第143話 奇跡は起きるから奇跡って言うんですよ?
試合は5回を終わって0-0。両チーム若手のエース対決に相応しい投手戦となっていた。
どちらのファンもトイレや一服は相手チームの攻撃の時に行く。
間に合わずに自軍の攻撃も1アウトくらいに差し掛かる事もしばしば。
勿体ないけど漏れるよりは良いし、喫煙者にとっては一息入れたくもなるもの。
喫煙所で「よぉ久しぶり!」と再会するファン同士も良くある話だった。
両チーム共に安打数は4。四死球エラー共に0は流石プロだし若手とはいえエースと呼ばれるだけはあった。
水凪の投げたボールを相手打者が喰らい付いて弾き飛ばした緩いライナー性のボールは、遅れて跳んだショートの頭上を越えて安打となった。
「むむぅ。コラー〇〇ーケツ重いんじゃーダイエットしろー。」
皆さんお聞きになりましたでしょうか。今のヤジはメグナナの二人じゃないんですよ。
隣にいる瑞希さんの口から発せられた言葉ですよ。
「ほら、ねーちゃん可哀想な事言ってあげるな。〇〇がケツがでかくて重いのは昔からなんだから。」と近くのおっちゃんがツッコミを入れていた。
「あら。オホホ。そうでしたわね。あらやだ恥ずかしい。」
普段の瑞希さんが猫を被ってるのか、某球団を応援する時だけ人が変わるのか。
終始一喜一憂するその姿は心の底から楽しんでいるようなので、衝撃こそ受けたものの誘った自分としても嬉しいものだ。
両チーム一人の選手交代する事もなく8回表の攻撃。
白銀さんがシングルヒット打ち盗塁を決めて、無死2塁からさらなるシングルヒットで1塁3塁とチャンスを広げた。
続く打者は1・2塁間に弱い打球の内野ゴロを放つが、前に出てきた捕球した内野手の牽制により白銀さんは本塁へ進めず3塁へ帰塁、相手は1塁で一つのアウトを取るのに留めた。
ゲッツーの間に1点という事すら相手は嫌っていたようだった。
今日安打を放っている柊さんと勝負するよりは無安打の4番と勝負する方が、この試合は相手にとっては良いだろう。
案の定、攻めてきているのが外野からでもわかった。
フルカウントから互いに粘って粘って打者が見送ったボールは、僅かに外れてこの試合初めての四球となり1アウトフルベースとなり5番の柊さんがバッターボックスに向かっていた。
柊さんがバッターボックスに入ると、応援団からはKOKOのプラカード。
初球、真ん中高めの際どいボールを柊さんは迷わず振り抜いた。
打球はファン達が待ち構えるレフトスタンドへと向かって飛んできていた。
KOマーチ全然途中なんですけど?ファンの声は大歓声に変わっていた。
テレビで見ていたら恐らく「あ、これはいったわ。」とわかるような打球。
スタンドから見ているファン達も、「これは文句なしだろ。」とわかる打球。
俺は紐を結んで繋いである2連メガホンを首にかけ、椅子に置いていたグローブを取り左手にはめた。
何の確信があったわけでもない。予感がしたわけでもない。
ただ、あの打球はココに来るという根拠のないモノが頭を支配してた。
そしてそれを証明するように、まるで遠投キャッチボールのように、綺麗な放物線を描いた打球は俺の構えたグローブにスポっと収まった。
周囲のファンからは「あぁぁぁ」と残念がる声が挙がってきたが、これは誰が捕っても同じ事。
その後は一緒に観戦に来てるもの同士、隣同志、前後同士、近隣同士でメガホンを叩き合い喜びあった。
俺と瑞希さんはどちらからともなく抱き合ってぴょんぴょん跳ねて喜んでいた。
「ひゅーひゅーそういうのは帰ってからやれー。」というヤジもあった。
もっともそういった喜びの舞は他にも見かけたので大目に見て欲しい。
「あ、ごめん。」
「い、いえ。こちらこそ。」
胸と胸がくっついていたのに、手を背中に回して抱きしめてあってたのに、名残惜しそうに離れた。
☆ ☆ ☆
正直心の中でどうしようかと考えていた。
出来る男はここで彼女にプレゼントしたりする。ましてやその球団のファンなのだから猶更。
推しの選手だったらそれはもう言わずもがなである。
これが白銀さんが打った打球ならば瑞希さんにプレゼントしていただろう。
でも俺は、自分自身でこのホームランボールは欲しい。
もしくはこれを柊さんに渡して、あわよくばサイン入りバットとか欲しい。
そのくらいには再び野球熱は再燃していた。
「あ、真秋さん。そのボールは真秋さんがキャッチしたのですから真秋さんが貰ってくださいね。そこに忖度とかかっこつけとか優しさは要りません。」
「白銀さんの打球だったら別ですけど……」
どんだけ好きなんだよと思ったけれど、贔屓にしている選手に対しては食後のデザートと同じで別って事かな。
「それにしても、俺に捕れと言わんばかりに飛んできたね。奇跡もいいところだよ。」
「奇跡って起きるから奇跡って言うんですよ。」
瑞希さんがぼそっと呟いた。どこかで聞いた事あるフレーズだ。
試合はこのまま4-0で終了した。水凪は被安打6、無四球で完封。
敗戦投手となった山田も被安打だけみれば8、四球もあの一つだけだった。
水凪はこの試合で18勝2敗、防御率1.56。対讀〇戦5勝0敗、防御率1.23と讀〇キラーとしての大活躍だった。
敵地ではあるものの投打のヒーローとして水凪と柊さんが応えていた。
「偶然だし結果論だけど、こんな良い試合俺達で見て良かったのだろうか。奥さん悔しがってないだろうか。」
「そういえば真秋さんが、柊さんの奥さんからチケットを貰ってなければこの興奮も感動も得られなかったわけですからね。感謝してもしきれません。」
お互いのメガホンを叩き合ったり思わず抱き付いて飛び上がったりなんて出来事もなかったわけだからね。
水凪のインタビューが終わり、柊さんへのインタビューが始まっている。
「撃った瞬間どうでしたか?これは行ったなという手ごたえはあったんじゃないですか?」
「そうですね。あのグランドスラムの打球、見事にキャッチしたファンの方には来年入団してきて欲しいですね。」
「それにあの場面で凡打にでもなったら、チームメイトや監督コーチ陣の叱責より、嫁にシバかれたでしょうからね。打てて良かったです。」
「そうですね。柊選手の奥様、超鬼嫁ですもんね。」
「インタビュアーさん、夜道気を付けたほうがいいですよ、高校時代バッティングセンターでHRキング争いしていたぐらい超鬼ですから。あっはは。」
いや、柊さん。貴方も帰宅した時は気を付けた方が良いと思いますよ。
「これでこの3連戦は1勝1敗。明日勝ってカードの勝ち越しをして大阪へ帰ります。」
首位争いをしているこの2チームは3ゲーム差しかついていない。直接対決で広げたい、縮めたい両チームのこのカードにかける気迫は見ているファンにも伝わってきていた。
先発メンバー順にヒッティングマーチを演奏し六〇颪を演奏し、いいぞいいぞ応援団までいった所でスタンドからは人が外へ向かって歩き出す。
「やっぱりせっかく観戦にきたのですから六〇颪3番まで歌えて良かったです。これで負けてたら来週仕事になりませんでした。」
☆ ☆ ☆
当然負けて先にドームを後にした相手側のファンの方が、フロントに並んでいたりするもんだよねと実感した。
それなりに多くの人が並んでいる。
試合前にチェックインしていた人は鍵を受け取るだけだからスムーズだけど、チェックインを済ませていない人の列でごった返していた。
「セミダブル2名様利用ですね。」
記帳をしているとフロント女性が何やら恐ろしい事を口にしていた。
恐ろしいと言えば聞こえは悪いか。信じられない事とでも言えば良いのか。
ずっとツインだと思っていたので驚いたと言うべきか。
ホテルの予約をしてくれたのは柊さんの奥さんの恵さんだった。
確かに【誰と行くかはわからないけど、楽しんでな。】と言っていた。
楽しんでってそっち?
シティホテルやビジネスホテルではそういった行為は出来ませんけどね。
ほら見ろ、瑞希さんが真っ赤になって「ぷしゅ~~」とか言ってるじゃん。
――――――――――――――――――――――――――――――
後書きです。
試合はどうでも良い的な事を書いておきながら1話使ってしまいました。
さて、次は健全なお泊りが始まりますよ。
わかってるとは思いますが、ソファや床は使わせません。
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