スグリノレクス⑤

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 地下牢に入れられ鍵を掛けられた俺はマルティさんとノッティさんに返事をする気力もなくし、ただ角にうずくまった。


 暗い牢獄はカビ臭く、ひんやりとした空気に満ちている。


 ランプは地下牢の入口付近のみに設置してあり、俺のいる場所まで灯りは届かない。


 綺麗にしていたら一部の酒を保管するにはいい環境かもしれないとふと思って……俺はまた泣けてきた。


 どうしてこうなっちゃったんだろうな……。


 俺はただ爺ちゃんのために――って、それだけなのに。


「すぐに迎えがくるって話だから少しだけ待っていなさい。寒くはないかね、お湯しかないが振る舞おうか」


 ――牢番はひとり。マルティさんとノッティさんから事情を聞いたらしく頻繁に俺のいる牢を覗いては声をかけてくる。


 かなり年配で爺ちゃんより上かもしれない。その物腰はゆっくりで、声も柔らかいものだった。


 投獄された奴に優しくする必要はないしバレたら怒られるんだろうなと思ったけど……そもそもいまは応える気力すらなく、俺はずっと黙っていた。


 ――爺ちゃん。俺、悔しいよ……。


 再びこぼれ出した涙は汚れてしまっただろう黒の制服に跳ねて転げ、そのうち染みていく。


 長い時間、ただ泣いているしかできないのが情けなくてたまらなかった。


 でもさ……ならどうすればよかったんだよ?


 俺は何度も自問したけど――答えは出ない。



 …………どのくらいそうしていたか。



 牢番が動く気配を感じ、俺は泣き腫らした目を擦って膝に顔を埋める。


 すべてのことから自分を切り離していたかったんだ。


 コツ、コツ……


 微かな息遣い。石の床を叩くのはヒールの音。


 やがてそれは――俺の牢の前で止まった。


「顔を上げなさいキール」


 聞いたことのない声は瑞々しい果物のようで……俺は眉を寄せて少しだけ頭を上げ、ちらと様子を窺う。


 はたして……ランプを掲げて立っていたのは俺と同い年くらいの女の子だった。


「……敵じゃないから安心して。ほら、ちゃんと私を見て」


 ――誰だ?


 俺はゆっくりと顔を上げ、女の子をまじまじと眺めた。


 肩上の長さで先が内巻きになった黒髪に、室内だっていうのになぜか紅色の鍔の広い帽子。


 その帽子に合わせたような色の膝丈ドレスは裾が膨らんでいて、胸元にはレースのフリルがあしらわれている。


 腕には銀色の籠手、足には同じく銀色の脛当てを装備し、腰に下げているのは長剣。


 見たところ世界を旅するっていう冒険者のようだけど……まったく心当たりがない。


 すると彼女も俺の顔をじろじろと見たあとできっぱりと言い切った。


「……酷い顔ね」


「いきなり失礼だな」


 言葉を発する気力は回復していたみたいだ。俺が思わず返すと彼女は肩を竦め、なにを思ったのかいきなり『牢の鍵を開けた』。


「え……ちょっ、な、なにしてるんだよ……!」


「勿論脱獄よ? さあ、私と行くわよキール!」


「うん? ……えっ、ちょっと……どういう……」


「こんな暗くてじめじめしたところにいたらカビが生えるわ! その酷い顔もなんとかしましょう。……ほら」


 彼女はずかずかと牢に入ってくると俺に右手を差し出した。


 白いその手は思いのほか硬そうで、彼女が剣を握ってきたことを物語る。


 俺はわけがわからずに牢番を見ようとしたけど……彼女はその視線を遮って強引に俺の右手首を掴み引っ張った。


「煮え切らないわね……〈宮廷カクトリエル〉カルヴァドスの孫はこんなに頼りないのかしら?」


「じ、爺ちゃん? いや、頼りないかどうかは別だし……それに俺、悪いけど脱獄なんて……」


「もう。察してちょうだい。表向きは脱獄。その裏は〈宮廷カクトリエル〉の幻の一杯を再現してみせるための冒険よ!」


「…………えぇ? わっ、ちょっと!」


 彼女は帽子を左手で押さえ……右手で俺の手首を握ったまま有無を言わさずに歩き出す。


 入口付近のランプの下では牢番がうとうとした様子をみせていて……すれ違いざまになぜか俺に向かって薄く片目を開け小さく手を振った。


 ――え、牢番なにしてるんだよ。まさか買収されたの? じゃあ俺、本当に脱獄するのか?


 そもそも〈宮廷カクトリエル〉の幻の一杯ってなんの話だよ。


「なあ、いったい……」


 口を開き掛けた俺に、彼女は半身だけ振り返って左手の人差し指を唇に当て、黙るよう示す。


 ……なんなんだよ本当に……。


 そうは思うけど……彼女の言葉は気になる。


 少なくともあんな場所に入ったままよりは爺ちゃんのために動けるのかもって考えたら――俺は従うほかなかったんだ。


 俺は彼女に連れられて階段を上がり、なぜか衛兵にも気付かれずに庭園に出た。


 ――いや、実際どう考えても気付かれているんだけど……気付いていないふりをしてくれているっていうか――?


 衛兵たちのあからさまな目の逸らし方は異常だもんな。


 ……外は真っ暗で頭上には星が瞬いている。


 そうしているうちに庭園が終わりを告げ――裏口から町へと入った俺の視界に見慣れた景色が広がった。


 どうやらまだ『建国祭』の日が終わったわけじゃなさそうだ。


 八本ある目抜き通りのうちの一本に出てきた俺たちを包むのは『建国』を祝う賑やかで華やかな空気。


 まだ多くの人が通りを行き交い、俺は手首を掴まれたまま人混みを進む紅色の帽子の女の子に付いていく。


「……こっちよ」


 すると彼女が突然道を逸れた。


 石造りの細い道は両側の家からこぼれる灯りで満ちている。


 ――こっちは爺ちゃんがいる病院の方角だ。


 俺はぎゅっと唇を引き結んでから足を止めた。


「きゃっ!」


 当然、俺の手首を掴んだままの女の子は俺に引っ張られるようにして仰け反った。


「びっくりした……急にどうしたの?」


「どこに行くのかわからないけど……一箇所だけ寄りたいところがあるんだ」


「それ、この先の病院かしら? そうだとしたら心配ないわ。まずはそこに行く手筈だから」


「うん?」


 彼女はそこでようやく手を放し、真っ直ぐ俺に向き直る。


 でも……夜闇にもはっきりわかる好奇心旺盛なその大きな紅い目は俺を捉え、放さない。


「知っているわ、キール。〈宮廷カクトリエル〉カルヴァドスが襲われた一件。私はあなたの証言をあなたが証明するために遣わされたお目付役とでも思って」


「俺の証言を、俺が証明する……?」


「そう。〈宮廷カクトリエル〉カルヴァドスの『建国祭用カクテル』を見たのはあなたひとり。あなたが見つけ出し、あなたが王にカクテルを振る舞うの」


「え……と。君は……女王様から依頼を受けた冒険者かなにかってこと?」


「……まぁそんなところね」


「女王様は俺が証明できれば爺ちゃんを〈宮廷カクトリエル〉に選んでくれるのかな?」


「――それは約束できないわ。だって〈宮廷カクトリエル〉に選ばれるには最高のカクテルを作る必要があるでしょう? だからそれがほかのカクトリエルたちのカクテルに劣っていたら無理よ」


 俺は彼女のその言葉に思わず苦笑いをこぼす。


「なら絶対に爺ちゃんが選ばれる。爺ちゃんのカクテルが最高じゃないはずがないんだ」


 ――でも〈宮廷カクトリエル〉に選ばれたって……爺ちゃんが起きてくれなくちゃ意味がない……。


 そう思ったら胸が痛くて……つらくなる。


 彼女はうつむいた俺を少しのあいだ見詰めたあとで……一度だけ頷いてみせた。


「そうね――私もそう思うわキール。なら急ぎましょう、期限は一週間だけよ!」


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