河原の決闘

砂塔ろうか

河原の決闘

 10年に渡る因縁にいよいよ、決着をつける時がきた。

 夕暮れ。沈む太陽に照らされてアタシたちは向き合う。

 ケンカで鍛え上げた我流のアタシと、複数の武道の型を身体に叩き込んだ水面みなも

 対照的なアタシたちの関係を一言で表すなら『腐れ縁』ってやつだ。もっとも、その関係も今日でおしまい。

 アタシは呼吸を整える水面に言葉を投げかける。

「念のため言っとくけど、アタシはアタシのやり方でやらせてもらうよ? 文句、言わないよね」

「……果たし状を送ったのはこっちなんだから、ええ、そのくらいのハンデ、認めます」

「じゃ、もう一つハンデもらっちゃおうかな――」

 駆け出し、跳ぶ。跳躍の勢いで水面との間の距離がゼロになる。

 飛び膝蹴りだ。

 当たれば顔面が砕けてもおかしくない。

「――先攻は、アタシが貰う!!」

 とはいえ、水面もそれを受けるほど甘くはない。

 即座に身を屈めたらしい。飛び膝蹴りは空振った。

 アタシは着地する。そこに蹴りが飛んできた。

「――っ」

 フッ飛ぶ。

 気がつくと地面に倒れていた。

「……後の先、いただきました」

「へへっ。そういうノリのいいところ、嫌いじゃないよ……」

 スカートのポケットからアタシはカッターナイフを取り出す。この日のためにしっかりと手入れしておいた刃は夕焼けに照らされてオレンジ色に輝いた。

「今度はそっちから仕掛けてきてよ」

 アタシは手招きした。

 来る。

 何の衒いもない直線。

 スカートがふわり舞い上がる。

 大きく息を吐いて、蹴りを出す。

 これを待っていた。

 アタシは相手の間合に一歩踏み込んだ。

「!!」

 カッターは邪魔になるから捨てる。どうせアタシには上手く使えない。どっかに切り傷でもできれば御の字だ。

 腹で蹴りを受けつつ、自由になった左手で殴る。

 顔に一発叩き込んでやった。

 もう一発――とふりかぶった時。

 セーラー服の襟が掴まれる。

 まずい――そう思った頃にはもう、視界が回転していた。

「――っ」

 身体を衝撃が突き抜ける。

 辛うじて受け身はとれたが、こうもあっさり投げられてしまうと腹が立つ。

 起き上がったアタシは即座に臨戦体勢に戻った。相手の方はというと、そんなアタシから距離をとってこちらの様子を見ていた。

「ふふっ」

 その目が、なんだか出会ったあの頃と何も変わってないように見えて、アタシは笑う。

「あはっ」

 同じことを思ったのだろうか、向こうも笑った。

「「あははははっ、あははははは――!」」

 獰猛な牙を見せつけるように、アタシたちは笑い、拳と蹴りの応酬を開始する。

 最後の思い出作りはまだ、はじまったばかりだ。

 楽しくいこう。


 ◆◆◆

 


『本日17時30分。私達が初めて出会ったあの河原にて待つ』


 朝、下駄箱を開けた私が目にしたのは一通の果たし状だった。和紙に筆で荒々しく書かれた『果たし状』の文字に私は思わず失笑してしまったのだが、実に水面らしいと、見ているうちに納得の感情がこみ上げてきた。

 それは何も、アイツが書道教室の娘だから、というわけではない。

 それは、アイツが形式を重んじるカタブツだからだ。


 いつもそうだ。


 アイツ、大河原おおがわら水面みなもは形式を、型を重んじる。

 所と時と場合によって振る舞いを千変万化させるがゆえに、アタシは一時期、水面が空っぽの人形に見えていた。不気味な、ヒトの姿をしたヒトならざるもの。

 それが間違いだと気付いたのは小学校の遠足の時。

 アタシと水面はいつものように奇妙な巡り合わせで同じ班になり、そしてその班は迷子になった。

 困ったことに場所は山の中だ。泣く子もいる中で、アタシはただ、ため息をつくだけだった。

 ――どうせ水面が「リーダーとして相応しい」行動をとって、アタシたちは助かる。

 そう、思っていた。

 だが、違った。そうはならなかった。

「あ、……ぇ」

 きっと、パニックでどうすればいいのか分からなかったのだろう。

 水面は震えていた。そこにいたのは、ただの小学生の女の子だった。

 結局、そこから班のみんなをまとめる役を負ったのは一番冷静だったアタシだった。水面には、どうすることもできなかったのだ。


 以来、アタシは水面のことを人間だと見るようになった。水面の方も、詳しいところは分からないが、アタシを特別視するようになったと思う。

 テストでいい点をとればさりげなく見せつけてくるし、アタシのが身長が高いと分かればさりげなく爪先立ちで歩くようになったし、アタシがピーマン苦手だと分かれば青い顔してピーマンをたらふく食べるようになった。

 うん。水面の本性を一言で言うなら、「かわいい奴」だ。

 けれど、そのうちテストの点も身長も抜かれるようになって、ついでに苦手な野菜もなくなって、アタシが水面に「負ける」ことが増えてきた。それが気に入らなくて、アタシも負けじと競うようになってきた。


 そんなアタシたちだから、殴り合いのケンカを始めるのに時間はかからなかった。

 殴り合いはいい。勝敗がはっきりとつく。

 つまり、立っていられなくなった方が負け、最後まで立ってた方が勝ち。それだけだ。

 水面のママは教育熱心なようで、水面に色々な習い事をさせていた。そのうちの一つに、空手があった。

 アタシは水面の空手に負けた。それで意地になって、我流ケンカ術を極めようと思った。

 ……そんなこんなで、警察のお世話になることが増えた。相手が男だろうと関係ない。とにかく殴って蹴って切って血反吐を吐いた。

 気がつけばフダ付きのワルってやつになっていた。

 それもこれも、水面に勝つためだ。


 そんなアタシにとって、水面の転校はまさしく青天の霹靂だった。

 家の事情で、水面は遠くの高校に転校する。アタシと、殴り合いのケンカをすることはきっともう、ない。


 ――だから、これが最後だ。

 全力をもってして、水面をぶちのめす。

 水面も全力で、アタシをぶちのめす。

 お互い、後腐れのないようにいこう――言葉はなくとも、アタシたちの間には間違いなく、そんな協定が交わされていた。


 ◆◆◆


 ――気がつくと、アタシたちは河原で、二人揃って横になっていた。

「…………ど、どっちだったっけ……先に、倒れたの」

「ふ、あはっ、……さあ、どうでしょう……なんだか、無我夢中で」

「はっ。ダメじゃん…………今日で決着、つけなきゃなのに、さ…………」

「今からでも、ルールを変えますか? …………先に立ち上がった方が勝ちとか」

「あ゛ーダメ。そんなの水面の勝ちに決まってんじゃん…………悪いけどアタシ、もう動けないわ……」

「じゃあまた、私の勝ちですね」


 すくっと、水面が起き上がった。


「……さて、は…………ワザとぶっ倒れたでしょ……余力が残ってるクセに」

「……いいじゃないですか。私、ケンカなんてしてるってママに知られたら大変なことになるんですから」

 言って、水面は泥まみれのセーラー服を脱ぎ捨てる。

 そして鞄のなかに入れた替えのセーラー服に着替えた。

 拳に巻いた包帯をほどくと、その下からは綺麗な白い肌が出てくる。

 今の水面を見て誰も、ケンカをした直後だと思うものはいないだろう。

「…………さっきはああ言いましたけど、この勝負、私の負けですよ」

「へ?」

「果たし状なんて出しておきながら、結局、途中で降参せざるをえない状況に追い込まれてしまったんですから……だから、初めてここで会った時と同じです。私の負け」


 10年前、アタシが初めて見た水面の姿は、河原でいじけてる姿だった。

 聞けば、両親が約束を守ってくれなかったのだとかなんとか――まあ、そんなところだった。

 じゃあ、とアタシは提案する。

「かけっこしよ! この、線がスタートで、向こうの、橋の下がゴールね」

 困惑する水面のことなど気にせず、私は着々と準備を進めて、走り出した。


「――いや、アレはアタシがおとなげなかったっていうか、あんなことにまで律儀に負けを認めるとかどんだけカタブツなの…………」

「負けは負け。勝ちは勝ちです」

「さいで」

「……でも良かった、負けることができて」

「? なんで」

「だって、私が勝ってたら、文字通り勝ち逃げになっていたじゃないですか」

「クソっ。勝った気がしない……」

 水面は笑った。

 アタシは舌打ちして、ずるずると引きずるように身体を起こした。

 水面が手を差しのべる。

 アタシはその手をとった。

「……覚えてろよ」

「もちろん」


 明日になれば、もうこの街に水面はいない。あの橋を渡って、どこか遠く、アタシの知らない街へ行く。

 一緒に川辺に座って、こうして川を眺めるのも、これが最後だ。

 アタシたちはどうでもいいことをくっちゃべって、それから別れた。別れる頃にもはもう、すっかり日は沈んで、凍える風の吹きつける晩秋の夜になっていた。

 闇の中、遠くで手を振る水面に向けてアタシも手を振り返す。

「…………また、な」

 小さく、そう呟いて。

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河原の決闘 砂塔ろうか @musmusbi

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