第159話 瑞希の告白⑤

 「うぐっ……おね……ちゃん……」

 瑞希さんはニュースを聞いた途端、自分の過去を語っていた時以上に放心し震え始めた。

 握っている手を伝わりその震えは俺にまで浸透してくる。


 歯をがちがちと慣らして再び目からは雫が零れていた。

 あと、これは口には出せないし、本来どこかのタイミングで言わなければならないのだけれど……

 普段から薄い化粧ではあるけれど、涙で剥がれてパンダかなんとかガムの人になっている。

 もっとも、暴露宴の時のともえのような不快さはない。


 むしろ、どうにかしてこの人の不安と悲しみを取り除いてあげなければと…… 

 俺は理由はわからないけど、何とかしなければいけないという義憤の意識が働いてくる。

 

 「瑞希さん、ゆっくり。ゆっくりでいいから深呼吸しよう。」


 一度俺の目を見た瑞希さんは目を閉じて口をぎゅっと噤む。

 それまでの嗚咽が嘘のように瑞希さんは静かになる。


 数秒の後、瑞希さんは鼻ではあるが深く呼吸を二度程していた。

 

 そして目を開いた瑞希さんは少し落ち着きを取り戻したように見えた。


 「取り乱してしまいごめんなさい。」

 瑞希さんが謝ってくるが、何も悪い事はしていない。

 俺には理由はわからないが、ニュースの中の人物と何か関りがあるのは明白ではあるけれど。


 「さ、さっきのニュースに出ていた男性……お、お姉ちゃんの彼氏なの。」

 おー、じーざす。

 言葉に迷っていると瑞希さんは続けた。

 

 「お姉ちゃんは東京で看護師をしておりまして、その時からお付き合いを始めた男性の名前が吉岡さんなんです。」

 「下の名前が特徴的なので同姓同名の別人という線は……ない、と思います。」

 

 確かに吉岡さんだけなら別人の可能性もあるけど、健比古さんはそうはいない。

 酷なようだけれど、瑞希さんのいう通り別人であるとは考え辛い。


 「私も何度か会った事ありますし、二人は多分このまま結婚するんだろうなという感じでした。」

 「凄いイケメソでしたし、文武両道で共に優れていて医師としても若手のホープでした。」


 返事の言葉が浮かばないので、俺はただ頷きながら話を聞いていた。

 考えたくはないけど、自分が死んだ事にして自分の身分証を落としていて遺体は別人……という事はないか。

 もしそれが本当だとすると、瑞希さんのお姉さんの彼氏が殺人者という事になる。

 それはそれで考えたくもない事かも知れない。


 死者or殺人者。

 天秤に掛けたくはない事柄だ。

 

 再び悲痛そうな表情となりながらも、瑞希さんはさらに話を続ける。


 「……結びつけたくは……ない……ですけど、連絡のつかないお母さん……とお姉ちゃんと吉岡さん。」


 「裁判所から近付く事を禁じられているとはいえ、恐らく出所してきていると思われる父の影が見えるんです。」

 

 仮か本かはともかくとして、刑務所を出ているというのは本当なのだと思う。

 そうでなければ瑞希さんと全然連絡が取れなかった事や、今こうして恐怖に囚われたり過去を話したりはしないだろう。


 身内にしかわからない第六感的なものが働いているのではないかなと思う。

 

 「たまに嫌な視線を感じるんです。最初にその違和感を覚えた次の日に遺体発見のニュースが出ました。」

 それで恐怖を感じたのかもしれない。

 二度目の発見に至ってはその遺体が普通の状態ではないとSNSでは騒がれている。


 過去の苦しい出来事が脳にフラッシュバックもすれば、携帯に返事も出来なくても仕方ないかもしれない。


 

 それからお互い何も言えなくなり、握った手の温もりだけが妙にこそばゆかった。


 「大丈夫……と強気な事も無責任な事も言えないけど。俺を頼って欲しい、こんな俺だけど瑞希さんを守りたい。」


 少し臭かったかなと思ったけれど、口から出た言葉はもう飲み込めない。

 瑞希さんも言われて気付いたのか、顔が赤く染まっていた。


 軽い告白にも聞こえてしまう想定外の事はあったものの、俺の本心である事には違いない。

 あの飲み会の時介抱してくれた瑞希さんへのお礼……と言うと恩着せがましいかもしれないけど。



 十秒以上無言の時間が経過する。俺も瑞希さんも次の言葉が出て来ない。

 背景がなければ、初々しい中学1年生カップルかという程に、今も変わらず手を握ったまま時だけが過ぎている。



 瑞希さんが握っている手を見てさらに赤くなる。

 「ぁ、ぅ。」

 突然語彙力が低下している瑞希さん。

 

 「あの……か……け、お、に行きたいのですが。」


 その言葉を聞いてハっとする。

 今のは色々な意味を含んでいるのだろうなと思った。


 「あ、ご、ごめん。握っていたら席立てないよね。」

 

 正直名残惜しい感じはするけど、元々の話の事もあるし不謹慎だとも思うので邪な事は最初だけしか考えなかった。

 惜しくも握っていた手を離す。


 俺は一番外側になっている左手を離すが、交互に握られていたため現状は俺の右手を瑞希さんの両手が握っている事になる。


 「あ、あの……瑞希さん?」

 しかし自分から言って来たにも関わらず瑞希さんは両の手を離さない。


 「みずきち?」

 偶然呟いたその言葉は俺にとっても瑞希さんにとっても不意打ちだった。

 何故その言葉が口が発したのかはわからない。


 「な、なぜ学生時代の渾名を?」

 なぜだろう。昔の知り合いに同じ渾名を持った人はいない。

 ネット等の知り合いにもいない。

 学生時代に直接話した事はない。


 偶然、口から出ただけなのだけど何か引っかかる。


 「わからないけど、自然と口から出てた。」


 「もし同じ学校に通っていて、同じクラスだったらそう呼んで貰えたかもしれないのですね。」

 俺の言葉の後に瑞希さんはもしもの希望を返していた。


 そんな瑞希さんも漸く覚悟を決めたのか握っている手の力が弱まっていき、5秒くらいかけて手を離した。


 「本当はせっかく長い間握って貰ったのですから今日一日くらいは洗いたくはないのですけど……」

 瑞希さんが俯いて小さく呟いた言葉は聞かなかった事にしようと思った。

 なんだか少しだけれど、考え方に茜が混じっているように感じたから。


 ぐがぁーっと椅子を引く音が響き、瑞希さんは椅子から尻を浮かせ腰を上げる。

 立ち上がった瑞希さんが、憔悴のためかそれとも躓いたのかはわからないけど前のめりに倒れそうになる。

 それを瞬時に立ち上がった俺は、倒れてはいけないと瑞希さんに向かって身体を入れるように手と腕を伸ばす。

 そのまま瑞希さんの身体を引き寄せ抱き寄せる。


 なぜ、ここでラッキースケベ神が仕事をするのか意味がわからなかった。

 そしてカップを拭きながら遠目に見ていたマスターが、こちらに向かって「GJ」とばかりに親指を立てて見せてすまし顔をしている。


 出番の減ったラッキースケベ神が仕事をしたせいで、俺の右手は瑞希さんの左胸をまともに鷲掴みした状態で左手は背中から腕を回して左脇の下を掴んでいた。

 床にダイブしなくて済んではいるけれど、その状態で抱き寄せたものだから、瑞希さんの表情は見えない。


 左胸を伝わり物凄く早くなった瑞希さんの鼓動を俺の右手は感じていた。


――――――――――――――――――――――――――


 後書きです。

 家に帰って戸締りするまでがイベントです。

 遠足の定義と同じです。

 シリアス回にギャグ混ぜるなとは言われそう……

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