8の18 皇国の諜報員(前編)
マス=クリスは顔を隠すようにしている長い髪の隙間から見え隠れするギョロリとした目で私をチラっと見たあと、空を仰ぐように部屋の上部にある採光用っぽい窓を眺めた。
なんとも不気味な女性だ。きっとくる、きっとくる。
「あの窓から飛び降りれば天国へ行けるかしら・・・」
「そんなことしちゃ駄目ですよ!それに殺人に加担してたんですから地獄へ行かされちゃうと思いますし」
「生きるも地獄・・・死ぬも地獄なのね・・・もうだめだわ」
「生きているうちに善い行いを続けていれば天国に配置転換されるかもしれませんよ、神様ってけっこう見てるもんなんです」
再び猫背になって下を向いて静かになり、その顔を髪がバサリと隠す。異様に長い髪といっても綺麗なものではなく、なんとも生気のないこってりぺったりとしたもので、顔を隠すようにやたらと手で前に前にかき集める。護衛たちが言っていた物静かな囚人っていうのはこういうことだったのね。窓は鉄格子になっているので、そう簡単に飛び降りることなどできないだろう。しかし、その鉄格子にはシーツが丸く結び付けられていた。なんか怖いよ。
「こんなことしてたら手も拘束して猿ぐつわしなきゃならなくなりますよ、せっかく命が助かったっていうのに」
「手足を拘束され陵辱されてしまうの・・・死ぬことも許されず・・・繰り返し繰り返し・・・入れ代わり立ち代わり・・・ゴクリ」
「どこぞの貴族クルセイダーお嬢様ですかっ!?今、少し興奮してませんでしたかっ!?」
「・・・してない。」
「してたんですね、まったくもう・・・そんな趣味はありませんからっ」
とりあえず首吊り用シーツを外して部屋の外にいる護衛に渡してから、アンドレおじさんとアデレちゃんとベルおばあちゃんを部屋に通す。今後は長くて丈夫な物の設置を厳禁しておかなきゃね。
「マスさん、これから百年ほど王国のために奉仕してもらわなきゃならないのは理解してますよね?私がお仕事を決めるんですけど、そんな様子じゃこの部屋から一生出られないかもしれませんよ?」
「はぁ・・・生かすも殺すもナナセ様次第なのですね・・・」
「そんな殺伐とした感じじゃありませんってば!もうっ」
これはイナリちゃんに見てもらって光魔法の回路を開いてあげなきゃ危ないパターンなのかな。
「ねえマスさん、そうやって悪い方悪い方に考えちゃうのって子供の頃からなんですか?闇魔法を頻繁に使うようになってからなんじゃないですか?バルバレスカさんもアイシャ姫も、そんな感じで闇に飲まれて悪魔化しちゃったんですよ」
「私はこの力を神から授かった特別なものだと思っていましたが、実のところこれは悪魔の力だったのですね・・・私はこの力に飲み込まれて死ぬんだわ・・・あぁ・・・」
「悪魔はそんな簡単に死にません!」
見かねたアデレちゃんも一緒になって左右から暖かい光を浴びせてみたけど、バルバレスカの時と一緒でイマイチな効果しかなさそうだ。それでも何もしないよりはマシだったようで、こってりヘアーをかき分けて顔を見せてくれた。血の気があまり感じられない病弱色白美人って感じ。
「暖かい・・・貴女たちは不思議な力を持っているのですね、少しだけ穏やかな気持ちになりました。死にたいという思いから、消してほしいという思いに変わりましたので、このまま私を昇天させて下さい・・・」
「マスさんに逃げる場所なんてありませんよ、しばらく私の監視下に置きますから。あ、そうだ、離れていてもマスさんのことを識別できるベルおばあちゃんが一日中監視してるから逃げても無駄ですからね、空飛んで地の果てまで追いかけます」
「私の人生、遠の昔に逃げ場なんて失っておりました。そしてこれから先も逃れることのできない監視された人生・・・これも私の運命・・・」
困ったね、これじゃ無償奉仕を決めるどころか、囚われの姫部屋から出すことすら難しい。いつものように、うーん、と悩んでいると見かねたベルおばあちゃんが声を上げてくれた。
「マスとやらや、おぬしには可愛い娘っ子がおるのじゃろ?」
「ベル様と申しましたか、今後、私ごときの監視を死ぬまで行うなど、お手を煩わせて申し訳ありません。おっしゃるとおり国に娘を残して来ておりますが、もう二度と会うことなど叶わないでしょう・・・」
「名はなんと申すのじゃ?」
「ポインセチアと申します。ナナセ様と同じくらいの年頃の娘です。義理の両親に預けております」
「ずいぶん可愛い名前じゃないですか!義理ってことはタルさんの実家ってことですね?どんなご両親なんですか?元気なんですか?」
「お義父様は退役した軍人で、今は皇都の町はずれで小さな食堂を営んでおります。義理の両親ともすでに高齢で、私の両親はすでにこの世を去っておりますし、私もタルも王国の地で朽ち果てるのですから、娘一人であるポインセチアだけが天涯孤独で取り残されてしまう未来が待っています・・・あぁ・・・」
「そうなんですねぇ・・・外国人の犯罪者の場合はとくに、家族に関してなにかしらのフォローする法が必要そうですね。このへんは女王陛下に相談してみますよ、悪いようにはしません」
「まあナナセのことじゃから、おぬしは近い未来に必ずポインセチアと再会できるのじゃ。じゃから娘に会うためと考え、そうそう死に急ぐでないのじゃ。人族の母というのはそういうものなのじゃろ?」
さすがベルおばあちゃん、なんか心情的に説得してくれたようだ。マス=クリスは無言のまま固まり、またこってりヘアーで顔を隠してしまったので、面会はこれで終了して部屋を出た。
「ベルおばあちゃんありがと、死ぬ死ぬ言わなくなっただけでも大進歩なのかもしれない」
「ほっほっほ、ナナセに余計な仕事を増やしてしもうたかのぉ」
「そうでもないですよ、やるべきことが明確に決まったから。私、皇国からポインセチアちゃんを盗み出します!」
「お姉さま、それは犯罪ですの」
「なあナナセ、俺も子供に会わせてやるのは良いと思ったけどよ、どうやって皇国から連れてくるんだ?まさか本気で連れ去るつもりか?戦争の火種になりかねねえぞ?」
「大丈夫です、私に考えがありますから」
・
私たち御一行はアルテ様とうふふうふふしているマセッタ様に報告するために部屋へ戻った。イナリちゃんはハルコたち鳥チームを引き連れてどこかへ遊びに行ったようで、アデレちゃんはベルおばあちゃんを背負ったまま商店のあいさつ回りに飛び立った。
「マセッタ様、マス=クリスは死にたい死にたい言ってましたけど、皇国に残してる娘に会わせてあげることをちらつかせたら、なんとか思いとどまってくれたみたいです。ちょっと新しいお仕事を考えるって感じではなかったですね」
「そうですか、少し時間がかかりそうね。皇国についてはオルネライオからの連絡を待つ時間がありますから、ゆっくり考えるといいわ」
「そうですね。それで、外国人が王国で犯罪を犯した場合、その家族についての取り扱いが難しいと思ったんですけど、私が写本させられてた王国の犯罪判例書を見るかぎり、特に手を差し伸べるようなことはしていませんよね。今回の事件って諜報員が任務中に外国で死んじゃったようなもんですけど、皇国側が遺族年金みたいなのを出すとも思えませんし、なんかしてあげられることはありませんか?」
「年金とは何のことかしら?」
「ああ、年金っていうのは・・・‥…」
私も詳しく知っている制度ではないので、元気なうちに積み立てておいて、歳をとって働けなくなったり戦傷してしまった人が受け取るものという非常に簡単な説明を自信なさそうにしておいた。
「皇国の民である二人が王国へ税を納めていたわけではありませんし、その年金という形で家族へ支給することは現実的ではないわね」
「ですよねー・・・」
やっぱ私がやるしかないかぁ。
「二人の娘さんはポインセチアちゃんって言うらしいんですけど、その件については私がなんか考えときます。それで次はタル=クリスのところ行ってきますけど、アンドレさんとアルテ様も連れていきますから、マセッタ様もそろそろ職務に戻って下さい」
「そうね、ナナセ様の命令に従うわ、ふふっ」
私は敬礼のポーズ、アンドレおじさんは騎士風の胸に手を当てたポーズ、アルテ様だけゆるーい感じでマセッタ様に小さく手を振って笑顔で部屋を出た。タル=クリスとアンドレおじさんはそれなりに会話している間柄のようなので、近くにいてもらえば少し気が楽だ。
「ナナセはすげえな、女王陛下を従わせてるって感じだぜ。マセッタ様とブルネリオ様の言い争いを止められるのとかもよ、この世でナナセだけなんじゃねえの?俺は黙って下を向いてることしかできねえ」
「昼から葡萄酒あおってアルテ様といちゃいちゃおしゃべりしている人に遠慮など必要ありません!」
「あらナナセ、やきもちなの?(ゆさゆさ)ねえねえ!ナナセ!」
「ちっ、違いますーっ!」
私と一緒にお仕事に向かうのが嬉しいのだろうか?ご機嫌なアルテ様と腕を組んで罪人部屋へやってきた。
「じゃあ、タルさーん、隣で個別面談しますからお願いしまーす」
「・・・。」
タル=クリスの足には重そうな鉄球が繋がれているので、鉄球をほぼ重力ゼロ状態にしてからヒョイと持ち上げて移動を開始した。
「ナナセの重力魔法はずりいなぁ」
「私は重力を自在に操る高貴なる女性ですからっ!」
「お、おう・・・なんだそれ?」
隣の部屋に入ってタル=クリスをソファーに向き合って座る。アンドレおじさんは扉の警備にまわり、アルテ様はタル=クリスの横へピッタリと寄り添って座った。なんか地下牢のときの布陣と似てるね。
「タルさん、直接お話するのは久しぶりですね」
「・・・殺せ」
ンもー、「死にたい」とか「殺せ」とか、なんなのこの諜報夫婦。
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