SF´(スコシ・フシギ)

こたあき

「年齢不詳、謎の女」

 その女から電話があった時、俺はリビングのソファで寝ていた。

 よく晴れた土曜日の朝、日の当たるソファの上に寝転がりながら、スマホ片手に「YouTube」を観てて、そのまま微睡まどろんでいたところだった。家には俺一人、親父は買い物、姉貴はバイトで出かけてる。

 さっきまで何の動画を観てたのか、さっぱり思い出せない。でもまあ、少なくとも健全な動画だった、と思う。オールグリーンなヤツ。オールグリーン。

 そして今現在、無機質な電話のコール音がソファの下で鳴ってる。鳴ってやがる。やれやれ、今日は土曜日だ。

 ソファの下から手探りでスマホを引き上げて、頭上へかざしてみると、確かにソレは俺のスマホで(黒猫のラバーストラップがぶら下がってる)、画面には見知らぬ番号が表示されていた。

 特に意味もなく――思考放棄の結果として――俺は、その電話に出た。

「ハイ、あき(俺の苗字)です」

 自分の声が寝ぼけた頭に響いた。我ながら実にオタンチンな声だった。マヌケって意味ね。

 電話の向こうから色気のない女の声がした。

『もしもし、アタシだけど』

――――アタシ?

 断っておくけど、ヒトの声色を覚えることに関しては自信がある。その確固たる俺の記憶が告げている。

――――コイツは誰だ?

 声から判るのは、ソイツが「女」だということ、それだけ。年齢不詳、謎の女。

 画面を見ても相手の名前なんて何処にも書いてなくて、あるのは数字の羅列のみ。きっとその十一桁には偉大な意味が込められているんだろうけど、高校生の俺にはさっぱりわからない。というわけで――

「失礼、どちらにおかけですか?」と飽くまで礼儀正しく訊いた。飽くまで礼儀正しく。

『寝てたの?』と女が訊いた。

――――完全スルー。

 ひとまず「いやまあ……」とお茶を濁しておいた。プライベートなことですから。

『随分呑気なのね』と女は呆れたように言った。

――――沈黙。

 サイドボードの上にある「チップ&デール」のデカイ置き物に向かって、ちょっと顔をしかめてみせた。誰か俺に同情して欲しい。

 掛け時計を見上げると、時計の針は――。

『アタシがいま何処にいるのか、わかる?』と女が唐突に訊ねてきた。

――――は?

 警戒信号――パターンオレンジ。

「失礼?」と訊き返した。飽くまで礼儀正しく。

『アタシがいま何処にいるのか、わかる?』と女はBotみたいに繰り返した。

――――イタ電。

 早急にそう結論づけた。どっかの頭のオカシイ女――いや、きっとコイツは男だ――ソイツが女の声真似で俺をからかってる。そうに違いない。無精髭を生やした薄汚い男が、電話口に向かって気色悪い声を絞り出してる――そんな姿を想像したら全身に悪寒が走った。キモいよ、ほんとに。線香一本くらいなら立ててあげるから、さっさと首吊って死んで下さい。

「ねぇ、悪いけど――」

『これはイタ電じゃないし、アタシは女よ』と女は先回りするように言った。

――――これはイタ電じゃないし、コイツは女だ。

「あーそう。じゃあ、お元気で」と投げやりに言ってやった。ついでにスマホもソファに放り出そうかと思ったけど、黒猫のラバストに傷がつきそうだったから、やっぱりやめた。この黒猫、けっこう気に入ってるんだよね。

 すぐに電話を切ろうとしたところ、『空を見て』と女は早口で言った。

――――そら?

 言われたとおり、カーテンの隙間から空を見上げた。陽が眩しい。よく晴れた清々しい空が一面に広がっていて、西の彼方に、半月が夜の忘形見わすれがたみとしてぽつんと一つ浮かんでいる。小春日和はもう過ぎてるけど、すごくいい天気だった。なんだか心が洗われそう。

『何が見える?』と女は訊いた。

「月が見える」

『他には?』

「太陽が眩しい」

『そう。月兎はいる?』と女は訊いた。

「月兎?」と訊き返した。

『月に兎はいる?』と女は言い直した。

「いない」と答えた。

 現に月は半分しか見えないし、科学的にも月に兎はいない。ロマンが無いって? 仕方ないさ。

『そう。花は咲いてる?』と女は訊いた。

「花?」とまた訊き返した。これじゃまるで俺が能無しみたいに見えるけど、100パーセント向こうの訊き方が悪い。

『月に花は咲いてる?』と女は言い直した。

――――月に花?

「咲いてない」と訳もわからずに答えた。

 現に花なんて咲いてないし、科学的にも云々。

――――沈黙。

『アタシは今、月にいるのよ』と女は言った。まるで彼氏に妊娠したことを告白する時みたいに。正直、ちょっとドキッとした。もちろん女の子を妊娠させたことなんて一度もないけど。そんな艶罪えんざいは真っ平御免だ。

――――アタシは今、月にいるのよ。

 月を見た。二回くらいまばたきして、もう一度月を見た。だけど、兎も、花も、女も、何も見えなかった。

『アタシは今、貴方を見てる』と女は言った。

「俺からは何も見えない」

『本当に?』と女は訊き返した。

「本当に」と断言した。なんなら写メ送ってやろうか?

『どうしてそう言い切れるの? 何処かに致命的な盲点があるとは思わないの?』と女は畳み掛けるように訊いてきた。

「さあね」

――――どうでもいいよ、そんなこと。

『ねえ、最後にもう一つだけ訊いてもいい?』と女は言った。

「いいよ」

『貴方は韓国のことをどう思う?』

――――沈黙。

「わからない」と正直に答えた。

「ところでアンタはいったい――」と言いかけたところで電話が切れた。あまりにも唐突な切れ方だった。

 俺は深い溜息をいた。吐きたくて吐いた訳じゃない。

 掛け時計を見上げると、時計の針は9時53分を指している。やれやれ、今日は土曜日だ。

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