12の25 お姫様のお仕事(中編)



 アギオルギティスが語るやんちゃ姫アイシャールであった頃の話を、アデレードはとても嬉しそうに聞いている。悪魔化してから若干陰湿な雰囲気すら感じられる今の姿からは想像できないような明るい活発少女だったらしく、高いところに登って降りられなくなったり、貴重な飲料水の入ったタルをひっくり返したり、アギオルギティスの大切な書物を隠したりと、子供がやりがちなイタズラは一通りこなしていたようだ。


「ただ、幼少時代にベルシァ帝国で受けていた教育は厳しいものだったようで、言葉遣いや食事の際の作法、朝昼晩必ず感謝の祈りを神へ捧げる姿など、わたくしなどのような一介の庶民とは違った皇帝一族らしさはすでに備わっておりました。また、わたくしが教えたことなど簡単に理解吸収し、すぐに自分の糧にするような聡明な少女であったことは間違いありません」


「あ、あの、そ、その、そ、それは、アギオルギティス、さまの、おしえが、よかった、からで・・・」


「ただ、ずっと不思議に思っていたことがあります」


「なんですの?教えて頂けますの?」


「絶対に『謝罪』をしないのですよ」


「そうだったんですの?なぜですの?アイシャお姉さま」


「・・・。」


「アイシャールは、必ず自分が行ったイタズラを正当化するような言い訳をしました。それは、考えようによっては道理に適っていたり、大人顔負けの理屈であったことの方が多かったですね」


「そ、それは・・・」


 アイシャールがボソボソオタクしゃべりで説明を始めた。どうやら帝国で受けた教育の中に「絶対に己の非を認めてはならぬ」といった格言のようなものがあったそうだ。これは一国の主である皇帝が道に迷った際、それを配下の者に悟られてしまうと不安や不信感が伝染してしまうといった理由らしく、仮に進むべき道を誤ったとしても、その間違いの中から正当性を見いだし、誤った判断を押し通しながら引き続き配下を導かねばならないという、リーダーとしての教訓のようなものらしい。


「皇帝が過失を認めれば、民は必ず迷うと教えられました。私はその教育を無意識でサッシカイオへ伝えてしまっていたのではないかと思い悩んでいます。その結果、ナプレ町長だったサッシカイオは意固地になり謝罪など絶対にせず孤立無援となり、すべてを失い逃亡したまま今では行方不明になっています。私自身はと言えば、恨みや憎しみを吸収して悪魔化し、王殺しなどという大罪に加担し、命の恩人であるアギオルギティス様にでさえ合わせる顔が無いと頭を垂れるような何の価値もない死刑囚になってしまいました。今になって考えてみると、ナナセさんのように、ありがとうやごめんなさいをすぐに言える、人として当然のことができる王族の姿こそが、正しい教えのように思えています」


「アイシャールの価値を決めるのはアイシャールではありません、その様な考え方はらしくありませんよ。しかし、アイシャールはナナセさんの話になると、わたくしの方に顔を向けて下さることがわかりました。わたくしはグレイス神国の代表などと言われておりますが、そのような王族・皇族の立場として振る舞うべき行動についての厳しい教育など受けておりませんから、どちらが正しいのかお答えすることはできませんが、わたくしの知るベルシァ帝国に関してだけ言えば、歴代の皇帝が行ってきたそのような厳然たる振る舞いにより、多くの民を率い続け、数百年も続く立派な歴史を紡いで来たのですから、何も慌てて今すぐ正反対の考えになる必要もないのではありませんか?」


「わかりません・・・」


「ナナセさんとアイシャールはあまりにも違います、言うなれば正反対です。うまく説明できないのですが、アイシャールにナナセさんのやり方は向いていないような気がしますよ」


 皇帝としての振る舞いなどという帝王学や領主教育のような難しい話になり、アデレードは黙ってしまった。これは、心のどこかでベルシァ帝国の次期皇帝になる日が来るのではないかという思いが、綺麗さっぱり消え失せた瞬間であった。


「アイシャお姉さま、『ラーテルの紋章』はお返ししますの・・・」


「私はただの死刑囚です。その髪留めは死刑執行猶予が終わる百年後でしたら受け取ります」


「でしたらあたくし、カバンの中に大切にしまっておきますの・・・」


「そのようなただの髪留めがアデレードの大切な人生を左右するようでしたら、海へ投げ捨ててしまえばいいと思います」


「そんなことは絶対にできませんの。でも、今のあたくしは『ラーテルの紋章』に相応しくない、ただの新米商人ですの・・・ナナセお姉さまにもゆぱゆぱさんにもお父様にも到底敵わない、ただの小娘ですの・・・」


「・・・。」

「・・・。」

「・・・。」


 最近、自信をなくしがちなアデレードの様子が気になる。とある王都の一室にある引きこもり部屋の住人が増えてしまうのだろうか。


 結局、この日はパルフェノス神殿に寝泊まりさせてもらうこととなり、アイシャールはアギオルギティスへ積年の『謝罪』をしてから、一晩中ナナセについて語り合っていた。



 翌朝、アデレード隊長のグループは帝国へ向けて飛び立った。


「アギオル様がおっしゃっていた、国境沿いの小さな集落に立ち寄ってみたいと思いますの。あたくし、アイシャお姉さまが子供の頃に過ごした神殿というものを見てみたいですの」


「それはわしも賛成なのじゃよ」


「今では捨てられた廃墟の集落跡地になっていると思います。さすがに神殿のような石材づくりの建物や井戸が壊れているとは思えませんから、雨風を凌ぐだけの寝泊まりならできるでしょう」


「道はわかりますの?」


「グレイス神国からベルシァ帝国へは、王の道と呼ばれる舗装された街道があります。その集落跡地は王の道の基点に近い場所だったので、もし気づかず通り過ぎてしまったとしても、街道を見つけて戻れば辿り着けるのではないかと思います」


「それでしたら迷うこともありませんわね」


「そんな必要ないのじゃよ。わしゃ雑木林で隠れてたとしても、神殿のような石造りの建物くらいなら気づけるのじゃよ」


「ハルコも、ちゃんと、そらから、みて、とぶよ」


「そうですわよね、二人とも頼りになりますの」



 無事に目的地である集落跡地へ到着すると、上空からは蔦に覆われていて気づけない状態になっていた神殿を見つけた。さっそく中へ入ると、人が寝泊まりできるとは言えないほど荒れていたので、アイシャールとアデレードがひたすら掃除しまくり、女神像と思われるチープな石像とその周りもしっかり磨いて、この先訪れるかもしれない旅人が気持ちよくお祈りできるよう、きちんと祈祷台まわりの整理整頓をしておいた。


 二人が重力魔法を駆使して難なく重いものを持ち上げながら掃除している間に、ハルコが凶悪な爪で獲物を掴んで戻ってきた。護衛として野営の心得があるアイシャールがその肉をテキパキと処理し、ベルの強力な温度魔法によって内部まで均等に火を通し、ナナセ顔負けの美味しい野営ご飯が完成した。なお、アデレードは料理ができないので何もしていない。ここでもまた、自信をなくしてしょんぼりとしてしまった。受けてきた教育が違うのだから気にするようなことでは無いのだが。


「懐かしいですね、私がここに匿ってもらい、その後神都アスィーナへ移り住んだのは二十年以上も前ということになります。アギオルギティス様もおっしゃっていましたが、私はこの女神様に毎日祈りを捧げていました」


「どのようなお祈りでしたの?」


「行方知れずとなったお父様が無事に生きておられますように、と・・・」


「ではあたくしも、おじい様が生きているようにとお祈りしますの・・・」


 二人の敬虔な祈りとともに、重力ジャンプを駆使して天井まで飛び回る“特殊清掃”によって、とてつもなく綺麗になった廃墟神殿の静かな夜がふけていった。



「砂で体がじゃりじゃりしますの!お風呂に入りたいですの!」


「アデレードは長旅にも砂漠にも慣れていませんからね、帝国へ到着する前に水浴びできそうな場所でも探しましょうか」


「アイシャ、イナリの、べっそう」


「ハルコさん、そうでした失念していました。ナナセさんが作ったかけ流しの温泉がありました」


「温泉がありますの!?」


「はい、私が絶望し一人で隠れ住んでいたところ、ナナセさんに発見されてしまった無人島です」


「なおさら立ち寄っておきたいですの!今すぐそこへ向かいますの!隊長命令ですのーっ!」


 イナリが別荘にすると言っていた無人島の小屋は、前回立ち去る際に屈強に補強しておいたおかげで難なく利用することができた。その小屋にはアイシャールが一人暮らしをしていた頃の荷物がそのまま置いてあり、手作り石鹸や木製の食器、石材を削った包丁や土器のような鍋、海水から作った大量の塩、果実や生花から取り出した甘味、獣の毛糸を丁寧に編み込んだ布など、どれもこれもそのまま便利に使用することができた。護衛侍女・ベールチア、恐るべし。


「こ、これすべてアイシャお姉さまが一人で作りましたの?」


「はい、一人きりだったので他にすることなどありませんでしたから。帝国で学んだこと、神国で学んだこと、王国で学んだこと、そしてアデレードがお腹にいた頃に皇国で学んだこと、すべて役立ちました」


 この驚きのサバイバル能力は、どうやらイグラシアン皇国で諜報員としての教育を叩き込まれていた、タル=クリスやマス=クリスから得たもののようだ。


「あたくし、アイシャお姉さまにも絶対に敵いませんの・・・」


「私は人知れず死ぬつもりでこの無人島にやってきたはずなのに、生きるための道具をコツコツと作っていました。不思議なものです」


「それは、本当は誰かに見つけてもらいたかったのではありませんの?」


「そうですね、そうかもしれませんね」


「ナナセお姉さまに見つけてもらえたことは、偶然などではなく、それはとても素敵な必然でしたの」


 温泉についてはナナセが黙々と作った、高温の源泉をお風呂として適温まで冷ますために設置した木製の水路が壊れてしまい、せっかくの温泉が左右に溢れている状態だった。


 しかし、一度完成したものを修理するのはアイシャールとアデレードにも容易だったようで、さらに屈強に補強した天然露天温泉に、みんなで快適に浸かることができた。


「今日は満月ですのね、美しいですわ・・・」


「月明かりが揺れる温泉というものも趣きがあって良いものですね・・・」


 美しい満月にぼんやりと照らされた露天風呂に入ってくつろぐ二人は、本来の目的であるベルシァ帝国への視察について忘れかけてしまう。しかし、温泉旅行に来たわけではないと思い直したアデレードは、事前に帝国についてアイシャールから話を聞くことにした。


「ねえアイシャ姉さま、帝国のお父様とお母様ってどういう方でしたの?」


「父上は元来、戦争など望まぬ優しい人でした。どちらかと言えば、母上の方が好戦的で豪快な性分だったと思います」


「そうだったんですの?あたくし、なんだか勝手に逆のイメージをしていましたの」


「王国の女性もそうかもしれませんが、帝国には気の強い女性が多かったように思います」


「王国のおっかな上位には生涯かけて鍛錬を続けても敵いませんの。でも、ナナセお姉さまも言っていましたけれど、アイシャお姉さまは気が強いのか気が小さいのか、よくわからない帝国女性ですの」


「私自身が、私のことを一番よくわかっていません。悪魔化して感情が抑えられなくなって暴れてしまう経験はしましたが、それは気が強いという事とは違うと思っています。きっと私の本質は、常に自信のない小心者です・・・」


「そうは思えませんけれど・・・あたくしも、商人として気の強い娘を演じることもありますけれど、最近はすっかり自信を無くすことが多くて・・・」


 以前ブルネリオとアンドレッティが会話している際、アデレードは感情の起伏が激しすぎると評していたことがあった。これを現代風に言えば躁鬱となるのであろうか。


 この母娘、やはりよく似ている。

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