12の30 アリッシア(前編)



 ここはアリッシア集落の酒場。とはいえ、信仰心が強い僧の多いこの集落では、昼から酒を呑んでいる者など一人もいない。


 ベルシァ帝国皇帝・シャルタナーンからご馳走になった果実水を嬉しそうに両手で持ちながら、ペカペカ光って神様ぶっているイナリがアイシャールの話をしている。


「おお!そなたアイシャールのお父さんなのじゃ!?言われてみれば髪や目の色が似ておるのじゃ。戦争で死んでしまったようなことを聞いておったから、生きておったなら良かったのじゃ!」


「イナリ様はアイシャールをっ!アイシャールをご存知なのですか!」


「もちろんなのじゃ、仲良しなのじゃ」


「嗚呼、これで帝国の未来は安心だ・・・」


「何を勘違いしておるのじゃ。アイシャールは王国の民で死刑囚なのじゃ。帝国関係ないのじゃ」


「な、なな、な・・・」


「今からゆっくり説明するから、大人しく聞いておるのじゃ」


 ベルシァ帝国皇帝・シャルタナーンへの説明は、アイシャールの告白をナナセと一緒に聞いていたイナリには適任だった。


 その説明はナナセと無人島で再会したあたりから始まり、悪魔化してしまっていたアイシャールを暖かい光で強引に中和してからドゥバエの港町へ帰郷し、そこで聞いた神国から王国へ幼少時に渡った苦労話、王都の大商人の家政婦から護衛侍女に抜擢されるまでの話、その後、当時のヴァルガリオ王の暗殺に加担してしまったこと、サッシカイオ第二王子の脱獄を幇助したこと、そのまま国外へ逃亡したこと、そして前出の無人島で静かに余生を過ごしていたところまで話し終えた。


「そうですか・・・アイシャールが帝国を後にしたのは、私が身を隠した後すぐだったのですか・・・帝国の歴史はそこで終わってしまったのかもしれません・・・」


「それがそうでもないのじゃ。帝国の本土から逃げるように海を渡ったドゥバエの港町には、姫に言わせると海の底に大量の油が埋まっておって、世界一裕福になる可能性がある資源の宝庫らしいのじゃ。そのことを諭されたガファリという執政官は、アイシャールが生きておったことも影響して意気込みを取り直し、しっかり前を見据えるような目をしておったから大丈夫だと思うのじゃ。今は姫が言い出した絨毯とコーヒー作りを頑張っておるはずじゃ」


「あの頼りなかったガファリが・・・そうですか、私もナナセ姫様という方にお会いしてみたいものです。ぜひとも感謝の気持ちを伝えたい・・・」


「今の姫は色々と大変じゃから少し待つのじゃ。ときに皇帝、なぜアリッシア民族との戦争から逃げ出したのじゃ?皇帝なき帝国民は求心力を失い、せっかく戦争が終結してからも武闘派と穏健派に分裂して内乱が勃発し、穏健派の中でも帝国を守ろうと奮闘しておったそなたの嫁は殺害され、次の標的になりうる一人娘のアイシャールは国外へ逃げるしかなくなっちゃったのじゃ。これは決して責めているわけでは無いのじゃが、きちんとした理由があるなら、アイシャールにもガファリにも、皇帝の口から説明する義務があると思うのじゃ」


「それは戦争を終わらせるが為でした。私はその無益な戦いに未来を見いだせず・・・‥…」


 シャルタナーンの言い分はこうだ。


 何代も前の皇帝から続いていたアリッシア民族との戦争は、資源に乏しい砂漠地帯が領土の大半を占める双方に言えることだが、民が頑張って育てた食料や、酷暑の中で命を削りながら作ってくれた金属製の武具など、どれもこれも戦場で兵士が消費するにはあまりにも貴重なものばかりだった。


 元々戦争など望んでいないシャルタナーンは和解を持ちかけようと何度もアリッシア民族の長と交渉を重ねたものの、互いの好戦的な部下がそれに反対し続け、代表同士の思惑など意味をなさなかった。


「そんな言う事聞かない兵なんか、皇帝の命令で黙らせることはできなかったのじゃ?」


「その者一人だけを黙らせることはできましょう。しかしその配下にいる数千人、生まれてから戦うことしか教えられていない者たちすべてを止めるのは難しかったのです。仮に一人を処刑したとしても、戦を好む者の中から新たなリーダーが生まれてしまうだけです。私が皇帝として常に最前線から離れることができなかったのは、そういった者たちの暴走を抑えるが為でした」


「なるほどなのじゃ、じゃからアイシャールは産まれた時からお父さんあんまり家に居なかったようなことを言っておったのじゃな」


 非戦闘員は攻撃してはならない、襲撃の際は必ず告知する、など、最低限の人道的な取り決めは行われていたものの、戦争末期には帝国側の好戦的な兵が暴走し、農民しか住んでいないような集落を奇襲するなど酷い状況に変化していった。そのような帝国側の侵略的な戦況が続くと、今度は追い詰められたアリッシア民族が手段を選ばなくなってきた。


 その手段とは、主に若い女性のハニートラップだった。小規模な部隊を任せている隊長クラスに対し、命さえ惜しまず貞操を犠牲にして近づき、そのまま就寝後に殺害、目的を遂げた女性たちは逃げることなせず、その場で捉えられてすぐに処刑、といったことが頻繁に発生し、シャルタナーンは胸を激しく締め付けられていた。


「酷い戦争だったのじゃな・・・」


「はい、ですから、この戦争でこれ以上の血を流すことなく終わらせる為には、皇帝の私が死ぬしかないと思い詰めておりました。そんな折、私は一人のアリッシア民族の若い娘に出会いました」


「また決死の暗殺目的だったのじゃ?」


「その通りです」


 ヨナと名乗るその少女は、帝国兵が滅ぼした集落で両親を失った娘で、生きていくために仕事を下さい、どんなことでもするので皇帝陛下の身の回りのお世話をさせて下さい、と言って近づいてきた。


 あからさまに怪しいヨナに対し、側近護衛がその場で斬り捨てようとするも、シャルタナーンはその手を収めさせてから、まずはゆっくり話を聞くことから始めた。


「その際のヨナは肩が震え目から涙が滲み、とても人を殺めることができるような少女ではありませんでした。私は人払いしてから持ち物を確認し、隠し持っていた小さなナイフを取り上げると、むしろ安堵の表情を浮かべていました。そしてじっくり話を聞いてみると・・・」


 ヨナは年端も行かぬ少女だ。年頃の若い女性が尽き、このような、まだ何も知らぬ子供までもが戦争の道具として扱われていることに、シャルタナーンは吃驚仰天するしかなかった。


 おそらくヨナと当時のアイシャールの年頃が近かったことも影響したのであろう、このような無垢な少女がこれから先も犠牲になり続けるくらいなら、自分の命を差し出しすことで戦争を終結させる方が、よほど両陣営にとっての未来が護られると考え、そして決断した。


「皇帝が死んだくらいじゃ戦争は終わらないのじゃ。ますます復讐の炎が燃えてしまうのじゃ」


「イナリ様のおっしゃるとおり、ただ皇帝が戦死するだけでは逆効果でしょう。私はそうならぬよう、信用できる配下だけを集め、多くの策を施しました」


 その策の内容はこうだ。


 まず、シャルタナーンはヨナにほだされ骨抜きになったふりをし続け、帝国軍内部での好戦的な兵と、反戦を掲げる良識ある者との分裂を助長させた。さらに、好戦的な兵の集団へ皇帝の不信感を煽るような流説を意図的に拡散させ、やがて帝国軍を明確に分裂させた。


 次に、アリッシア民族の長は高齢で余命幾ばくもないという誤った情報により、「相手の長はもう長くない!この永き戦争はじき我々の勝利で終焉を迎える!」と各隊長に言わせ続けた。


「つまり、意図的に帝国を分裂させてから戦争を終わらせたのじゃな?」


「反乱分子を正確に抽出する為でした。こうしておけば、アリッシア民族との戦争終結後、成すべきことが明確になりますから」


「せっかく戦争が終わるのに、今度は帝国の民を同士討ちさせたら意味が無いのじゃ」


「そうはならぬよう、やはり多くの準備を致しました」


 シャルタナーンは、すでに友好的な関係にあったアリッシア民族の長や残っている民とともに、現在のアリッシア集落まで身を隠し、互いの長を失った建前になっているこの戦争はあっさりと終結した。


 残された帝国軍は皇帝が少女に絆され逃げたということで勝利の凱旋とはいかず、ひとまずは大人しく本拠まで戻った。死んでしまったことが確認されていたわけではないが、現代で言うところの「喪中」のような数か月の期間が過ぎてから、再びシャルタナーンが残した策が動き出した。


「皇帝なき後は帝国民に期待されていたアイシャールが、成人と同時に新皇帝となるよう、遺言状のようなものを穏健派の信頼できる者へ託しました。その時が来るまでは妻・・・レベッカに反皇帝勢力を暴力を使ってでも抑えつけるよう、準備をさせました」


「当時のアイシャールはまだ八歳だったじゃ?次期皇帝と決めるにはまだ早のじゃ。それに、そこから成人まで八年もの間、レベッカという嫁一人で抑えつけるのは難しいことだと思うのじゃが?」


「アイシャールは、親の私から見ても実に賢い娘でした。教えた事をすべて理解するだけでなく、一を教えれば十を知りたがるような好奇心を持ち、そこで得た答えを様々なことに応用してしまう頭脳で、私だけでなく歴代の皇帝でさえ比べ物にならないほど優れた英才の持ち主であったことは、周囲の誰しもが感じていることでした。ちなみに、レベッカと戦って敵う者など、帝国はおろかアリッシア民族にもグレイス神国にもおりませんよ、あれは常軌を逸していましたから、一人で抑えつけることは十二分に可能です」


「レベッカという嫁はそんなに強かったのじゃ・・・まあ、その血を引いているアイシャールを見ておれば、常軌を逸している強さというのも納得できるのじゃ。じゃけど、結果として死んでしまっては意味が無いのじゃ」


「イナリ様、おそらくレベッカは生きております。確認したわけではありませんが、そう簡単に死んでしまうような者ではありません」


「どういうことなのじゃ?」


「レベッカは先祖代々、皇帝一族の侍衛を務める武門の家系に生まれました。しかし・・・」


 シャルタナーンはレベッカの生い立ちを説明した。その家系でも女性は戦闘訓練などさせないにもかかわらず、若いうちから帝国内で敵などいない強さを誇っていた。さらに、分裂した帝国軍の中でも戦いを好む血の気の多い連中にも絶大な人気があり、その者たちを黙らせ、なおかつ永きに渡って率いることができるのはレベッカしかいなかったと付け加えた。


「当然、私も努力しました。常に最前線から離れることなく、時には厳罰を科するようなこともしましたが、結果として暴走した兵の残虐な侵略行為を止めることができませんでした・・・私のような平和主義で、しかも判断力や決断力が乏しい皇帝には、戦国を率いるなどということは土台無理だったのです」


「それで、ヨナとかいう少女が折よく現れたから、まんまと利用したのじゃな。それもまた酷い話なのじゃ」


 ここで、下を向いて静かに座っていたシャルタナーンの従者が突如大きな声を上げた。


「シャル様はそのようなお方ではございませんーっ!お優しすぎるお方なのですーっ!ふーっ、ふーっ」


 シャルタナーンが帝国を去り、アリッシアの集落へ身を隠してから三十年近い月日が経過している。


 年の頃でいえば現在のアデレードと同じ程であろうか、この三十年近い間、ずっとシャルタナーンに仕えてきたこの従者こそ、終戦間近、決死の暗殺を仕掛けてきた少女・ヨナであった。

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