あいまい

べたつく空気にうっすらと涼しさが混ざる。

Tシャツ1枚では心細くなるこの季節が梨香は嫌いだった。


タバコを買いにコンビニに行った帰り道。

一服のために家の近所の公園に立ち寄る。

小さな砂場と2席のブランコ。

動物形の形をしたオブジェと背の高さの違う鉄棒。

実家から電車でわずか3駅しか離れていない土地だからか、子どもの頃に通っていた場所みたいに懐かしかった。


この公園の周りは木々が生い茂っている。

昼間だとちょうど良い爽やかな木陰になるのだろうが、今は深夜12時が近い。影と木が1つの大きな塊となって、油断すると飲み込まれそうだ。


街灯に近いブランコに座って思わず舌打ちをする。

灰皿忘れたし。

最近は公共スペースで喫煙場所なんて罪深い場所に出会うことはめったにない。

はぁ。

ため息と一緒に同棲を始めた健治への不満が溢れ出る。

そういえば生理も遅れている。こんなにイライラするのはホルモンバランスが乱れているからだろうか。


小さなイライラは健治と暮らし始めた半年前から少しずつ感じていた。

好きな気持ちは変わらない。そんな自分への言い訳をいつか彼にぶちまけてしまわないために、今日もフラフラと家を出たのかもしれない。


一服はあきらめ、勢いよくブランコを漕ぐ。

手のひらの錆びた鎖の感触が懐かしく、なんだか泣きそうになった。

風をきる。空気をきる。

このままずっと揺れていたい。

何も考えずに。

明日のゴミ出しのことも、お弁当のおかずのことも。

天高く舞い上がっている視線の先で、薄い雲が月を隠した。

そういえば明日の天気はどうだっけ、洗濯干せるかな。

ギギギ。

ざっと片足を地面に擦り付けてブランコの勢いを止めた。

もう何も考えずに、幸せに揺られることはないのかもしれない。

梨香は涙を滲ませた。


久しぶりにのったブランコに三半規管がおかしくなったのか、うすい目眩を感じる。

ふらつきながら近くのささくれだった木のベンチに腰かけたとき、

「大丈夫ですか」

急に後ろから声をかけられて身体がこわばった。


でかい。

振り返った梨香はまずそのサイズ感を不気味に感じた。人の大きさではない。

輪郭は大人の男性を形取っているが、公園の影という影をすべて纏っているような威圧感があった。

「え、あ、はい。ちょっとふらついちゃって。でも、もう大丈夫です」

嘘だった。

まだ目眩は残っているが、この男に弱みを見せてはいけないと思った。

食べられると思った。


「あんな勢いでブランコにのるからですよ」

梨香の全身から警告音がなっている。嫌な汗がこめかみを伝う。

こいつ、いつから見てた。

立て。でも身体が動かない。

大声を出しても、こんな森みたいな公園、誰も通らない。もしかしたら公園が男なのかもしれない。考えがまとまらない。

身につけた何もかもが全く意味をなさないことだけを一瞬にして悟った。


健ちゃん。


男の足先がこちらを向いたその時。

「梨香!」

公園につながるスロープからよく知った顔が近づいてくる。

「健ちゃん」

「何してんねん、こんなとこで」

健治はつんつるてんのスウェット姿だった。洗濯の仕方が悪かったのか、縮んでしまった部屋着を文句も言わずに着続けている。

とろりとしたあたたかさが身体の芯を満たすのがわかった。

健治の姿に勇気をもらい、改めて振り返ると男の姿は消えていた。


見知らぬ男に声をかけられたことを健治に話した。

「ここはよお変質者が出るらしいから、もう夜は通ったらあかんで」

「うん」

「帰ろか」

「うん。健ちゃん」

「何?」

「そのスウェット、ダサいから、外で着んといて」

「ええねん。好きやねん、これが」

本当はありがとうって言いたかった。

けど、日常は苛立ちと不満で溢れている。

次はもっと上手に洗濯するね。

心で返事をして、手を繋いで帰った。

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