スグリノレクス④

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 建国祭では様々な催し物が一日を通して行われる。


『〈宮廷カクトリエル〉選考会』はその日の夕方、建国祭の来賓が集められた大広間で開かれる夕食会のことだ。


 そこには〈宮廷カクトリエル〉のほかに女王様が参加を許可したカクトリエルが五人参加する。


 そして〈宮廷カクトリエル〉とほかの五人はそれぞれが自分で考えたカクテルをひとつ提供し、来賓による投票が行われるのだ。


 最終的には投票結果から女王様が〈宮廷カクトリエル〉を選出する仕組みなんだけど……それも来賓にとって大きな楽しみのひとつ。


 ……俺はマルティさんの計らいでその会場に給仕人として紛れ込むことになったんだ。


 ぴっちりした黒の制服に赤いネクタイを締め、爺ちゃんには似なかった母さん譲りの紅い髪を整髪油で撫でつける。


 磨かれた鏡に映る自分の姿は酷いもので……不安そうな翠色の瞳の下、くっきりと隈が浮かんでいた。


 ――こんな形で『〈宮廷カクトリエル〉選考会』に参加するなんて思わなかったな……。


 俺は銀の盆を持ち、カクトリエルが入場する前に会場に入る。


 着飾った来賓たちは席に着いていて、カクトリエルたちを待っているところだ。


(キール君。いいかい、君はどれがカルヴァドスさんのカクテルなのか教えてくれるだけでいいから気負いすぎないでね。騒ぎを起こすわけにはいかないから、いまこの場でカクトリエルを取り押さえることはできないけど……必ず僕たち衛兵がなんとかするから)


 一緒に来てくれたマルティさんは深呼吸した俺にそう言って、黒々とした優しい目を気遣うように細める。


(ありがとうございますマルティさん……)


 俺が頷いたそのとき、カクトリエルたちが会場に入ってきた。


 彼らはこの一年いろいろな催しでその名を轟かせてきたいわば精鋭だ。


 勿論、ここ数年何度もここにきているカクトリエルもいる。


 俺は手にした盆をぎゅうと握り締め……彼らが自分たちの席に移動するのを見守った。


 ……当然〈宮廷カクトリエル〉と書かれた席には誰もいない。


 わかっていたけど……息が詰まって胸が痛いのはどうしようもなくてさ。


 ――爺ちゃん。俺が爺ちゃんを襲った奴を絶対に見つけるからな。


 誓う俺の肩にさりげなく触れてマルティさんが隣に立つ。


 俺は小さく頷いて「大丈夫です」と伝えた。



 ……そして。


 今日この場に〈宮廷カクトリエル〉が不在であることを告げた女王様が来賓たちに謝辞を述べる。


 理由は隠されていたけど――どうせなら襲われたんだって言ってくれればいいのに。


 ――女王様は五人のカクトリエルも素晴らしい者たちだと述べたあと、それぞれが作る最初の一杯を嗜むことになっていた。


 女王が自ら一杯目を呑むなんて毒でも入っていたら……とよく言われるみたいだけど、来賓に『毒など入るわけがない。これが宝酒ほうしゅだ』と自ら見せることで宝酒大国ほうしゅたいこくとしての威厳を示すらしい。


 それだけ酒に自信を持っている国なんだ、リキウル王国は。


 ――俺は五人のカクトリエルがカクテルを作るさまをじっと見詰める。


 細長いグラスを出したのはふたり。


 俺はそのうちのひとり――ほんのりと黄みを帯びる透き通った白グレプ酒をグラスに注ぎ、ベルン種の酒を入れて赤く染めた男に目を付けた。


(マルティさん、彼は?)


(……セルドラ君だね。今年初めて参加したカクトリエルだ。派手で華美なカクテルを創るってことで若い世代――とくに女性に人気があるって聞いたよ)


 このへんでは見かけない蒼い髪で眉尻が上がったきりりとした顔立ち。


 年齢的には俺より数個上くらいか。


 その眉の下は髪と似た蒼い目で、どうにもいけ好かない女性受けしそうな男。


 ――セルドラ。


 舌の上でその名前を転がし、唇を噛む。


 爺ちゃんの紅色のカクテルはたぶんベルン種の酒じゃない。


 すぐに用意できないものだったから似せて作ったんだ……きっと。


「ほう。白グレプ酒にベルンを入れたか。いい色をしているな。して、この酒を作った理由は」


 女王がそう言ってグラスを取る。


 セルドラは女性受けしそうな笑顔で応えた。


「白グレプ酒は名高い『フラン』の町のものです。ベルンは今年の初物が飲み頃になったのでそれを使いました。誰もが呑みやすい口当たりとこの美しいくれない色はまるで女王の瞳」


 俺はその瞬間、怒りでかーっと頬が熱くなるのを感じた。


 フランのグレプ酒は香りがよく口当たりもいいと評判の高級な酒だ。


 だけど……それで爺ちゃんのカクテルを表そうとするだなんて最低だ。


 爺ちゃんは高級な酒はあまり使わない。


 誰もが呑みやすくっていうのは、味だけじゃなく価格もなんだ。


 高級じゃなくたって――誰かの思いが込められた酒なら、混ぜ合わせることで至高の一杯にすることができる……それが〈宮廷カクトリエル〉なんだよ。


 それに……その鮮やかな赤ベルンの色をくれないだなんてよく言えたよな……絶対に違うのに。


 ――ここまでくるともう我慢できなかった。


「爺ちゃんはそんなカクテルを作っていない。……爺ちゃんのレシピ手帳はお前が持っているんだろッ! 返せよ! そんなのは紅色じゃない! 爺ちゃんのカクテルはもっと深い紅色で……そんな色じゃなかった!」


(ちょっ……キール君⁉)


 マルティさんが小声で呼んだのが聞こえたけど、構うもんか。


 怒りを弾けさせた俺はセルドラのテーブルまで行くと派手な音を立てて盆を置いてやる。


 女王様が双眸を眇め、来賓が大きくざわめくのが聞こえた。


「――なんだい君は? ……ずいぶんと無礼な給仕人ですね。衛兵はいないのですか?」


 セルドラは落ち着いた声で言って俺に微笑む。


 その態度が神経を逆撫でして……俺は会場をぐるりと見回した。


「俺はキールといいます! 〈宮廷カクトリエル〉カルヴァドスの孫です! 爺ちゃんを襲ってレシピ手帳を盗んだ奴がここにいます……爺ちゃんはまだ目を覚ましません……だから俺は……ッ!」


「衛兵。なにをしておる。取り押さえよ」


 瞬間、きっぱりとした声で女王様が言い切った。


「建国祭をそのような言いがかりで壊そうなどあってはならぬ。……地下牢に入れておけ」


 その目はくれない。だけど……冷たく見詰められているのは俺だった。


 ……え? なんで俺を見てるんだよ?


 だって――きっと爺ちゃんを襲ったのはセルドラで、手帳も持っているはずで……。


「……女王……様……?」


 思わず呟いた俺の右腕をマルティさんが、左腕を別の衛兵が掴む。


「え……マルティさん……? な、なんで……放してください。だってこいつのカクテルは爺ちゃんのとは似ても似つかない……」


 マルティさんは悲痛な顔で俺の右腕をがっちりと押さえ続け、俺と目を合わせない。


「は、放してください! だって……爺ちゃんのカクテルはもっと落ち着いた紅色だった! わかるんだ、わかるんです! それを真似るのにセルドラは赤ベルン酒しかなかったんだ!」


 叫んで暴れる俺を左右のふたりは放してくれない。


 太陽のような金色の髪を結い上げた女王は細身の紅いドレス姿で……すぐにくるりと背を向けた。


「――連れていけ」


 その姿はまるで爺ちゃんのカクテルのようだったけど――。


「どうして……どうしてですか女王様! 爺ちゃんは十年あなたに仕えてきた最高の〈宮廷カクトリエル〉です! なのに……どうしてですかッ!」


 俺は引き摺られ、悔しくて涙を零しながら会場から連れ出される。


 多くの来賓がひそひそとなにかを話しているのが見えて、俺は首を振った。


「信じてください! 俺は……俺は爺ちゃんのためにッ……女王様ッ!」


 ……ばたん。


 無慈悲にも大きな扉は閉ざされ、会場の音が聞こえなくなる。


 その光景が信じられなかった。


「…………ど、どうして……あんな、あんな奴に……うあ……」


 ぼたぼたと涙が流れ、鼻水が垂れてくる。


 俺にもし魔法が使えるならセルドラを撃ってやるのに――爺ちゃんと同じ目に合わせてやるのに。


「ま、マルティさん……なんで……なんでですか……ひど、酷いですよ、あいつ……爺ちゃんは目を覚まさな、い、のに……」


「――ごめん、キール君……。でもあの場では彼を取り押さえることはできなかったんだ。正式な催し物の最中に国の名を傷付けるようなことをしてはいけない。もっとちゃんと伝えるべきだったね……」


 マルティさんを見上げると……彼は目にいっぱいの涙を溜めている。


 それを見て、俺は納得できずに腕を振り回そうと暴れた。


「……なら、なら爺ちゃんの名は傷付いてもいいんですかッ! それどころか……起きて、くれないかも、しれないのに……う、うぅ」


 すると左腕を押さえていた別の衛兵がぎゅっと力を込める。


 マルティさんとは対照的な銀髪に灰色の目をした男性は、俺たちと違って衛兵の制服に身を包み武器を携帯していた。


 落ち着いた佇まいはよく切れるナイフのようでもあって俺は思わず身構える。


「暴れるな。……落ち着け、キール君。女王様はああ言ったが、必ず君の言葉を留めおいている。女王様にとってカルヴァドスさんは最高の〈宮廷カクトリエル〉だ、それを穢そうとした奴を許さない」


「……え」


「キール君。彼は僕の同期のノッティ。僕と違って王宮内の警備を担当する近衛兵なんだ。ここに入れるよう取り計らってくれたのは彼だよ。……あの場で揉め事を起こしてはいけなかったけど、そのあとのことはちゃんと女王様も考えてくれる」


「…………う、うぅ」


 俺は嗚咽をこぼし、俯いて……力を抜いた。


 ――それでも許せない。許せるはずがない。……そうだろ?


 あの場で、公衆の面前で……あいつを裁いてほしかったよ。


 ただただ涙をこぼす俺に……衛兵のふたりはそのあとずっと声を掛けることはなかった。

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