第2話
赤池の指摘に、山野は一瞬息を詰まらせ、ゆっくりと頷いた。
「……ええ、そうですよ。二次審査止まりでした」
山野の本業は小説家……、と言いたいところだが、正確には、何度も小説新人賞に応募しているが受賞には至らず、商業デビューも果たしていない、数多いる作家希望の一人に過ぎない。
才能がないとはっきり自覚できれば、諦めて別の道にも進めただろうが、受賞には至らずとも中途半端に一次審査、二次審査までは通ってしまうため、三十を過ぎても、ずるずると夢を追い続ける形になってしまっている。
とはいえ、いつまでも親のすねをかじり続けるわけにもいかない。そこで目に止まったのが、今の仕事だ。AIの性格形成に必要なエピソードを制作するという業務は、作家希望としてそれなりに物語を書いてきた経験を生かせるし、これからの作品制作の参考にもなるだろうと思ったからだ。このエピソード制作部門には、山野のような作家の卵や、商業デビューは果たしたものの、その後鳴かず飛ばずで消えていった元作家が多く在籍していた。赤池も昔、有名な出版社から小説を二冊ほど出した経験があるという。
「そうか……、それは残念だった。今度はきっとうまくいくよ」
と言って、赤池は山野に温かい眼差しを向けた。
今度はきっとうまくいく。これまで何十回と人から言われ、何百回と自分に言い聞かせてきたことか……。腹の奥から湧き上がってくる黒い何かをぐっと堪え、山野はうなずいた。
「ありがとうございます。取り乱してすみません」
「気にするな。でもまあ、無事新人賞を獲ってデビューしても、そこからが大変なんだけどね。実入りだけを考えたら、こっちの仕事の方が遥かに良い」
と、経験者はもっともらしく語った。冷徹に計算すれば、赤池の言う通りだろう。勢いのある大企業で働く方が、明日がどうなるかもわからない作家を目指すより、ずっと安定した生活を手に入れられる。
「でも、生活のためとはいえ、代り映えのしないエピソードを延々と作り続けて、それが機械学習の材料だけに使われるっていうのが、虚しいと言うか、人の想像力を蔑ろにされていると言うか」
「いやあ、若いねえ……。おじさん、眩し過ぎて山野くんのことを直視できないや」赤池は首を振りつつ、両手で目を覆った。
「茶化さないでください、赤池さんはなんとも思わないんですか? 俺たちは何のために小説を書いているんですか? 人を感動させるためですか? それとも代わり映えのしないAIたちを作るためですか?」
「いや、山野くん。それは……」
赤池が何かを言いかけたとき、制作ルームの入り口が開いて、若い男性の姿が現れた。真夏にもかかわらず、上から下まできちんと黒いスーツに身を包んでいた。
黒スーツの男は真っ直ぐ、山野たちのところにやってきた。
「おや、ジュンくん。どうした?」
赤池が親しげに声をかけたが、黒スーツの青年は無視して、山野の前に立つと、高圧的な口調で話しかけてきた。
「山野さん、仕事は進んでいますか?」
「もっ、もちろん。順調この上ない」
言葉をつまらせつつ山野が答えると、ジュンと呼ばれた男は、山野のディスプレイを覗き込んだ。
「まだほとんど進んでいないようですね。今週中に残り二十エピソード作ってもらわないと納期に間に合わないんですよ」
「だっ、大丈夫。作家の火事場の馬鹿力を信じてくれ」
「前にも同じことを言って、納品が一日遅れて、危うくクレームになるところだった、と古田さんは怒っていました」
「……」山野は居心地悪く感じて、視線を逸らした。
「まあまあ、ジュンくん」赤池は一人だけ場違いなくらい、明るい声で言った。「山野くんもここ最近色々あったみたいだからさ。温かい目で見守ってあげてって、古田ちゃんに伝えてよ」
ジュンは赤池を一瞥しただけで、硬い口調で山野に話しかけた。
「山野さん、締め切りは必ず守ってください。あと古田さんが、次の案件の仕様書をメールで送っていますので、確認しておいてください」
ジュンは早足で制作ルームを出ていった。
「やれやれ」山野は大きなため息を漏らした。「愛想のかけらもない」
「ジュンくんも、古田ちゃんからしっかり『学習』させられてるな」と、赤池。
ジュンは人間ではなく仕事用アンドロイドだ。外見は普通の青年と変わらないし、立ち振る舞いだって見分けがつかない。唯一の違いと言えば、襟からわずかに見える、首元の小さな制御ボタンとLEDだけだ。
アンドロイドのジュンは、営業部門の古田という女性のアシスタントだ。
古田とは長いこと仕事をしているが、実は、山野は彼女と一度も直接会ったことがない。連絡はメールか、アシスタントのジュンを通じてのみだ。本人がまったく姿を現さないものだから、山野は時々、古田などという人間が本当にいるのか、と考えてしまう。しかし、業務歴の長い赤池は彼女と数度会ったことがあると言っているので、実在はするようだ。赤池に言わせれば、ジュン言動は古田にそっくりだという。
「それにしても、労いの言葉の一つくらいあってもいいだろうに。向こうは命令するだけで気楽だろうけど、こっちは毎回毎回必死に頭を振り絞っているんですよ」
「古田ちゃんは古田ちゃんで大変なんだよ。営業も厳しいノルマが課せられているから」
「……赤池さんは誰の味方なんですか?」
赤池はニヤリと笑った。「決まっているだろ、若者の味方さ」
調子のいいジイさんだ、と思いながら、山野はディスプレイに向き直った。アシスタントに過ぎないジュンですらあの冷たい態度だ。その教師たる古田本人とはできれば出会いたくはない、と思いつつ、彼女からのメールを開いた。
今度こそ張り合いのある内容にしてくれよ、と祈りながら、添付ファイルに目を通す。
「……くそっ、また子ども用AIだ。性格は……〈明るく親切で礼儀正しく〉だって。本当、勘弁してくれよ」
「文句言うな。求められているものを確実に表現すること、これがプロの物書きというやつだ」
赤池の言うこともわかる。しかし、それでは結局、どれも似たり寄ったりの均一化されたものになりはしないだろうか?
その時、山野の脳裏にある閃きが降ってきた。
求められていることは表現しなければならない。では、求められていない部分は……。
山野の変化を感じ取った赤池は、小首を傾げた。「どうした、山野くん?」
「いえ、ちょっと。……少し、良いこと思いつきまして」
山野は猛烈な勢いでキーボードを叩き始めた。
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