第4話

 山野は大学卒業式以来のスーツを着て、古田と一緒にクライアント夫婦の家にやってきた。


 大きな一軒家を前にして山野はため息をついた。人見知りの激しい山野にとって、知らない人間に会うというだけで苦痛だし、しかも、その理由が謝罪なのだから尚更だ。


「……こういう時こそ、アンドロイドの出番じゃないのか? 君のアシスタントのジュンなんて、まさにうってつけだろ」


 スーパーのレジや、保険の営業などでもアンドロイドが導入されて久しい。彼らならどれだけ小言や暴言を浴びせかけられようと、意に介さないのでは。


「まだ言いますか」古田は山野を睨んだ。「誠意を見せる時は、生身の方が相手への印象が断然違うんです。そもそも、誰のせいでこんなことになったと思っているんですか。さっ、行きますよ」


 山野は、古田に引きずられて、家の中へ入った。


 二人を対応したのは母親で、父親はまだ仕事中とのことで留守だった。


「この度は、大変なご迷惑をおかけいたしまして、誠に申し訳ありません」


 途中で買った菓子折りを母親へ差し出しつつ、古田は深々と頭を下げた。


「まったくですよ」母親は菓子折りを手元に引き寄せつつ、答えた。「苦労してようやく手に入れたんです。それなのに、あの子は全然わたしの言いつけを守らないんですから。どうなっているんですか?」


「本当に、申し訳ありません」


 古田は再び頭を下げた。会社にいたときとは別人のように礼儀正しい態度だった。


「山野さん」


 頭を下げたまま、山野に非難めいた視線を向けてきた。


 山野も慌てて、母親に頭を下げた。しかし心の中では舌打ちを繰り返していた。言いつけを守らないといっても、時々こっそり家を抜け出すだけだろ。普通の子どもだってよくある話だ。それくらい大目に見てもいいのに、と思っていた。


 母親は言った。「あの子を手に入れた時は、本当に天にも昇る心地だったんですよ。最初、旦那は年齢的に難しいから子どもは無理だって意見でしたけど、やっぱり諦めきれなくて。お金はわたしが独身時代からずっと続けていた貯金を使って、育てるのも全部わたしがやると言って、ようやくあの人を説得して……それなのに」


「心中お察しいたします。誠に申し訳ありません」母親の言葉を遮るように、古田は何度目かの謝罪の言葉を述べた。「弊社の設定ミスですので、お子様をすぐに再調整させてください」


「ええ、お願いします」母親は不愛想に頷いた。


「早速ですが、今、お子様は何処に?」


「部屋にいますから、呼びますね。……タクミ、タクミ!」


 母親が廊下に向かって大きな声で呼ぶと、すぐにパタパタと軽い足音が近づいてきた。十歳くらいの姿をした男の子が現れた。


「ご挨拶しなさい、タクミ」


 しかし、少年アンドロイドと目が合った瞬間、突然タクミは回れ右をして、走り出してしまった。


 山野が何度か瞬きをした後、古田は叫んだ。


「追いかけなきゃ!」


「えっ、ええっ?」


「早く!」


 古田が立ち上がる。山野も慌てて彼女のあとを追いかけた。玄関ドアが開いていた。靴を履くのももどかしく、外に飛び出したが、タクミの姿は既に見えなかった。


「アレはどうして逃げたの?」周囲を見渡しながら古田は言った。「性格設定にも依るでしょうけど、はっきりと命令に従わないアンドロイドなんて、わたし初めてよ」


「俺もだ。でも……」山野はふと思ったことを口にした。「アンドロイドにとって設定を……性格を変えられるってことは、ある意味アイデンティティの喪失だ。あの子はそれを嫌がったんじゃないか?」


「何を言っているんですか?」古田は顔をしかめた。


「アンドロイドにも気持ちや自我ってものがあるのかなって、ふと思えてきて」


 アンドロイドの自由意志、それを守るために人間への反乱……、そんなSFワードが、山野の脳裏に浮かんできた。


「ああ、そうですか。作家先生の考える事はわたしのような凡人ではとても及びもつかないですね。……で、アレは、小学生探偵という類稀なる洞察力で、わたしたちがここにきた理由を一瞬で悟って、逃げ出した、と?」


「……っ」


 余計な仕事を増やしやがって、と表情で訴えてくる古田に、山野は恐ろしくなって言葉を返せなかった。


「とにかく」古田は深呼吸した。「……早くアレを探さないと、面倒なことになりますよ。山野さんあっちの道をお願いします。わたしはこっちの道を探しますから……」


 その時、男の叫び声が聞こえてきた。


「何するんだ! ……おい、こら、放せ。このガキ!」


 山野と古田は一瞬顔を見合わせ、それから男の声がした方へ走った。


 道路の角を曲がると、重厚な門構えの家の前で、季節外れのジャンパーを着て黒い鞄を持った中年の男が、タクミに腕を掴まれていた。


「な、何をしているんだ……」


 山野は呆気に取られてしまった。本当にアンドロイドの反乱が始まってしまったのだろうか?


 突然、古田が山野の腕を揺すってきた。

「早く止めないと! アンドロイドが人に怪我を負わせたら、製造者のわたしたちも責任を問われる」


「それはまずい!」


 こんなところで経歴に傷がついてしまったら、作家デビューがますます遠のいてしまう。アンドロイドのために夢を潰されるなんてたまったものじゃない。


 山野はすぐさまアンドロイドに駆け寄ると、肩を掴んで力任せに男から引き離そうとした。しかし、子どもとはいえアンドロイド、それとも日頃の運動不足も原因だろうか? びくともしなかった。


「くそっ」


 もう一度力を入れようとした時、タクミは山野に向かって大声で叫んだ。


「助けて! この人は泥棒だよ!」


 中年男が持っていた黒い鞄が地面に落ち、開いた口からたくさんの貴金属や宝石が転がり出てきた。

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