「いつか逢える日を胸に抱いて」

(この部分は三人称で記述しようと思う。その方がより正確に説明できるような気がするから)


 そこは広い工場みたいな場所で、真ん中の作業場では子どもたちが休みなく作業をしていた。彼らはその作業に神経を集中していた。


まゆつむいでいるんだ」と黒猫は言った。声は聞こえない。


 子どもたちは繭の紡ぎ方を心得ていた。おしのように黙って、うつむいて、死んだ目をして、ひたすらに、繭を紡いでいた。紡いだ繭は子どもたちの一部であり、その中にはシスターが眠っている。


 繭は熟練のボイラーマンによって煮繭しゃけんされる。つまり生きたままでられて、殺される。シスターはいつか逢える日を胸に抱いて、孤独に死んでいく。孤独に焼かれていく。


「だけど子どもたちは悲しまない」とチップは言った。声は聞こえない。


「なぜなら全てを知ってるからさ」とデールは言った。声は聞こえない。


 シスターは生まれたときから死んでいる。繭の外へ出たとき――それがシスターの死だ。シスターは繭の中でしか生きられない。だから誰も悲しまない。だから誰にもいとまれない。


 シスターは日本の工場で生まれて、日本の地へ還る。そして繭は糸となり、絹となり、海を越えて、韓国へ辿り着く。


 あき康太こうたは子どもたちと一緒に繭を紡いだ。彼の一部が一つの繭となり、その中でシスターは眠り、そのまま生き茹でにされて、殺された。海を渡ったのは、その抜け殻だけだった。



――――空白。



 そこは何処でもない。秋康太と世界を区切る境界線は存在しない。そこでは何も見る必要はないし、何も聞く必要はない。そこには無限の感慨がただ広がっている。


 秋康太は全てを知っていた。彼は何を話すべきなのか。彼は何を訊くべきなのか。彼は何をすべきなのか。


――――そして全ては終わっていた。


 秋康太は繭を紡ぎ始めた。それは誰かの為ではなく、自分の為に。


 秋康太は啞のように黙って、俯いて、死んだ目をして、ひたすらに、繭を紡いだ。


「繭を紡いでいるんだ」と黒猫は言った。声は聞こえない。


「だけど子どもたちは悲しまない」とチップは言った。声は聞こえない。


「なぜなら全てを知ってるからさ」とデールは言った。声は聞こえない。


――――そして繭は完成した。


 全長は一メートル五〇センチか六〇センチくらいあり、全身から蒼白い光をほのかにかもしている。その輪郭は見事な曲線を描きつつ、真ん中には落花生のようながある。そっと手で触れると、微かにその温もりが、その胎動が伝わってくる。


――――繭は生きている。


 足音が聞こえる。


「ボイラーマンだ」と黒猫は言った。声は聞こえない。 


 足音は一歩ずつ、確実に、こちらへ近づいてきている。


――――ボイラーマンは繭を狙っているのだ。


「はやくはやく」とチップは急かした。声は聞こえない。


「ボイラーマンに見つかっちゃうぞ」とデールは言った。声は聞こえない。


 秋康太は辺りを見回した。


「逃げられないよ」と黒猫は言う。声は聞こえない。

「何処まで逃げても逃げられない。ボイラーマンは君を捕まえる。いつか君の右肩を叩く人間がいたら、そいつはボイラーマンだ」 


 秋康太はナイフを手に取った。


「シスターは生まれたときから死んでる」とチップは言った。声は聞こえない。


「だから誰も悲しまないし、誰にも悼まれない」とデールは言った。声は聞こえない。


 だけど――と秋康太は思う。たとえ、そうだとしても――――。


 秋康太はこれから生まれてくるシスターの為に、これから死にゆくシスターの為に、サンタマリアへ祈りを捧げた。



 生者の為に施しを

 死者の為には花束を



 そして秋康太はそのナイフで、繭を縦に切り開いた。


 その切れ目の奥から――女の泣き声が聞こえてきた。



 そこで目が覚めた。



 秋康太はその夢をありありと覚えていた。繭の奥から聞こえてきた女の泣き声は、暗い風穴の奥へと吸い込まれることなく、彼の耳にはっきりと残っていた。その声は最後まで失われなかったのだ。

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