スグリノレクス⑦

******


「えぇっ⁉ あ、あるじ、そ、それ――」


「これくらいで驚かないでほしいわ、キール。私は視察官なのよ?」


 リキウル王国王都に八本ある目抜き通りの先には、それぞれ『転移門』が設置されている。


 俺とあるじはそのひとつにやってきていた。


 この『転移門』は転移先の魔素と王都の魔素を繋いで空間を歪め、一瞬で移動させるものだ。


 ひとつの門は対になる門としか繋がらないため、王都は王国に点在する八箇所の門と繋がっていることになる。


 そしてこの門、開くには特別な許可が必要なうえ、相当な額がかかるのだ。


 大きな商会は取引に『開門税』なる税を掛けていて、それを使って週に一度門を開く。


 そのときなら『転移金』を支払えば誰でも通してもらえるんだけど、それも決して安くはない。


 ついでに言うと今日は商会が門を開く日ではないわけで……つまり。


 ……あるじはさらに上をいっていたんだよな。


 おもむろに門番に近付いたと思ったら――さらっと言ってのけたんだ。


「開けてくださるかしら?」


 そして彼女の手のひらには俺が声を上げた原因……通称『通行手形』と呼ばれる特殊な素材の鍵が握られていたのである。


 この『通行手形』は門を開くための許可証の役割を担っていて――元々は王の手形が押された板状だったらしいけど、いまは鍵の形をしていた。


 つまりかなり貴重だし、それを持つ人物ともなればとんでもなくすごいってことだ。


 見る角度によって色合いを変え虹色に輝く鍵は魔素が結晶化したとされる魔素銀まそぎんで作られている。


 魔素銀は希少で、魔素を利用する道具やこの『転移門』の素材になるんだけど……正直、魔素や魔法について俺は専門外だから詳しいことはさっぱりだ。


 門番は『通行手形』を確認するとあるじに深々と頭を下げ、転移門が開くときの合図となるベルンを高らかに打ち鳴らした。


 カラァン、カラァン……


 早朝の町に響く鐘は晴れ渡った青い空へと溶けていき……聳える転移門が淡い黄金色に光り始める。


 細部まで彫り込まれた美しい『精霊』が門の左右を支え、上部には絡み合うリェルに支えられた殻斗かくと――木の実の帽子の部分だ――に盛られた果物が象られていた。


殻斗カクトリェル……か」


 思わず呟くと隣に立ったあるじが帽子を押さえながら俺を見上げて微笑む。


 その帽子の鍔、邪魔だろうな……なんて思ったのは失礼かもしれないけど。


「さすがね。カクト・リェルはカクテルの語源だわ。……キールはどうしてそう呼ばれたのか知っている?」


「あ、うん。……その昔、リェルで吊した殻斗カクトの中で酒を混ぜ合わせていたからって話だな。精霊たちがそれを気に入って呑みにきてくれたって話もある」


「! そうなのよ! その物語も知っているのねキール。精霊たちはカクト・リェルに感動してそのお礼に魔法を教えてくれた……素敵よね。いつか本物に会ってみたいわ」


 帽子を押さえながら笑顔を弾けさせて光り輝く門を見上げたあるじに……俺は思わず感心して頷いた。


「へえ、あるじは物語が好きなんだな。そういえばあるじって呼ぶ執事の話も……」


「そ、それは……ちょっと憧れもあったの。い、嫌ならあるじって呼ばなくてもいいのよキール……」


 彼女は肩を縮こませて目を伏せ、もじもじしながら言う。


 いまさらすぎて俺は思わず苦笑してしまった。


 ――今日俺と合流したあるじは最初に「敬語は使わなくていいわ」ときっぱり告げてくれたんだ。


 でもあるじ呼びは気に入っているみたいだったから俺が自発的に実践しているのであって……嫌なら最初から呼ばないって話だ。


「嫌じゃないさ。脱獄とか言われたときは正直『なんだこいつ』と思ったけど」


「まあ! 結構言うわねあなた……」


 俺は唇を尖らせた彼女に親しみを感じて素直に口にする。


「……心配しなくてもあるじにはちゃんと感謝してるよ。爺ちゃんのために俺を連れ出してくれたこと。だからあるじ、君に仕えることになるならそれでもいいかなって思うくらいには信用してるつもりだ」


 あるじはそれを聞くと少しだけ驚いた顔をして、眉尻を下げて困ったように笑った。


「あなたいい人ね。……行きましょう、必ずカクテルを探し出すわよ」


******


 光の満ちるその門に踏み入ると、瞬きのあいだに世界が様相を変えた。


 目の前に広がるのは王都の街並みじゃなくグレプ畑……いまはもうグレプの収穫は終わっていて閑散としているけど、かなりの規模だと思う。


 ずっと向こうまで身を寄せ合う低木のあいだにはちょっと場違いにも見える整備された石畳の道が延びている。


 濃い土の香りと落ちたグレプの発酵臭がない交ぜになった自然そのものの匂いは王都に慣れた俺にとって新鮮だった。


 うん。嫌いじゃないな、この匂い。


「……あるじ、ここは?」


 聞きながら振り返ると、まだ煌々と光る門の向こう側に小さな木造の小屋があり、こちら側の門番が頭を下げていた。


 あるじはその門番に「ありがとう」と告げてからすたすたと歩き出す。


「ここは王都からずっと東の地域よキール。〈宮廷カクトリエル〉カルヴァドスは最近ここを頻繁に訪れていたの。記録が残っていたわ」


「爺ちゃんが?」


「そう。とりあえず一番近くの村に寄って聞き込みしてみるけれど、カルヴァドスが泊まりで出掛けていた形跡はなかったからなにか聞けるはず」


「……そうなんだ、爺ちゃんが門を通ってるなんて全然知らなかった……」


 普段は多忙な爺ちゃんができない家のこと……つまり気まぐれで開ける酒場のための仕入れや家事全般をこなしていたからなぁ、俺。


 あるじのあとを歩きながら俺が言うと、彼女は肩越しかつ帽子越しに俺をちらと見た。


「あまり知られていないのだけど〈宮廷カクトリエル〉は申請ひとつで『通行手形』を使えるの。お酒の輸出入や各地域との交渉に臨むこともあるからよ。そこらの貴族よりよっぽど地位が高いわ」


「え、そうなの? ……やっぱりすごいな〈宮廷カクトリエル〉……じゃあ爺ちゃんはいろんなところに行ってたのか」


 それでうまい酒とか呑んだりもしてたんだろう。


 爺ちゃん……起きたらもっと俺とそういう話をしてくれるかな。


 聞いたことには答えてくれるけど自分から教えてくれる人じゃないし――。


 そこまで考えて頭に包帯を巻かれ昏々と眠る爺ちゃんを思い出し、俺はかぶりを振って美味い空気を肺一杯に満たす。


 ここで俺が沈んでたら駄目だよな、しっかりしないと。


 ……すると俺を気遣ったのか……あるじが足を止めて微笑んだ。


「……キール、この植物は知っている?」


「……うん?」


 彼女が指し示したのはグレプの横に茂る俺と同じくらいの背丈の木だ。


 グレプに似た形の葉があるけど……茶色くなってきている。寒くなったら落ちそうな感じだな。


 枝は細く広がっていて、なにかが実っていたらしい。


「なんだろ……グレプ種のなにかかな?」


 答えるとあるじは帽子を押さえて悪戯っぽく微笑んだ。


「ふふ。残念、これはベルン種の『スグリノ』よ。……この先の村の名前でもあるの。果実は真っ黒で……薬として重宝されているわ。薬は呑むと疲れにくくなるうえに、なんとお肌にもいいみたいなの! すべすべになるって話よ」


「赤ベルンじゃなく黒ベルンってことか……」


 肌のくだりを無視して俺がふーんと頷くとあるじはむうと唇を尖らせた。


「キール、そこは私の肌を褒めるべきよ?」


「いやそれはどうなんだよ」


「だって執事は褒めたわ」


「……物語の執事? 参考までに聞くけど、どんなふうに?」


「『あるじの肌がそれ以上なめらかになると困りますね』って」


「…………」


「…………」


 俺はまじまじとあるじの頬を眺める。


 柔らかそうな肌はうっすら紅潮し、瑞々しい果実のようだ。


 なめらか……ねぇ? それって褒め言葉なのかな?


 世の中の執事はそうやってあるじを立てるってこと?


 するとあるじはますます頬を染め、長い睫毛を伏せて居心地が悪そうに身動いだ。


「――ねぇキール。あ、あんまり淑女を見詰めるものじゃないわ……」


「…………えぇ。これは不可抗力じゃないか?」


 思わず返すとあるじはくるりと背を向けてぎこちない動きで足を踏み出した。


「そ、それもそうね。私、ちょっと慣れていなくて……ごめんなさい。そ、それでねキール。スグリノは王女が産まれたときに献上された木でもあるのよ。王宮に植えられているわ」


 慣れるものなのか? それ。


 思ったけど口にはせず、俺は再びふーんと頷いた。


「女王様じゃなくて王女様に献上されたの?」


「ええ。今年二十歳になる王女だから、贈られたスグリノも二十歳になったはずね」


「……そうすると王女様って俺と同い年か。知らなかった……」


「キールは王女を知らないの?」


「うん」


 きっぱり告げるとあるじは肩越しに苦笑した。


 爺ちゃんなら知っているんだろうな……きっと。

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