第160話 進展(二重の意味で)

 「わぷっ」

 瑞希さんが俺の胸に顔を埋めて声を漏らしていた。

 

 「あ、ごめん。苦しかった?」

 顔が胸に当たった衝撃が苦しかったのでは?と考えてしまう。


 ふるふると軽く首を横に振る瑞希さん。

 あのまま転んでいたらうまく受け身が取れていたかわからない、をしなくて良かった。


 別の怪我乳鷲掴みは現在進行中だけれど、そこに意識を向けたら……


 だめだ、意図していなかったからか……

 あくまで気持ちだけだが、今この時でなくても良いだろうと正直思う。


 お互いに胸の事についてはまだ触れていない。手は触れているけど。


 「あぅ……んっ」

 これは嬌声なのか苦悶の声なのか……


 なんて考えている場合ではない、所謂ラッキースケベ的な形ではあるけれど、女性の胸を鷲掴みにしている事実は変わらない。

 誠実に、誠実に対応しなければ。



 「ご、ごめん。」

 そう言って俺は右手を……外そうと思ったけれど。

 抱き寄せていたせいで右手は自分の腹でロックされている。

 

 「あ……」

 今漏れたのは俺の言葉。

 だってロックされてるんだもん。そして妙な動きになったものだから……


 「んっ……」

 瑞希さんも微妙な声を漏らしてらっしゃいます。

 顔が見えないのでどんな表情をしているのかはわからないけど、赤いのは想像出来る。


 「は、離すね……」

 しかし瑞希さんからは返事がない。

 ただの……のようだ。


 これはどういう風に解釈をすればいいのだろうか。

 そのままで良いというわけではないだろう。きっとどちらも恥ずかしい。

 散々ともえのを揉んできた俺ではあるが、今の俺はとてつもなく初心うぶになっている。


 初心しょしんに戻ったかのようだ。


 きっと、恐らく……固まってしまったに違いない。


 「ぷしゅー」

 突然瑞希さんが汽車になった。

 違う、羞恥に耐えられなくなって自分の身体を保てなくなったんだ。

 なぜなら自ら立っていられなくなったのか、俺の左腕に掛かる体重がぐっと増えた。

 あ、いや。瑞希さんが重いと言っているわけではないんだ。

 

 かかる力が変わったからそう形容しただけで、瑞希さんが重いだなんて思っていない。

 多分40Kg台だ。


 ってそうじゃなく……


 瑞希さんの力が抜けて後方に重心が移ったからか、ようやく俺の右手が胸から離れた。

 まるで磁力で引っ付いていたかのような右手と左胸。

 なんとかフィンガーもびっくりな鷲掴みはどのくらいの時間を紡いだのだろうか。


 茜だったら最後までシテと言いそうな状況。


 「言い訳になるかもしれないけど、不可抗力とはいえ申し訳ない、本当にごめん。」


 一瞬目が合った瑞希さん。

 直後視線を逸らして……


 「い、嫌ではありませんでしたよ。こんな時ではありますが、距離が縮まった気がして……」

 なんて言われたので、俺自身軽いパニックパニックパニックみんなが慌ててる状態だった。

 

 自らの足できちんと立つと、今度こそ瑞希さんはお手洗いへと向かって歩いていった。


 殺伐とした話の後だったからか、不謹慎かもしれないけど少しだけ嫌な緊張がお互い解けた……ということで良いだろうか。



 「ベーゼまでいっていたら、その先は別の場所でお願いしますと言うところでしたよ。」

 先程までカウンターでカップを拭いていたマスターが、気が付けば真横に来ていた。

 


 「しかしお客様はラッキースケベ神に愛されてらっしゃる。私も妻との出会いではラッキースケベ神が降臨しましてな。」

 などと、マスターが自分の身の上を語り始めそうであった。


 「介入するわけにも行きませんが、お客様はお客様の心の赴くままに行動するのが良いでしょう。」


 瑞希さんが厠へ行っている間に会計を済ませておく。

 彼女がトイレに行っている間に会計を済ませるのが出来る男のなんとやらと、以前何かで読んだ事があったからだ。


 「そういうのは互いの性格にもよりますし、関係性にもよりますよ。奢られるのを嫌う人もいますし。」

 というのはマスターの談であった。


 確かにカップルだからといって、男性が払わなければならないルールはない。

 バイトもした事のないお小遣いでやりくりしている男子学生と、大卒バリバリ高給取り一流企業勤めの女性とがカップルでも男性が払うのかと。

 

 気概の問題というのもあるかも知れないけど、どちらが奢らなければならないという考え方自体がおかしいんじゃないかと思う。

 交互に奢るとか、割り勘とか、いかようにも折半出来る話題ではある。


 まぁ、かっこつけたい男の心理というのはあるのかも知れないとは思うけれど。



 戻ってきた瑞希さんは本当の意味で化粧直しが済んでいた。

 なんとかガムの人みたいな目の下の跡は綺麗に補修されて、もとの可愛い瑞希さんになっていた。

 

 アイシャドー恐るべし。

 チーク恐るべし。

 コンシーラー恐るべし。


 化粧の事はよくわからないので、適当に思っているだけだけど。


 「あ、あの。見苦しい姿を見せていて申し訳ありません。」

 シュンと項垂れながら瑞希さんは謝ってはいるけれど、そんな仕草も微笑ましいくらいには可愛いと思う。


 「そんな事はないよ。不謹慎は承知だけど、普段見せない瑞希さんの貴重な姿を見れたのは良かったと思う。」


 ラッキースケベ神の後はスケコマシ神かタラシ神が仕事を開始したようだった。

 デリカシー神は仕事を放棄しているようだけど。



☆ ☆ ☆


 喫茶店を後にして、並んで歩く俺と瑞希さん。

 人通りが多くないのはこの辺りの利点だなと正直思う。


 力になりたいとは思うけど、実際何が出来るだろうか。

 横を歩く瑞希さんの不安を取り除きたいとは思うけれど、何も思いつかない。

 横にいるだけで良いというわけではないだろうし、おいおれとボディタッチするわけにもいかない。


 先程の喫茶店でのやりとりで、意図した事ではないまでも、距離は縮まってはきたとは思う。

 そうだとしても、肩をそっと抱いて「その震えを取り除いてあげたい。」とか「君の話し相手になりたい」とかどっかの賢者みたいな事は言えない。


 暫く無言で歩いていると、ふと瑞希さんが立ち止まる。

 「っ」


 ビクッと震え始める瑞希さんに何事かと瑞希さんを見る。

 先程喫茶店で過去の話やテレビの話をしていた時のようにがくがくと震えていた。


 ふと、目線だけ瑞希さんの後方を見てみる。

 そしてさらに周辺を目線だけ動かし確認してみる。

 特に怪しい素振りをした人物は見かけない。


 もっともただの通行人にしか見えないけど、実際は危険人物というのはごく稀にある事なので一概にはいえないのだけれど。


 「どうしたの?」

 俺は瑞希さんに尋ねる。


 「ぁっ。し、視線を、感じ……うぷっ。」

 その瞬間俺は瑞希さんを抱き寄せた。


 先程食べた物が俺の服やお腹に掛かってしまったけれど、気にしている場合ではない。


 恐らく、件の父とやらが近くで見ているのだろう。

 少なくとも近くにいるのだろう。


 身内等ある一定の関係性においては、近くにいるだけでその存在を何となく感じるものだという。

 二次元の世界の話ではあるが、肩に星形のアザを持つあの一族が有名な話だ。




 「おーまーえーーーーー」

 「人のに何してくれてるんだーーーーーー」


 唐突に聞こえた声に反応し、その方向に視線を向けると……

 こちらに向かって掛けてくる女性を捉える。

 某競走馬育成アプリの娘が、ラスト3ハロンを掛け抜けるような体勢で。


 そしてその女性は勢いそのままに徐に飛び上がり……


 「喰らいぃいぃぃぃ、やがれぇぇぇぇぇぇやがれぇぇぇやがれぇぇぇぇ。」

 という声を発して、その女性はジャンピグニーでもしようとしているのか、飛び上がり膝を……


 あ、ピンク色が見えた。

 スカートだったその女性の下着が見えたのだが、そんな場合ではない。


 「なんのぉぉぉ!」

 瑞希さんを離し、横に跳んだ俺はそのまま……


 「からのぉぉぉスト〇ムブレ〇カー!」

 俺は初対面の女性への返し技に、某ヘビー級統一チャンピオンになったレスラーの必殺技をかました。


 もちろん、地面にぶつける前に腕で抱き留めて寸止めにしているが、空中をくるくる回転したのだけは変わらない。


 「大胆……」

 

 「はぁ……はぁ……俺は、無敵鋼人じゃない。」

 少し前から自らを鍛えようと、密かにダイエットを含めて道場に通っていた。

 ボクシングジムでダイエットしたり鍛える人がいるけど、俺の場合受け身や返し技を学びたくプロレス道場に通っていた。


 レスラーになるコースではないためにそこまで本格的ではないけれど。


 その効果というか成果が表れた。

 相手はよくわからない女性だったけれど。

 きちんと返せたし、相手を傷つけることなく止める事も出来た。

 

 「そしてゲロ臭い。」

 未だ俺に抱き抱えられている女性は、天を仰ぎながらしみじみと答えた。

 いや、それは俺のじゃないけどなとは言えなかったけど。


 「おね……ちゃん?」

 瑞希さんの口の端に少し残った残骸がせつなく映った。


 

――――――――――――――――――――――――


 後書きです。

 色々加速します。

 返し技云々はいらなかったかな?

 大胆3……ツッコミ待ちしてます。

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