りに行くと凶作だと聞く。なにかしらの魔素の影響かもしれない」


「そう……凶作の地域もあるのね……」


 あるじと話す大柄な男性はスグリノ村の酒蔵経営者のひとりらしい。


 俺は一緒に村の状況を聞きながら、出された水を口に運ぶ。


 揺らめく水面に浮かんだ氷は製氷機と呼ばれる魔素を利用した道具で作られているんだと思うけど……この道具、ものすごく高価なんだよなぁ。


 大きなものになると家が買える金額とも言われているくらいだし、店で使えるだけの製氷機があるってことはこの村……相当儲けているのかも。


 その割には人がいない感じだけど――夜になるといっぱいになるんだろうか。


 ちなみにいまは村の人を役場に集めているところで、役場の職員で剣にも覚えがあるという男女が馬で伝令に走っている。


 魔物が近くに出たことは重大な問題なんだろう。『転移門』もあるしな……。


「ところでお嬢さん、お引き止めしているけれどお急ぎだったりしないか? 見たところ……冒険者のようだけど」


「ん、ごほん。いいえ、私はスグリノ村に用があってきたの。……最近ここを訪れていた『カルヴァドス』という男性は知っている……?」


「ああ、カルヴァドスさんの知り合いか? 昨日来るはずだったんだけど来なくてね……もしかしたら今日来てくれるかもしれないよ」


 その瞬間、俺は思わず身を乗り出した。


「爺ちゃんが来るはずだったんですか? どういうことです?」


 大柄な男性は俺の勢いに驚いたのか反対に身を引き、目をぱちぱちと瞬く。


「爺ちゃん……? 君、お孫さんなのかい?」


「キール。順を追って聞くからまずはあなたが落ち着いて」


「あ……うん。ごめんあるじ……」


 俺は帽子の鍔を左手で押さえながら右手で俺の上着の裾を引くあるじに視線を移し、おずおずと座り直す。


『建国祭』の会場でも俺が先走ったせいでややこしい話になったんだもんな……。


 そうだ、落ち着こう。深呼吸だ。


 すると俺を見ていたあるじが大丈夫と判断したのか話し始める。


「……私はカシス。彼はカルヴァドスの孫のキール。……カルヴァドスと話をしていたのはあなた? 諸事情があって彼と話をしていた人を捜しているのだけれど」


 その言葉に大柄な男性はふーんと頷くと、丁度開いた扉を指した。


「ああ、いいところに。ほら、いま入ってきた白髪の爺さんがカルヴァドスさんとよく呑んでいたんだ。スグリノ村の村長スグリノさんだよ」


******


 そうこうしているうちに何人かの村人が集まり……俺とあるじはろくに自己紹介もできないままで魔物出没についての報告がなされた。


 彼らは『出掛けるときは三人以上で』として『女性、子供、体の弱い者、怪我をしている者』の外出を極力控えさせること、『臨時の馬車』を村内に走らせて独り身の村人の移動の手助けをしたり見回りの代わりをすることを短時間で決める。


 どうやら馬車ともなれば襲ってくる魔物はこのへんにはいないらしい。


 それでも魔物が頻繁に目撃されるようなら冒険者たちが所属する『ギルド』に討伐依頼を出すそうだ。


 俺は冒険者について詳しいわけじゃないけど……彼らは戦闘にも特化したすごい人たちである。


 そうして話が落ち着くと村長の計らいで昼食が出され、ありがたいことに俺たちにも振る舞われた。


 ……そういえば昨日も全然食べられなかったんだよな。


 爺ちゃんのことを思うと食事が喉を通らなかったし……なんならいまも腹は減っていないというか……。


 俺が目の前に置かれたパンを黙って見ているとあるじがスープを取り分けた器を差し出した。


「……ここに浸して食べるといいわ。消化も助けるし食べやすいはずよ――気が張っているんでしょう? 安心して……少しでも食べるのよキール」


あるじ……」


 湯気をくゆらせるのは赤い野菜トマティオのスープだ。


 豆や葉野菜が一緒に煮込まれていて、爺ちゃんの酒場でもたまに出していた。


 温かい気持ちになって、俺はあるじに小さく「ありがとう」と呟く。


 ……けど、そこで気付いたんだよな。


 そういえば従者って主人に食べ物を取らせたりするか?


 設定とはいえ、いくらなんでも俺が取り分けてもらったらおかしくないか?


 爺ちゃんのためにここまでしてくれるあるじ――カシスに恥ずかしい思いをさせることになっていたとしたら。


「……キール?」


「あー……ごめんあるじ、食事は俺が取り分けるよ……」


「あら……もしかして苦手な野菜でもあったかしら」


「いやそうじゃなくて」


 俺が眉を寄せると見ていた村人が笑う。


 俺は気恥ずかしくなって上げた手をもぞもぞと動かした。


「優しい主人でよかったな青年! 従者によくしてくれて魔物とも戦ってくれる主人なんてそうはいないだろう。彼女の髪も『スグリノの実』みたいだし素敵じゃないか」


 気のよさそうなおじさんに言われ、俺はますます身を縮こませる。


 やっぱり戦うのも従者のほうだよな、普通……。


「……えぇと、この髪……? そう、ね……素敵だといいのだけれど」


 そこであるじが苦笑を浮かべ、被ったままの帽子をきゅっと押さえる。


 そういえばずっと帽子を被ったままだけど……実はあんまり黒髪が好きじゃないのかもな。


 なんだか変な空気になった一瞬の沈黙。


 俺は咄嗟にパンを千切ってスープに浸し、木製のスプーンで口に放り込んだ。


「ん、美味い! ……お酒もあったら最高ですね! スグリノ村で造られているのは白グレプ酒でしたっけ」


 一日ぶりの食事は腹の中をじんわりと温める。


 あるじは俺の行動にちらと目線だけを動かし、深く帽子を引き下げた。


「……キール……あなた……」


「そういえばスグリノ村長、彼女たちはカルヴァドスさんのことを聞きに来たそうですよ」


 そのとき最初に会った大柄な男性が切り出してくれた。


 白髪に豊かな口髭の村長はスープを口に運ぼうとする手を止めて俺たちを眺める。


「おお、君たちはカルヴァドスのご友人かね?」


「あ、いいえ……友人とは少し違います。申し遅れましたわ。私はカシス。彼はカルヴァドスの孫のキールです。スグリノ村長、よろしければゆっくりお話させてほしいのだけれど」


 あるじはすぐに反応して凛とした表情を取り戻すと優雅な所作で口元を拭ってから微笑む。


 スグリノ村長はゆっくりと頷いた。


「それは勿論。村人を救ってくれたうえに魔物まで退治してもらって断るほど不義理ではないからね。……それにカルヴァドスの孫とあっては話さないわけにはいかない。彼は昨日ここに来るはずだったのだが……風邪でもひいたかね?」


「……あ……」


 俺はその言葉に思わず眉を寄せて俯いてしまった。


 爺ちゃんが襲われたんだって話したらスグリノ村長はどう思うだろう……。


 それにスグリノ村の人たちの話し方からすると爺ちゃんが〈宮廷カクトリエル〉だって知らないような気がする。


 そういうのってあんまり話さないほうがいいのかな……。


 するとスグリノ村長はどう思ったのか口髭を触りながら微笑んだ。


「とりあえず私はこのあと魔物の件を触れ回る必要があるから――夜にまたここで話そう。おふたりとも成人しているね? よかったらこの村自慢の白グレプ酒を堪能していってほしい」


「ありがとうございますスグリノ村長。……それならキール、宿を取りましょう? あなたもお酒が気になっているみたいだし」


「え? 宿?」


 俺が瞬きをするとあるじは口元に笑みを浮かべて頷いた。


「そう。……スグリノ村長、どこかいい宿はあるかしら?」


 ……や、宿って……あるじと泊まるってことか?


 いや、それはちょっと……さすがに駄目だと思うんだけど。


 困惑する俺の気持ちはつゆ知らず……村長がそれならと教えてくれたのは役場兼酒場のすぐ近くだった。

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