スグリノレクス⑥

******


 ――病院の待合室にいたのはなんとマルティさんとノッティさんだった。


「キール君! 待っていたよ!」


「見事な脱獄劇だ」


 手を振るマルティさんは衛兵の制服に着替えていて、腕を組んで頷くノッティさんは制服のままだ。


 俺はぎょっとしてあたりを見回し近くに誰もいないことを確認する。


 ――たぶん仕組まれた脱獄なんだろうけど、大声でそんなことを言わないでほしい。


 時間外とはいえ入院している患者さんのために夜中でも人がいるし。


 俺たちはとりあえず爺ちゃんの眠る部屋へと移動した。


 ……朝と変わらぬ姿で眠る爺ちゃんは心なしか小さくなったように見えて息が詰まる。


 俺がじっと見下ろしていると……扉を閉めた女の子が話し始めた。


「……それじゃあ手短に状況を説明するわ。まずキール。いきなり連れ出して申し訳なかったわね。あなたは私と一緒に〈宮廷カクトリエル〉カルヴァドスが『建国祭』で提供するはずだった幻のカクテルを作るために動いてもらうわ。――残念だけど今夜あなたがセルドラを糾弾したのは最低の愚策ぐさくだった。他国や事情を知らない貴族たちからも〈宮廷カクトリエル〉の安否確認がたくさん届いているの。表向きの行動ができなくなったのはそのせいよ」


 俺はその言葉にはっとして顔を上げる。


「……女王様は俺が言ったこと、ちゃんと信じてくれたのか?」


「信じているからこうして私が遣わされたのよキール。――もう一度言うからよく聞きなさい。あなたがセルドラを糾弾したのは最低の愚策だったの! 〈宮廷カクトリエル〉は他国とのお酒の輸出入にも大きく関わっている――つまり政治的に利用したい人がたくさんいるのよ。それが襲われたなんて前代未聞、最悪の事態だわ」


「つまりねキール君。カルヴァドスさんはそういったしがらみからも距離を保てる素晴らしい方なんだ。誰もが次もカルヴァドスさんが〈宮廷カクトリエル〉になると信じて疑っていなかった――勿論、カクテルも文句なく最高だと評価されての選出になると思っていたんだよ。それが襲われ、次の〈宮廷カクトリエル〉の座が揺らいだとわかった人たちが動き出すのは間違いない」


 マルティさんがそう言うけど……正直ぴんとこなかった。


 むしろ言いようのない腹立たしさが込み上げてくる。


「爺ちゃんが起きなかったらどうせバレるのになにがいけないんですか? あの場でセルドラが捕まれば悪いことをする奴がいなくなるかもしれないのに」


「逆よ。気に入らなければ襲ってしまえばいい……その前例を大々的に公表してしまったの。……調べてもらったけれど、セルドラは地方の有力貴族の嫡子ちゃくし――つまり後継ぎだったわ。しかも酒蔵さかぐらをいくつも所有している。彼が〈宮廷カクトリエル〉に選ばれれば彼の一族は莫大なお金を得たでしょう。そのほかの四人は初めての参加ではないし素晴らしい人たちだけれど……そうね、〈宮廷カクトリエル〉カルヴァドスほどの信頼はないとだけ言っておくわ」


 続けた女の子に俺はむうと唇を尖らせた。


 前例って……そんなのがあるからなんだっていうんだ?


 すると銀髪に灰色の目をした近衛兵――ノッティさんが口を開いた。


「キール君。つまりだ。息の掛かった〈宮廷カクトリエル〉を作り出せる可能性が高くなる。さらには今後〈宮廷カクトリエル〉を守る必要が出る……すると警護の人員が選出され、それらの人物にも政治的に利用価値が生まれる。そこでなにが起こると思う。宝酒大国ほうしゅたいこくリキウルの酒は汚職の温床として価値を落としていくんだ――それは宝酒大国ほうしゅたいこくの名をおとしめ、我が王国そのものを失墜させかねない」


 俺が理解できていないとわかったのかノッティさんが淡々と告げた内容は……俺を震え上がらせた。


「酒の価値が……落ちる?」


「そうよ。だって本当に美味しいお酒じゃないかもしれないもの。忖度そんたくで揃えたこだわりのないお酒――それを宝酒ほうしゅなんて誰が呼んでくれるの?」


 女の子は紅色の帽子の鍔を両手で摘まみ、位置を調整しながらつまらなそうに鼻を鳴らす。


「そんな……。だからセルドラをこっそり捕まえたかった……? 酒の価値を守るために?」


「ええ。お酒は勿論だけど……〈宮廷カクトリエル〉を守ることにもなったはずよ。やっと伝わったようで安心したわキール。あなたに説明するにはお酒に例えるのがいいのね。……それに守るのはそれだけじゃないわ。襲われた〈宮廷カクトリエル〉がまだ生きている・・・・・とわかったら、犯人はどうすると思う?」


「……え」


 俺は指先が冷えて、膝から力が抜けるのを感じた。


「……どうって……」


「女王は夜中に報告を受けてすぐ、ここの医者に容態の口止めをしたの。同時にマルティたちのように関わった衛兵にもね。すぐにでも駆け付けたいと女王は言ったそうよ? だけど我慢した――〈宮廷カクトリエル〉カルヴァドスの安否を隠すことで彼を守るためにね。……それをあなたが自分で暴露したのよキール」


「…………そんな」


 守るためだった。


 爺ちゃんを守るためだった。


 女の子は帽子の下から流れ出る黒髪を揺らし、座り込んだ俺を上からじっと見下ろしながらカツンと床を踏み鳴らす。


「さあ! やってしまったことはどうしようもないわ。女王は次の〈宮廷カクトリエル〉選出のために一週間の猶予をくださった。あなたがなんとかするのよキール! 大丈夫、私がいるんだもの。……とりあえずその酷い顔を洗ってらっしゃい。着替えは用意してあるわ。マルティ、ノッティ、〈宮廷カクトリエル〉カルヴァドスの護衛の任はあなたたちが請け負うのだったわね。私とキールが戻るまで頼んだわよ」


『はい』


 ふたりは声を重ねて応え、彼女に向かって腰を折る。


 俺は自分の不甲斐なさを呪いながら立ち上がったところで……衛兵が頭を下げるってことは彼女がそれなりの身分なのだと思い当たって身震いした。


 そもそも女王様から依頼されるって、相当だよな?


「あの……いまさらですけど……名前を聞いても……その、いいですか? それに……マルティさんとノッティさんもお知り合い……ですか?」


 震えた声で聞いた俺に彼女は大きな紅色の目を瞬いて――笑った。


******


『あなたが顔を洗ってきてから答えるわ』と笑われた俺は顔どころか体も洗えと衛兵のふたりに言われて着替えを手渡され、病院の風呂を借りてすっかり汚れを落とした。


 撫でつけていた髪も洗い流し、壁からキノコが生えたような形で設置された風出機ふうしゅつき――魔素を利用した道具で、火と風の魔素によって温かい風が出るものなんだ――で乾かし終えてから用意された服に腕を通す。


 上質な黒地の布服に軽い革鎧、編み上げの頑丈なブーツ。


 ベルトには剣を挿す器具が取り付けられているがいまは空っぽだ。


 なんだか……どこか冒険にでも出るみたいだな……。


「お待たせしました……」


 そう言いながら部屋に戻ると窓際に控えていたマルティさんとノッティさんが振り返る。


 女の子は爺ちゃんのベッドの隣で椅子に腰掛けていた。


 彼女はいまも紅色の帽子を被ったままだ。


「戻ったわね。……うん、似合うじゃない! じゃあ自己紹介よ。私はカシス。王都の有力貴族の嫡子なの。……そうね、各地の酒蔵を管轄する家柄って説明がぴったりかしら? だからお酒の価値が落ちるのは困るの。……私は地方の酒造状況を視察にいく視察官。あなたはその従者って設定よ」


「え、設定? ……従者?」


「そう。だから……そうね。私のことは名前じゃなくて……んん、主人……は嫌ね。様なんていうのもしっくりこないわ……あ! あるじにしましょう! あるじって呼んでもらうわ!」


「あ、あるじ?」


「ええ。最近読んだ話に執事が主人を『あるじ』って呼ぶ物語があったの。素敵なのよ」


「そ、そう……」


 若干引いているとマルティさんが笑う。


「大恋愛の物語ですよね、カシス様」


「んっ、ごほん。少し黙っていなさいマルティ。なんであなたが知っているのよ?」


「妹が好きなんです。僕に『あるじ』って呼ばせようとしていまして」


「ああ……歳が離れた妹がいるんだったわねあなた……。まあ、そんなわけでキール。今夜はここで休んで早朝に発つわ。安心してしっかり休んで。その腫れた瞼と隈、なんとかするのよ?」


 俺は問答無用で進んでいく話に苦笑するしかない。


『私は別の部屋で寝るから』と告げて移動する前にカシス――あるじは俺の証言だけじゃなんの証拠にもならないのだと言った。


 考えてみれば当然だよな。爺ちゃんのレシピ手帳もなければ、あれがセルドラの考案したカクテルじゃないとも言い切れないんだからさ。


 あるじはそんな俺に「女王はそれでもあなたを信じたのよ」と続ける。


 うん。女王様は賭けてくれたんだ……俺に。


 期限は一週間。


 爺ちゃんが起きてくれればそれが一番いい。


 でもそうじゃなかったら、俺が爺ちゃんのカクテルを探し当て女王様に献上する。


 それが〈宮廷カクトリエル〉カルヴァドスのカクテルだと女王様が判断を下せば……もう一度セルドラを糾弾できるはずだ。


 ――正直よくわからない状況だけど……爺ちゃん。俺、まだやれることがありそうだ。


 眠る爺ちゃんに視線を向け、俺は胸のなかで静かに呟いた。

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